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■ 昨日の「へんろころがし」を越えることができたので、本日は楽勝だろうと気楽に考えていた。しかし昨日のダメージはかなり残っており、舗装のゆるやかな下り道でも息を整えないと歩けない状態だった。一日歩いたが次の札所まで行くことができなかった。
■ 自分たちだけかと思っていたが、昨日一緒だった埼玉の二人組も同じで、ゆっくりやっと歩いている。彼女たちとはその後も、前後しており、3日後の第19番の恩山寺でも出合った。
■ 次の第13番大日寺までは22.5キロ。下り道だが、結局は行きつけなかった。2日目に泊まった民宿の「里山辺」のご主人に、「いつでも迎えに行きますよ!」と言われていたので、電話して南行者野橋まで迎えに来てもらい、第9番近くの民宿「里山辺」に戻って泊まることになった。翌日は南行者野橋まで車で送ってもらい、そこから5キロ歩く予定。しかしまだわれらの遍路道はまだつながっている。 |
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朝 大師堂 出発 7:30 |
三面大黒天 |
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きのうこの坂を上るのがやっとだった! |
昨夜は暗かった:お堂の配置がわかる |
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白い建物の裏が宿坊 |
遍路を始めた衛門三郎最後の地 |
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焼山寺は山の上にあるが、13番の大日寺の方から車道が続いているので車で上がることができる。昨日夕方やっと駐車場の脇に着いた時に、袈裟を着た3人に僧侶が車から降りてきた。
「こっちの道はきつかった!」
と独り言を言ったら、その僧たちは
「そんなことで威張るな!」
と怒った顔をして去った。
「ごくろうさまでしたね!」
ぐらい言ってくれればいいのに。
地元の僧ではなく、檀家の人たちを連れて参拝をしていた。檀家の人たちには優しそうだが、歩き遍路に偏見を持っている。なんだかとても寂しくなった。奥さんは疲れ切って、何が起きているか全く無関心だった。 |
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■四国遍路の先達 衛門三郎
伊予の国、衛門三郎という長者がいた。しかし大変な強欲で、村人たちを苦しめていた。道で病にたおれ苦しんでいる人に竹を振り上げて追い払ったりした。ある日、弘法大師は汚い衣装姿で「鉄鉢」をもって、長者の門前に立った。衛門三郎は直ぐ追い返したが大師は8日間毎日門前に立った。
衛門三郎は怒って「鉄鉢」を取り上げ大地に叩きつけた。鉄鉢は八つに砕けて光を放ち、大空高く舞い上がり、大師の姿はかき消えた。衛門三郎には仏罰があたり、長男が病気もしないのに急死。その翌日次男が死に、8日間の間に8人の男の子が死んだ。強欲非道な衛門三郎も嘆き悲しみ、8人の子供を葬った。その地は八塚として今も残っている。
衛門三郎は空海上人が四国を巡っているという話を聞き、あのときの乞食坊主が空海上人に違いないと思い、上人に会ってお詫びをしたいと考えた。田地田畑を売って、みなに分け、奥さんとも別れて、上人の後をおった。20回も四国霊場をまわったが会うことができなかったが21回目は逆にまわってみたところ、第12番焼山寺のふもとまで来たときに疲れ果て息が絶える寸前になった。
そこへ弘法大師が現れ、「よく生きた、死の前に望みをひとつかなえてあげよう」と言った。長者はなんとか衛門三郎の子孫が繁栄できるようにと頼んで息が絶えた。弘法大師は長者に「衛門三郎再来」と書いた小石を握らせた。その後伊予の大名である河野家に子どもが産まれた。その子は手を握ったままだったが、それを開かせると「衛門三郎再来」と書いた石がでてきた。のちにその子は立派な国司になったという。
その石は第51番の石手寺にある。長者を葬った杉の杖は巨大な杉の木になった。長者が亡くなったのがここの「杖杉庵」である。衛門三郎は四国巡礼の先達と言われる。
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四国のみち:遍路道は違う |
衛門三郎の大杉 |
ここから歩き道 |
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後ろは第12番焼山寺。青石の石垣が立派 |
自動車道路と交差する |
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鍋岩に降りるみち。梅畑 |
自転車遍路。この荷物、登りはムリだよ! |
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鍋岩バス停:コーヒーがある |
鍋岩集落:しだれ満開 |
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■ 焼山寺から鍋岩バス停まではヘアピンカーブの自動車道を突っ切って
歩道が続いている。自転車の人が上がって来た。自転車を押して
上がっていたが、荷物が重そうで、2時間ぐらいはかかるだろう。
■ 鍋岩 : 第11番藤井寺から初めての人家。お店。コーヒーもある。
けど飲まなかった。ここから大型バスが通れる道が続いており、
次の集落には温泉もある。
我々は、ここから玉が峠にあがり、水平道を広瀬橋に向かう。
■ 目の下に鮎喰川の蛇行が見えるすばらしい遍路道だ。
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ヘンロ小屋:夏ミカンお接待 |
20℃になった |
峠の下に板の橋がある? |
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玉が垰(たお:峠のこと)への登り |
垰=峠 |
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へんろ小屋からの眺めは最高! |
お城の石がみたいだ! |
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鮎喰川の蛇行! |
低いところが玉が峠:あそこから来た |
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■ 水平道路を鏡石大師に行く。道路の下5分ほどだが、疲れた足にはきつい。
鏡岩から下りで広瀬橋にでる。地図にはお店のしるしがあったが閉まっている。
自販機でコーヒーを買う。コンビニが欲しいなあ!
■ 橋を渡り、駒坂峠に向かう。おばあさんが各所にいると思ったら
全部人形だった。本物のおばちゃんに聞いたら、人間よりも人形のが多いかな?
■ 駒坂峠を越えたら、眼下に橋が見える。案内書には「板の橋」なので流される時もある。
と書いてあったが、コンクリート橋。それが壊れており、補修中。橋の真ん中に
奥さんがいるのが見えるかな?? 20℃を越えた。暑い! |
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おばちゃんかと思ったら人形! |
板ではなく、コンクリートの橋! |
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ここもサクラ満開。鮎喰川 |
鮎喰川の清流:徳島市街へ流れる |
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広瀬橋:渡らない方が正解だった |
自動車道:対岸の方がよかった。 |
■ 広瀬橋を渡ったら自動車の多い県道にでた。鍋岩からバスで降りてくるとこの道になる。お遍路歩きの
記録を見ると、この道を歩いている人も多いが、私は自動車道を歩く気にはならない。
■ 遍路道は何本もあるので好きな道を通ってよい。本日のコースは大変良く、最高。
■ しかし広瀬橋を渡ったところから、自動車を気にしなければいけなくなり、一気に気分は落ち込んだ。
南馬喰草というバス停を通る。なんて読むのか?? 対岸の方がいい道のようだ。こっちに来たのは
失敗だった。
■ 南行者野橋をめざして歩くと、対岸にパトカーと消防車が集まっている。水防訓練かな?
後で聞いたら、女性が浮かんでいたとか??こんな静かな所でも事件が起こるのか!
■ 南行者野橋まで、差支所に泊った「里山辺」のおやじさんが、奥さんと一緒に迎えに来てくれた。
車で民宿「里山辺」に向かった。
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第12番焼山寺 宿坊 |
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7:30 |
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0歩 |
鍋岩集落(バス停) |
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9:15 |
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7460歩 |
玉が峠 |
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10:30 |
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10711歩 |
ヘンロ小屋 |
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11:20 |
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13544歩 |
鏡岩 |
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12:15 |
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17880歩 |
板の橋(駒坂峠下) |
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13:15 |
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19350歩 |
広野橋 |
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14:30 |
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28200歩 |
南行者野橋 |
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15:30 |
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33130歩 |
民宿「里山辺」(迎えあり) |
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16:10 |
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