但馬の一宮・出石神社 |
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豊岡市に合併したが出石は古い城下町で、文化的にも優れた町だった。こんかいわずかの時間しかなかったが、JR江原の駅から急いで但馬の一宮である出石神社にお参りした。江原から出石には、昔は軽便鉄道があった。まだ円山川の中には橋げたが残っている。いまはバス便は2時間に1本しかない。11時40分発のバスの乗客は私たちだけ。一宮を、この地の人は「いっきゅうさん」と呼ぶのだと運転手さんから教わった。出石川の堤防の上にある鳥居前という停留所で降りたが、ここから神社までは遠かった。 |
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この神社の鳥居は「両部鳥居」(右)という形式だ。両脇には頑丈な脚が付いている。この鳥居は神仏習合の神社に多いものだそうだ。一番有名なのは厳島神社の海の上に立つ赤い鳥居だろう。 ついでに[鳥居]というバス停は、河川改修の際に土中から鳥居の木口が出土したことに由来する。その木口は保存されている。・・・・ |
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但馬一宮はもう一か所、兵庫県朝来町の粟鹿神社(あわがじんじゃ)がある。
しかしこの出石神社も立派だった。祭神はアメノヒボコの命である。この神は、「私は新羅の主の王子である。」と名乗ったという。この神様は新羅で夫婦ケンカをし、妻のアカルヒメは難波に戻ってしまった。アメノヒボコは妻を追って日本に来たが、難波の海を支配する神(住吉さん??)が遮って妻の元へ行くことができなかった。
そこで但馬の国に行き(なぜ但馬なのだろう?)、そこで現地の娘マエツミと結婚し、但馬の国つくりに貢献したそうだ。
さらに古事記ではアメノヒボコとアカルヒメの子孫がタジマノモリ(但馬の守?)で、その次のタジマノヒタシの娘が息長帯比売命(神功皇后)の母であるとされている。 |
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千木は外削ぎで、高くそびえている。男神だ! |

発掘された昔の鳥居の木口 |
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ちょっと弱そうな狛犬
両方とも角がある? |
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両部鳥居の両側の狛犬。
左右は拡大版 |
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ほんの数十分の見学で、バスに戻ろうとしたが、時間が足りない。そこで後ろから来た車に頼んで、バス停まで乗せてもらった。奥さまは計画性がないと怒ったが、時には地元の人にお世話になってもいいじゃない。私だって田舎道を走るときには乗せてあげているのだから。
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ところで出石には永楽館という古い歌舞伎小屋があるという情報を得た。1901年に染物商の小幡家により建設され、但馬の芸能文化の中心となり、歌舞伎や落語、宝塚歌劇団などの公園も行われたそうだ。
しかし1963年ごろから、一部パチンコ屋に改装されたが1973年に閉鎖された。1989年「出石城下町を活かす会」によって、使用が再開されて、1998年に出石町の文化財に指定され、豊岡市によって創建時への復元工事が開始され、2008年に完工した。
座頭6代目片岡愛之助によるこけら落とし公演が行われた。今回は時間がなかったが、11月の公演には、ぜひ来るぞ!
と奥さまは張り切っている。 |