やまとひめの旅 2日目へ 3日目へ
 やまと姫は、大和の檜原神社に祀られていた天照大神をお連れし、伊賀、近江、美濃をめぐって伊勢の新しい宮にお移しした。その後姫は伊勢神宮のそばに宮を作り、天照大神をお祀りした。やまと姫は天照大神の御杖代(みつえしろ)として旅をし、斎王(さいおう)として斎宮(さいぐう・いつきのみや)で過ごすことになった。平安時代になると斎王は制度化され天皇の皇女が代々勤めることになった。

 のちの表わされた「倭姫世記」などの書には、やまと姫は十五の宮を巡ったとある。現在それらの宮は一応「比定」されている。最初の宮は大和の桧原神社、その後大神神社、宇陀の阿紀神社、篠畑神社、伊賀の神戸神社などなどを巡った。昔の私だったらとうぜん全部歩いて回ったが、老齢になった今、列車、バス、タクシーを使うことになった。


  元伊勢 桧原神社
 巻向駅からヒミコの墓とされている箸墓をとおって、桧原神社に登って行った。桧原神社の手前には池が二つある。三輪山の山裾には農業用の溜池がたくさんある。池のほとりには川端康成の筆になる「やまとはくにのまほろば・・・」の碑がたつ。
 桧原神社は大神(おおみわ)神社の摂社である。原始の信仰スタイルは神奈備山を拝む方式だった。なので大神神社には本殿はない。拝殿をとおして三輪山自体を拝む方式である。桧原神社はさらに簡素で、拝殿さえない。三ツ鳥居と呼ばれる白木の鳥居があるだけだ。
 境内には小さな社殿があるが、これはやまと姫の先代の豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)の社である。やまと姫の社殿はないのはちょっと不思議だ。

 地図を見ればわかるように桧原神社と大神神社は三輪山をめぐる山麓にある。この麓あたりに第10代崇神天皇の都があった。天皇家の祖先神である天照大神はとうぜん宮中に祀られていたが、ある年に国中に疫病が発生して、都の人が大勢死んだ。その理由を巫女に尋ねたら、宮中にニ柱の神を祀ってはいけないとの宣託があった。

 そこで宮中に祀られていた大国魂神は大和神社に、天照大神は桧原神社に出ていただいた。大国魂神は大和神社にいまも鎮座しているが、天照大神は別のところに宮地を探していた。
 最初は豊鍬入姫命とともに丹後などを探したが、姫の老齢化で元の桧原神社に戻ってきた。そこでやまと姫にバトンタッチをして、再び探索の旅に出ることになった。
眼下には箸墓が見える。遠くには二上山が見える。 これが三ツ鳥居。三輪神社では拝殿の奥にあるので見えない。
 01 大神(みわ)神社 
 大神神社 大鳥居 高さは32.3m   これでみわ神社と読む。
大神神社と書いて大みわ神社とよむ。駅の名前は三輪である。
このお宮は立派であるが、鳥居の中にあるのは社殿ではなく拝殿である。
本殿は拝殿の奥にある三つ鳥居のさらに奥にある三輪山自体である。

うっそうとした森に包まれた立派なお宮に入ると「何ごとがおわしますかは知らねど、涙こぼれる」(西行法師)ようなありがたい気持ちになる。体は何となく緊張をしてしまう。

 幽玄の鳥居の脇にある三輪ソーメンのお店に入る。前回来たときはお休みだったが、本日は日曜日。開いていた。ソーメンの横にある柿の葉寿司はお店のおじょうのプレゼント。わが奥さんの仕舞の仲間である。

 やまとひめの痕跡はこの宮には何もなかった。本当にこの社から巡幸の旅に出たのだろうか。不思議だが「倭姫世記」にはそのように書かれいているそうだ。

 01 阿紀神社(大宇陀)
 「倭姫世記」には元伊勢を出発した一行は最初に大宇陀の「宇太阿貴宮」にしばらく留まったとされている。この辺りは神武天皇が倭に入るときに通った初期天皇家ゆかりの地で、何らかの意味のあるところだった。

 私は昔、伊勢本街道を走ったことがある。このお宮には寄らなかったが、多気から一日でこの近くまできた時、薄暗くなった墨坂神社の灯篭がパッパッとともった風景が忘れられない。

 阿紀神社の本殿の鰹木は伊勢神宮と同じ10本。伊勢神宮以外に10本の鰹木は許されないはずだが、「元伊勢」なので許されているのだろう。これはなかなかいい風景だ。
 左は境内にある能舞台。橋掛かりもある立派なもので、毎年ここでは「蛍能」が行われるそうだ。今年は6月18日。残念ながら本日は5月8日。もう一か月待つのは難しい。

 私は奥さまの影響で少しは能や舞囃子など見ることがあるが、このような地に根付いた能楽などはあまり見たことがない。機会があたら今度はぜひ見たいものだ。

 やまと姫も地元の人に慰められたという感じのするすばらし元伊勢宮だった。

 02 篠畑神社(佐々波多宮)
 この神社も歩いていくのは難しかったので、名張でレンタカーを借りて阿紀神社と篠畑神社を回った。カーナビがついていたが、山辺三の郵便局の上にある葛神社に入ってしまった。この神社もなかなか立派だが、社殿は大社造りで、明らかに伊勢神宮の神明造とは違う。

 あわてて地図を見なおして本当の篠畑神社を見つけた。国道からは少し離れた尾根の上にあった。田んぼの脇につけられた長い階段を上ったら、直角に曲がってさらに階段が続いた。数えるのを忘れたが、ある本には120段とあった。
 拝殿は石段とは直角方向の田んぼに向いている。伊勢方向を向いているわけではない。鰹木はここでは6本だった。

   04 神戸神社(伊賀穴穂宮)
 近鉄電車が事故で大幅に遅延したので伊賀鉄道の上林(うえばやし)駅に着いたのは、5時過ぎ。日が長くなったとはいえ、日没も近く不安が募る。駅からは川を渡らなければならない。
どの橋を渡るかわからない。人に聞こうにも誰も通らない。
 交番にも人はいなかったが、奥さまの勘で、橋の向こうの森の中に行った。白木の立派な社殿があった。 
伊勢の遷宮の古材をもらって作られたそうだ。日没直前に鰹木の円形銅板がピカーと光った。
ここは日の神様である天照大神の古い社(元伊勢)だと確信する。
 

このあと暗闇の中、上林駅まで戻って、再び伊賀鉄道にのり、上野市駅へ。
駅前のちょっとしょぼい食堂に入って地元名産というメニュー。あまり名物という感じはなし。
みそ味が違うので、われらの舌にはあわなかった。奥さま少々不満
夜道をあるいて中心街の上野フレックスホテルに宿泊。このホテルは立派で部屋も大きく奥さまは満足。