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■昨日は東京発で12時から歩きだし77番道隆寺、78番郷照寺、79番天皇寺を回って丸亀に戻り、競艇場脇のホテルに泊まった。本日は列車で国分まで乗ってきた。八十場駅から国分駅まで5キロは歩き旅ではなくなった。
なぜならば私たちの体調では、八十場駅から歩いて五色台(海抜300m台地)の二つの札所を回ることはできない。途中はかなりの山道で宿泊所はまったくない。途中根来寺で出会ったエストニアからの女性遍路は本日は83番一宮寺まで行くと言って山を駆け下りて行った。私たちにはとてもできない。
夕方遅くなってやっと予讃線の鬼無駅にたどり着いた。昨日と同じ丸亀のホテルに泊まった。荷物は預けて来たので軽装だったが、それでもかなりきつい一日だった。
あとで聞いたらここも「へんろころがし」の名がついているそうだ。
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予讃線:国分駅(無人) |
歩き遍路地図 |
■ 昨日は79番までめぐって列車で丸亀に戻った。丸亀のホテルは奥さんのお気に入りなので今回は連泊することにした。荷物を持たずに歩くことができる。立派なホテルなのに値段はへんろ民宿はよりも安い。今朝は丸亀から国分(こくぶ)駅まできてここから、山登りすることになる。本日のコースはけっこうきついらしく「へんろころがし」と言われているそうだ。
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仁王門 |
正しい姿のお遍路さん(車遍路) |
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国分寺本堂:我らはハイキング姿 |
弁天さんってお寺の方かな? |
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■ 立派な本堂があり、奥さまはしっかりお参りをしていた。ここには千手観音がおられるそうだ。
私は大師堂に行こうとしたのだが、それらしいものは見えない。あたりを見渡すと弁天様と七福神が祀られている。お寺と弁天さんの関係はよくわからないのだが、まあいいか!
納経所で聞いてみると建物の中に大師堂があった。
写真禁止なので大師堂の写真はない。これまで79ヵ所で本堂、大師堂は必ず写真を撮ってきたので、ここで欠けるのはちょっと残念。でもまぁいいか!
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仁王門 向かって左側 |
仁王門 右側の格子の中に仁王さん |
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本堂(金堂) |
小僧さんにはどこでも出会う |
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弘重要文化財:鐘楼 |
大師堂はこの中にある:納経所 |
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■昔の国分寺は741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院であり、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれた。しかし国からの援助がなくなるとほとんどの国分尼寺は廃寺になり再興したものはなかった。
国分僧寺もほとんどがなくなったが宗旨を変えて存続したものもある。四国には旧国に4つの国分寺があるが,ここ讃岐の国分寺だけ当時の場所に存続した珍しい寺である。現在の寺の裏手で当時の遺跡が発掘中である。
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発掘中:建物の中に礎石 |
裏手から山に入る:アカシヤの植木 |
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国分寺から「へんろころがし」 |
五色台は真っ白な凝灰岩からできている |
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眼下に予讃線! |
急坂は短い!一本松峠! |
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一本松峠には車道が通っている。右に行けば82番根香寺(ねごろじ)左に行けば81番白峰寺(しろみねじ)である。2週間前に通ったばかりの清水さんのアドバイスでまず車道を通り81番へ向かう。歩く道は車道を横切ってくだる。
涼しいし気分はいいだろうが上り下りがあり遠い。自衛隊のフェンスに沿って2キロほど歩き、途中から歩道に降りる(左の案内柱)。ゼンマイがたくさん生えているので取りたかったが、持って歩くわけにはいかない。
81番白峰寺までいい道だった。 |
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ここから白峰寺の境内 |
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■ 815年に弘法大師空海が白峰山頂(337m)に上った。その後空海の妹の子である智証大師がここに寺を創建した。智証大師は、山の神である白峯大権現の神託を受け、霊木で千手観音像を彫造し本尊にしたという。
■ 白峯寺の中には「頓証寺殿」という建物もある。後鳥羽天皇と戦った保元の乱で負けた崇徳上皇は讃岐に流され、都へ戻れないまま流刑地で没した。白峰山に陵墓が造られた。崇徳院と親しかった西行法師が詣で法楽を行った。その後慰霊のため陵墓近くに、崩御までの6年間を過ごした木の丸殿をここに移した。現在の頓証寺殿がそれである。
■ 四国88カ所霊場の白峯寺に詣でる人は多いが、実はこの崇徳天皇の御陵に詣でる人も多い。私が訪れた時も、駐車場にいたタクシーの運転手さんは
「みなさん御陵にこられています」と教えてくれた |
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七重門の前で! |
正面に護摩堂、納経所 |
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崇徳天皇の頓証寺 |
本堂、大師堂は石段の上:狛犬シャクナゲ |
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本堂:下は格子天井 |
大師堂 |
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崇徳上皇がなくなってしばらくして西行法師が慰霊の旅をした。五色台の下にある・・神社から急な坂を上ってここまでやってきた。その道を今は「西行道」として参拝の人がとおる。
私も知っていれば79番から80番を後回しにしてこの道を上ったのだが・・・、ここから下る気はなく、白峰寺をゆっくり参拝して、讃岐へんろ道を82番根香寺に向かった。
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崇徳天皇陵:西行の道 |
白峰寺と御陵 |
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坂出の東には300mを超す溶岩台地が広がっている。
溶岩はカンカン石と言われる固い安山岩です。
この溶岩は古い時代に噴出したもので、
現在知られる火山由来ではない。
溶岩は長い間に侵食され、谷がいくつも刻まれ、
いくつかのブロックに分かれています。
そのなかで目立つ峰に
青峰、黄峰、赤峰、白峰、黒峰の
五色の名前が付けられています。 |
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81番白峰寺は五色台の白峰にあった。
82番は青峰にある。
二つの札所の間は50丁の距離で
讃岐の遍路道が結んでいる。
旧陸軍の演習地でいまも善通寺部隊の
敷地なので開発が進まず、大変保存がいい。
丁石は、かなり補修したが、
50丁分(ほぼ5.5q)残っている。
、上り下りはそれほどでもない。
しかし我々の足では2時間以上かかった。 |
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いろいろな道しるべ:丁目石はここでは重要 |
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81番白峰寺から82番根香寺への道! |
5qに2時間半ぐらいかかる |
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■ 白峰に81番白峰寺、青峰に82番根香寺がある。その2寺の間には讃岐遍路道が残っており、重要文化財として保存整備が進んでいる。これはなかなかいい道で、歩いてよかったと思っている。
地元の中学生も授業の一環として歩いているようで、今回多くの生徒たちに追い越された。
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■ 82番の根香寺は五色台の主峰、青峯山山中にたたずむ。
弘法大師は密教修行の地としこの山に「花蔵院」を建立した。
大師の甥の智証大師が訪れ、山の鎮守の一之瀬明神に出会い、
「蓮華谷の木で観音像を作りなさい」というお告げをうけた。
智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し「千手院」を建てた。
この霊木の根は芳香を放ち続けたことから「花蔵院」「千手院」を総称して根香寺とよんだ。
根香寺は後白河天皇の帰依も厚く隆盛を極めた。と記されている。
弘法大師が開祖だがいまは天台宗。 |
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仁王門、大きなわらじ |
石段の上にほんどうがある。 |
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仁王門からいったん下り |
また昇り返して本堂、大師堂に行く |
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大師堂 納経所は下にある。 |
五大明王を祀る |
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根来寺の山中の密教の修行の地だった。
外界からの影響を断って修験者が活動をしていた。
俗人にはわからないような現象も起こっていた。
近年はパワースポットとしても知られる。
怖いもの見たさに訪れる人も多い。
仁王門の脇に「牛鬼」の大きな像が参拝者を驚かす。
人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼が青峰山に棲んでいた。
弓名人山田蔵人高清は山へ入ったがなかなか牛鬼が現れない。
そこで高清は根香寺の本尊に願をかけた。
21日目の満願の暁に、牛鬼が現れ口の中に矢を命中。
高清は牛鬼の角を切り寺に奉納。
牛鬼の絵は魔よけのお守りとして親しまれている。 |
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牛鬼が睨んでいる |
仁王門大草鞋 |
四十七丁目石 |
旧陸軍の用地 |
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休憩所 |
ここも停まることができる |
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エストニアから来た遍路さん |
高松の町が見える |
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高松の町は夕暮れを迎えていた。長い1日を終えてやっと「鬼無」駅まで降りてきた。さっき追い越されたエストニアの女性はこの先4キロの一宮寺まで行くと言った。まだついていないだろうが、すごい体力だ。
我々はよれよれで列車に乗って丸亀まで戻る。明日はこの駅から一宮寺(田村神社)に向かう。
とても疲れたが、今日も3か所の札所を巡った。 |
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発 |
着 |
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第10回 |
丸亀7:10 |
国分9:30 |
列車 |
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国分9:35 |
第80番国分寺10:00 |
歩き |
0.5km |
9:35 |
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国分寺 |
一本松峠10:50 |
歩き |
3.4km |
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一本松峠 |
第81番白峰寺1:30
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歩き |
4.0km |
1:30 |
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白峰寺2:00 |
第82番根香寺4:00 |
歩き |
5.5km |
4:00 |
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第82番4:30 |
鬼無駅6:00 |
歩き |
5.5km |
6:00 |
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鬼無駅 |
丸亀駅7:00 |
列車 |
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丸亀駅 |
丸亀(ホテル) |
タクシー |
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18.9km |
8時間25分 |
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