アイコン 5月12日(月)
曇り時々晴
長崎市街→雲仙温泉→仁田峠・普賢岳→諫早→鈴田峠→長崎空港
直線上に配置
◆雲仙温泉は雲仙火山群の中で比較的平坦な場所にあって、古くから湯治場所として栄えていた。一説には行基(天智天皇7年(668年)ー 749年)によって開かれたとのこと。幕末の頃吉田松陰や長崎にいたシーボルトなど外国人たちが湯治にやってきたという。昭和年9年、日本ではじめての国立公園に指定された。「温泉」と書いて「うんぜん」と呼んでいたが、このときから「雲仙」と書くようになった。
雲仙の最高峰は普賢岳1359mで、いくつかの火山からなっている。雲仙は過去のにも噴火を繰り返していたが、1989年に群発地震が始まり、1990年に噴火した。その時に「火砕流」が発生したというニュースが世界に流れ、フランスの火山学者であるクラフト夫妻も映像におさめるために来日し、都立大地理学科の研究員だったグリュッケンさんを通訳にして雲仙に向かった。1991年6月3日に火砕流が発生し報道陣、消防団、タクシー運転手ら43人が亡くなった。そのなかにクラフト夫妻、グリュッケンさんもいた。私は当時都立大学で非常勤講師をしており、グリュッケンさんとは何回か挨拶をしたことがあった。翌週研究室の前に花束が飾られていた。

 下は同じ場所、噴火前の普賢岳の姿。  
 そんなことを思い出しながら251号線を小浜温泉へ向かう。右手には橘湾が見え、山手には棚田が広がっている。

 小浜温泉から57号線を上り、雲仙温泉にいく。今回は温泉にのんびりではなく、噴火後を見たかったので、温泉地獄、温泉神社をちょっと眺めて、仁田峠(にたとうげ)にむかう。峠への道路は有料道路(750円)、第一展望台からクジラ形の湯島と天草の島々が見える。島原の町は眉山の裏になるので見えない。この展望台から、普賢岳と平成新山が眼前に見える。平成新山のほうがはるかに高い。日本で一番新しい山、さらに長崎県で一番高い山になった。それにしてもすごい自然パワーだ。

 下の写真は火砕流が流れた跡。左は1991年の写真。HPから引用。左下は火砕流跡、海岸部は水無川から深江港。
◆仁田峠はツツジの名所。5月中旬が見頃とガイドブックには書いてあったが、まだちょっと。来週(5月20日)あたりが最高だろう。
◆この峠から妙見岳(1333m)にケーブルカーがかかっている。普段は高いところに上りたがるが、今日は中止。左は上から眺め。
◆普賢岳登山口の普賢神社の仮拝殿に詣でる。平成新山の一部は登山禁止だが普賢岳は解禁されている。由緒正しい神社は近々再建される。
直線上に配置
◆雲仙は島の真ん中にある山なので、どの道を下っても海岸に出ることができる。ちょっと急ぎだったので神代に続く道を下り、グリーンロードという広域農道を諫早方面に向かった。高速道路を造らなくてもこんな道路で十分じゃないか。
◆道路の途中から諫早湾を締め切った堤防道路が見えてくる。こんな広い場所を埋め立てようとしているのか? 山ばかりの地域で、平地がほしいのかもしれないが、こりゃちょっとやりすぎだ。漁業者にとっては大事な生産の場所だったろうに。こんだけ埋め立てれば、この地の環境は大変化するよ。アセスメント(事前の予測)が何もなかったのだろう。すでに干拓された広い麦畑を通り抜けて飛行場のある大村に向かう。
直線上に配置
◆諫早から大村に抜けるには峠を越えなければならない。長崎街道の要衝だった鈴田峠(237m)には古い旧道が残っており、ハイキングには最適だそうだ。一度通ってみたい道だ。峠にはマーケットがあり、地元産の産物を売っている。
◆野菜バイキングレストランもある。値段はこのあたりにしては高く(1260円)けど、健康志向の人々が結構たくさん入っている。なかなかいいアイディアのレストランだ。
◆峠を下り、大村の大規模なショッピングセンターでおみやげを買って、長崎空港へ。4時に乗って、我が家には7時に着いていて、夕食。
◆お昼は長崎で野菜バイキングを食べていたのに。信じられないような近さなのか、不思議な感覚だ。
直線上に配置
アイコン
5月10日(土)
暴風雨
アイコン
5月11日(日)
晴天
アイコン
5月12日(月)
まあまあ晴天
直線上に配置