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■ 昨夜はおいしいごちそうにお酒。主夫のOさんの料理の腕前はすばらしい。普段はお料理を冷凍して、東京に単身で住む奥さんに宅急便で送るという。Oさんは給料の高い奥さんに経済を任せ、自分は高校教員をやめて介護生活のために松山に住んでいる。なかなかできることではない。

■ 朝6時には家を出て昨日の終点の三坂峠まで車で送ってもらう。45番岩屋寺往復のうち復路は車にのり、久万高原から三坂峠まで6キロは飛ばしてしまったが、あの暑さの中、国道33号線を歩くと本日はもたなかっただろう。多少の中抜けは我が家のルールではオーケー。憲法だって解釈で変更できるのだから我が家のルール変更なんて問題ない。

■ 三坂峠(図会では見坂峠になっている)の高度700m以上ある。ここからほぼ0mの松山市街まで降りるにはかなりの急こう配になる。奥さんはひざを痛めているし、私もロキソニンを飲みながらの歩みだ。特に下りは大変そうなので早めに出てきた。この峠は昔の四国の主要街道で四国の道にもなっているので整備はよくなされている

■ いまからもう40年程前、四国一周のランニング旅をした。高知県の越智から仁淀川沿いを走り、三坂峠を越えて砥部まで行くつもりだった。仁淀川から面河川(おもご)をさかのぼり美川という村に出たころから、だんだん雪が深くなった。もう3月、こんな大雪があるとは知らなかった。三河から先は車も通行止めになっていた。
  美川の集落で途方に暮れて、昔旅館をやっていたという家に、泊めてくれないかと尋ねたら、困っているならどうぞ。でも食事は何もないよ!と言われたがまさに地獄に仏。翌日宿泊代を払おうとしたら800円という。その当時民宿でも4000円はした。昔はそれぐらいだったというけど、申し訳ないので1600円払って出てきたことを思い出した。
 トラックの轍の上を運動靴で歩いたが、すぐにびしょびしょになった。しばらく歩いたら、トラックの運転手がそんなところ歩いていたら危険だから乗れ!というのでありがたく載せてもらい久万高原に上がった。久万高原から松山に下る道にはほとんど雪はなかった。今回通った遍路道を走って下り、戸部を通りこして松山まで行って、道後温泉の近くに泊った。
 翌日は川之江まで70キロを走り、さらに翌日宇高連絡に載って宇野まで行き岡山にでて、東京に戻ったことがあった。まだ橋は架かっていなかったころのことだ。


予想よりも整備が良い まだ涼しく楽しく歩く
水が出てくる。休憩所 坂本屋旅館:お接待あるはず
網掛け石、番外札所  あの上を車道が通る 


■ 46番の浄瑠璃寺までの間にお接待所がいくつもあった。誰もいないがお茶やコーヒーが置いてある。でもお湯がないので飲むことはできなかった。残念!

■ 道路わきに小さな石段がある。その中に浄瑠璃寺があった。境内には樹齢1000年といわれる天然記念物のビャクシンの大木がある。

■ 44番45番など壮大な寺を経てきたので46番はちょっと小さいなと思う。しかしこの寺の僧侶が三坂峠への土佐街道を整備し橋を架けたのだそうだ。まさに弘法大師のような住職さんがいたのだ。

■ ところで裏手に一願弁天の赤い鳥居がある。一つの願いだけはかなえてくれる弁天さんが居られる。

お接待所!いいね! 46番浄瑠璃寺門前
本堂前、イブキの木・巨大 大師堂
本堂 一願弁天さん


■ 46番をでると800mで八坂寺に到着する。札所間が一番近いのが46番、47番の間かもしれない。寺の前の小川にかかった橋が門になっている。天井を見ると美しい絵が描いてある。なかなかすばらしい。この寺は真言宗だが醍醐寺派だ。醍醐寺派は役行者の系譜を継ぐ修験道の寺である。近年熊野や湯殿山などで修験が復活してきている。ここ八坂寺でも山伏による火渡り(柴燈護摩)が行われるようになっている。毎年4月29日が大祭だそうだ。

■ 大師堂と本堂の間に閻魔道がある。そのわきに極楽の道と地獄の道がある。ここで極楽往生手形を受けられるそうだが、どこでもらえるかわからなかった。極楽往生はできないかな?ちょっと困る。
  極楽往生手形をもらったら「十善戒」の教えを守らなければならないそうだ。でも「無意味なおしゃべりはしない」「耐え忍んで怒らない」などは守れそうもないな。

屋根付きの門 門の天井の絵
本堂に上がる石段 大師堂
外国人のお遍路さん  守れそうもないな! 

■ 48番八坂寺から49番西林寺へ

■ 八坂寺を過ぎると大きな溜池が出てくる。弘法大師と溜池は切ってもきれない。土手の下に「へんろ道の」道標がある。なんて書いてあるか不明だが四国で2番目に古い道標だ。恵原諏訪神社を過ぎ、街並みを歩くと「文殊院」にでる。ここは「四国八十八ケ所特別番外別格霊場」で遍路開祖の寺だという。昭和天皇にも「ここが四国八十八ヶ所発祥の寺院」として紹介されたそうだ。ということは公認発祥の地なのだ。

■ 本日は前半や山の中だが、午前中に町に出るので昼食をとるところはいくらでもあるだろうと思っていたが、市内でも久谷あたりはまだまだ田舎で食堂レストランはない。しかし銘菓「一六タルト」の本社近くでスーパーを見つけた。一軒は日曜日休みだがもう一軒が開いていた。飲み物弁当を買って一息つく。もう暑くなってきている。冷房の入った店から出たくない。

■ 暑さを日傘で弱めて県道の歩道を行く。前後に何人かの歩き遍路さんがいる。彼らは朝4時に45番の古岩屋荘を出てきたそうだ。午前中にもう25キロも歩いている。我々はまだ12キロほど。完全に暑さに負けている。貯木場を見ながら重信川を渡る。大きな川だが水量は少ない。それは源流までの長さがごく短いからだ。橋を渡り高速道路をくぐると48番の西林寺はもう近い。何とかその先の49番浄土寺まで行きたい。そうすれば一日4札所めぐりができることになる。徳島以来のことだ。 

弘法大師の溜池  2番目に古い遍路道標 
四国巡礼の祖:衛門三郎の故郷  重信川:水の流れは少ない 


■ 県道のわきに屋根が崩れた小さな社がある。この脇から小道に入るとその先に西林寺の太鼓橋と仁王門が見える。これまでと違って平地の水路脇にある寺だ。寺はたいてい高台にあるがここは水路よりも低い感じ。

■ 弘法大師が杖を突いて用水を作ったというからもともと低地で水が湧きやすいところだった。伊予の関所寺ともいわれ、邪悪な者が門をくぐると無間地獄に落ち込むそうだ。

■ 市内に近く日曜日なので多くの参拝者が来ている。観光バス以外は地元の人で、朱印をもらうわけではなくただお参りをしている感じ。地元に溶け込んでいるのがいい。 

大師堂(西林寺の札所ではない)  太鼓橋と仁王門 
仁王門から下がって本堂  大師堂:この紐で大師さまとつながる 
 十三重の塔 正岡子規の句碑 

三坂峠ー坂本屋旅館 4q 1時間30分   下り山道
坂本屋旅館ー46番浄瑠璃寺 3q 1時間30分 一部山道
46番ー47番八坂寺 1q 30分 里道
47番ー48番西林寺 4q 2時間   昼食休憩含む
48番ー49番浄土寺 2q 1時間   街道
49番ー媛彦温泉 2q 4時に到着   里道
直線上に配置
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