日向の国は今の宮崎県付近である。神武天皇を祭る宮崎神宮が宮崎市の中心と思われがちだが古代の中心は西都市にあったようだ。西都市の高台の上には日本最大級の西都原古墳群がある。この古墳群は大和朝廷の支配の後に作られたもの。ということは大和からの逆輸入ということである。
日向国府
西都市のランドマークである都萬(つま)神社脇の交差点に「お舟塚」がある。ニニギ命(天孫)が高天原から降臨した際に乗ってきた船があった。その塚から少し稚児が池の方に登ると広い敷地がある。発掘調査が進み国府の構成がわかるようになっている。現在はまだ整備が進んでいないのでただの原っぱに見える。
都萬神社
西都の街の北方に「妻」という地名がある。都萬(つま)神社からでた名前である。天孫ニニギ命の妻となったコノハナサクヤ姫がこの神社の祭神である。ちなみに天孫ニニギ命は霧島神社の祭神になっている。
日向二宮で日向国の総社ともいわれていた。格式ある延喜式内社であるが「総社」の表記はどこにもない。日向国府にこの神社は欠かせない存在だったようだ。
総社 三宅神社
総社を名乗っているのはこちらの三宅神社である。ヤクルト2軍のキャンプ地であるグランド脇にある小さな神社である。台地の上にあるので町を見下ろす大変いい立地である。
日向国分寺
国分寺跡の位置もわかっており報告書も出されている。のちの世になって国分寺が荒れたのを見かねて「木喰上人」が木像の五智如来を作った。現在は4体しかないが1体は九州博物館に展示中だとか。
日向国分尼寺
国分尼寺跡は県立妻高校の構内にあり、発掘も進んでいる。今コロナ禍で構内に入れなかったので石碑、説明の写真を撮れなかった。賀曽利さん持ってたら借用させてください。写真は学校前と急坂「尼寺坂」のみ。
印鑰神社
印は国司の印璽、鑰(にゃく、やく)は税を納めた建物の鍵である。大事な印と鍵を象徴する印鑰神社は重要な役所だった。信濃国では印鑰神社を総社としていた。
博物館には印璽があった。これま国司の印ではなく郡司の印であるが、実に大事なものであった。なので神社に納められたのだろう。
日向国は国府、総社2社、国分寺、国分尼寺、印鑰神社の跡が全部残っている稀有な例だろう。さらに台上には1000基ほどの古墳があり、その中には陵墓参考地もある。
一体どうなっているのだというほど楽しい場所だった。おまけに古墳写真を入れておみます。
鬼の窟古墳!