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四国遍路第11回 1日目                       2018.10.8-11 
■前回5月で結願と考えていたが、体力の衰えは隠せず、3日以上の歩きはムリと判断した。涼しくなった10月、3泊4日で88番結願寺の大窪寺に行くことにした。

◆10月7日は京都で奥さんの仕舞の発表があったので一泊し、朝8時に京都駅を新幹線ででて、11時には高松駅に着いた。
前回は83番の一宮寺に参拝して、琴電で高松駅に戻った。今回は83番から歩き遍路道のはずだが、交通量も多く楽しくはない。楽しくないことはやらない、と言い訳をして、片原町のホテルに荷物を預けた。
■市街からもはっきり見える源平合戦の古戦場の屋島(第84番屋島寺)に向けて歩き始めた。


■ 本日は好天気で長袖では暑い。1時間ほどで屋島への登り口潟元駅にでる。そこから屋島の平らな台地を見る上げると山肌にほぼ直線状の線がみえる。昔あったケーブルの跡らしい。にわかケーブルカー愛好家としては見過ごすことはできない。かなり寄り道になるがケーブルの麓駅にむかう。
■しばらく行くと屋島台地に向かう八幡宮の石段が続いている。両脇には狛犬もある。狛犬愛好家でもあるので、さらに寄り道になるが石段を登り始める。奥さんは、「お遍路道に戻ろうよ!」というが、寄り道も大事。八幡宮の上の細道をちょっとだけ上った。蜘蛛の巣が張っており、奥さんは虫に刺されて怒り狂っていたが、目の前にケーブルの線路がある。脇の石段に出たら上までまっすぐなレールが見える。廃線になったがまだレールは外されていなかった。下を見ると一両だけ緑色の車両もみえる。そばに寄ってみるとかなり大きな車両で100人以上乗ることができる。その昔全国一の乗客数を誇ったこともある由緒あるケーブルカーだ。

■今はガラスも割れ、哀れな形で放置されている。ケーブルカーは2両で一組だが、相方はどこに行ったのだろうか。上の駅にまだ置いてあるのだろうか。両車をつなぐケーブルは撤去されているので上にはもうないはずだ。屋島は源平合戦の地。盛者必衰の理なのだろう。しかしもったいない!

    第85番札所 屋島寺

2時間ほど寄り道をして元の遍路道に戻る。いい登り道で地元年配者がウォーキングをしている。追い越して行った人がしばらくすると降りてくる。足が強くないと年寄りにはなれないのだ! やっとの思いで登りきったところに第84番屋島寺の仁王門がある。さっそく訪問の証拠写真を撮る。

ご本堂:車で来た人ばかり  大師堂!

急いでもどり、参詣する。唐から来た鑑真和上が753年に伽藍を建立し、弘法大師が815年に伽藍を移転したという。それ以来山岳修験の霊場として栄えた。立派な宝物館があり、源平合戦にまつわる宝物が収められている。 
 ここまで84か所も来ているのに私はまだ真言を唱えることはできない。88か所ウォーキングなのだからまあいいか。わが奥さまは般若心経を唱えられるので、私がケーブル廃墟を見にいっている間に唱えたらしい。ご朱印をいただくこともないので、寺にいる時間はせいぜい30分。 

駐車場側の門  蓑山大明神の赤い鳥居前に巨大なタヌキの夫婦

ケーブル上駅の廃墟。廃墟巡りの外国人たちがいた。華やかな屋島とさびれた屋島、2018年10月! 甚五郎ホテルの廃墟、ケーブル駅であった廃墟巡りの青年たちとまた出会った。
旧甚五郎ホテル前から目の下の壇ノ浦に下る。地元の散歩おじさんは、「向こうに降りる道はないよ!」と言った。たしかにものすごい傾斜でこんな道で散歩はできない。わが奥さんは四苦八苦。こんな急な道はこれまでになかったという。いったんドライブウェーに出るがさらに急坂は続き、やっと海と同じ高さになる。源平合戦で有名な壇ノ浦は埋め立てられて新興住宅地になっている。壇ノ浦をわたって琴平電鉄の八栗駅にでる。
ここが下り道:わかりにくい! こんな急坂、下りのは大変!
下り終えたら壇ノ浦 壇ノ浦は今は埋め立てられて団地の裏

■遍路地図で調べると本日のルートは6キロ。しかし私の歩数計は2.9万歩、18qほどだ。
屋島ケーブルの跡、讃岐の東照宮など寄り道が多かったせいだろう。
片原町の高松REIホテルに2泊する予定。


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