【🐶全国狛犬100選🦁】020

福島2 白河は飛翔狛犬の発祥の地 飛んでるよ!

  白河には陸奥国一之宮と称する都々古別神社が数社ある。これは石川にある”石都々古別神社” の狛犬である。この地にはかなり変わった雲の上に載り足を後ろに流している飛翔狛犬が居る。

 この狛犬を作ったのは小林和平という石工、芸術家である。子供3人を亡くし失意のの48歳の時に作った。吽形は母親で二人の赤子をおなかの下に小学生で亡くなった娘は母親の顔のそばに配した。

  小林和平には小松寅平という高遠石工の伝統を引く師匠がいた。確執があったが最後には和解したが、それぞれの弟子の代で白河の飛翔狛犬の歴史は終わった。上の狛犬は川辺八幡のもの。阿形だけが小林和平のものらしい。吽形は雲に乗っていない。弟子の作品のようだ。

 次の飛翔狛犬は古殿八幡のものだ。51歳の時の作品で最も脂ののった時期のものだ。古殿まで行くのは大変だが、多くの人がこの名作品を見にやってくる。

  私は車を持っていないので友人の賀曽利さんに話すと「一緒に行きましょう!」と言ってくれる。バイクの後ろに載るのかと思っていたら彼の崇拝者の渡辺さんの車に乗るようにということで、あっという間に走り去った。追いかけるのは大変だ!

【🐶全国狛犬100選🦁】019

福島1 郡山 愛宕神社の筋肉粒々狛犬

 郡山駅を降りて観光案内所に行った。そこのお嬢さんが狛犬愛好家と分かり意気投合。自分で郡山の狛犬案内図を作っているがまだ役に立っていないという。さっそく彼女のお勧めの愛宕神社の狛犬を見に行った。

  口の開け方が半端ない。筋骨隆々、尻尾もぐっと立っていてすばらしい。神社自体は小さいが狛犬は立派だった。台座には昭和18年と彫ってある。私より1歳上だ。

   近くに安積国造(あさかくにつこ)神社がある。安積国は今から2千年前にこの辺りにあった国?、明治維新には国造家55代の安積艮斎が活躍したそうだ。というが2千年前はまだ弥生時代じゃないかな?まあそれはそれで!

  神明鳥居の脇にいる大きな狛犬の阿吽の吽の狛犬の手を見てほしい。普通は子を抑えつけているがここではちょっと手を添えているやさしい手という感じ。なかなかいい。 

  次は阿邪訶根(あさかね)神社! 何と読めばいいのかわからなかった。狛犬はこちらも玉取、子取り! 子供のあたまにちょっとだけ指先を当てているだけで押さえつけてはいない。ここの狛犬はなかなか優しい。

  郡山にはまだまだ多くの神社があり、狛犬が居るようだ。しかし寒くて手がかじかんできたので、狛犬探しは観光案内所のお嬢さんに任せることにした。きっといい狛犬地図を作ってくれるだろう。

【🐶全国狛犬100選🦁】018

山形2 赤湯の烏帽子山八幡宮の威嚇型狛犬!

  山形新幹線で奥羽山脈をぬけると米沢盆地で、盆地の北端に赤湯温泉がある。お花見に名所の烏帽子山公園に行った時にこの素晴らしい狛犬を見つけた。

  出雲の威嚇型の狛犬と同じ形だが、こちらは尾が掲げられてない分、ちょっとマヌカな感じがする。しかし巻き毛、流れ髪、流麗な尾もすばらしい。これだけ大きな狛犬にこれだけの装飾を施すのは並大抵の力量ではないだろう。大正3年建立。

  桜の中にちらっと見える石の鳥居は継ぎ目なしでは最大のものだそうだ。石は花崗岩。狛犬はこの近くの高畠でとれる凝灰岩の「高畠石」を使っている。

  高畠石は各所に使われている。狛犬の他に台座や烏帽子石と呼ばれる岩もみな高畠石だ。烏帽子石の表面は文字が薄くなっており何のためのものか不明。しかし赤湯七岩の一つという。

【🐶全国狛犬100選🦁】017

山形1 大物忌神社は鳥海山の山頂に!里宮に狛犬が居る

   大物忌神社の里宮、海岸の吹浦口にいる出雲丹後型の狛犬である。明治34年(1901)に建立されたが風化が激しく阿形の顔は半分欠けている。福井県で採掘されていた緑色凝灰岩の笏谷石は柔らかく細工しやすいが、海辺の狛犬の劣化は激しい。

  同じく里宮の蕨岡の狛犬も100年たつが、内陸にあるため立派な装飾も残っている。環境の違いによって風化には大きな影響がでるのだろう。

  大物忌神社の本社は鳥海山の山頂にある。いまでも雪のない時期には神主さんも常駐し大勢の参拝者で賑わう。大物忌とは鳥海山そのもので自然崇拝の神である。

  2017年5月4日に若い仲間との鳥海山スキー登山を終えて帰り道にこの神社に寄った。ちょうど例大祭の日でさまざまな儀式が行われていた。神尾先生は「最初から見てみたいね、また来ましょう!」と具体的日にちまも決めたが、その後の病で実現できなかった。残念無念なことだ。

【🐶全国狛犬100選🦁】015

秋田1 十和田南駅の前の稲荷神社の錦木塚と狛犬

  世界遺産になった大湯の環状列石を見るため花輪線に乗って十和田南駅についた。先頭に乗っていたが駅の先には線路がない。ここが終着駅なのか?と思った。

   駅を降りて環状列石を見に行こうと思ったがバスもタクシーもいない。昔だったら歩くのだが奥様が居るので、交通手段を探すために大きな道路に出た。そこに稲荷神社があり、狛犬が居た。環状列石よりもまず狛犬見物だ。

  この狛犬は岡崎型と言われ、愛知県の岡崎でとれる花崗岩で作られている。岡崎では「ひな形」が作られ、それに合わせて大量に生産した。今は日本中の神社にこの形のものがあるが、各地方によって少し違いがある。ここのものは唇が赤く塗られ犬歯が白く強調されている。見慣れている狛犬だが、こんな遠方にまでよく来たな!と褒めてやりたい感じだった。

  この神社は公園の中にある。公園には「錦木塚」という石柱が立っていた。これを見た奥様は急に元気になって、錦木についての説明文を読んで私に説明してくれた。「錦木」というお能の演目があるそうだ。私は古典芸能には全く理解がない。

  ううーん、今の時代では全く考えられない。ダメもとで直接告白すればいいのに。錦木を三年間も立て続けても気が付かなければなんに意味もない。などなど思うが、お能にはそんなのがいくつもあるのだそうだ。

  やっとタクシーを見つけて世界遺産の環状列石を見たが、それほど感激しないまま十和田駅に戻り列車に乗った。この駅はスイッチバック方式で、来た時とは逆に進み大館に向かった。私たちはもう一つの環状列石がある伊勢堂岱遺跡に向かった。

【🐶全国狛犬100選🦁】016

秋田2 旧秋田城の鎮守 古四王神社の狛犬

  秋田は古代には 「齶田(あぎた)」と呼ばれた。 この地に天平宝字5(761)年最北の古代城として出羽の柵が設置され、出羽国の国府がおかれた。しかし蝦夷の国への最前線で攻防があったので国司が赴任することはなかった。現在の秋田氏とは離れているが発掘によって出羽の柵のちに秋田城の跡が確認されている。

  旧秋田城は高清水の岡の上にあり、入口「古四王神社」がある。古四王は「巨四王」とか「胡四王」「越王」などと書かれる。古四王神社は北陸から北の日本海側に数多く存在している。北を目指した武将たちが勝利を願ってつくったのだろうが、祀られる神はなにかよくわかっていない。

   文久4年(1864)生まれの目が丸く鼻の高い狛犬。 口蓋は波打ち、尾は団扇状で、そんきょの浪花型の狛犬の影響が見られるが、秋田型狛犬である。

  最初の石段を上がると右手に田村堂が見える。征夷大将軍坂上田村麻呂をまつるお堂である。わが奥さんは旧姓田村なので大いに喜んでいる。その前に上の狛犬がいる。最初のものと同じくそんきょの浪花型の狛犬だ。阿形は玉持ち、吽形は子持ちである。

  文久元年(1861)生まれの上向き潰れ顔の典型的秋田狛犬。 鋭い目つきで力強く、鬣は長く背に垂らし、尾は背中に張り付いている。 上腕には筋肉が隆々している様子がわかる。3体とも立派なこまいぬである。 石工・倉田 仁兵衛 

   旧秋田城の発掘が進み、資料館も作られている。復活された建物の中で一番の見どころが上の写真の水洗便所だ。化石化した便の中から大陸起源の回虫などが見つかったそうだ。渤海国などと交流があったことがわかる資料である。

 もう一つ追加、菅江 真澄(すがえ ますみ、1754年 -1829年)は、江戸時代後期の旅行家。彼の墓がこの神社のすぐ近くにある。

  

【🐶全国狛犬100選🦁】014

宮城3 蔵王刈田峰神社の三種類の狛犬

  蔵王刈田嶺神社は蔵王山頂に奥宮があるが、遠苅田温泉にも里宮がある。里宮の拝殿前には3対の狛犬が並んでいる。蔵王町観光協会はこれら三種類の狛犬の解説をしている。それに沿ってみて見よう。

 一番奥、拝殿のすぐ前にいるのがこのこまいぬである。狛犬とはいうもののまるでカエルだ。この形の狛犬はまだモデルもない時代に石工の想像によってつくられたもので「はじめ狛犬」と言われている。狛犬は江戸時代の初期まで宮中の建物の中に置かれたもくぞうの小さなものだった。しかし力をつけてきた商人などが地元の石工に狛犬を作られせて神社などに奉納した。石工も依頼人も狛犬を見たことがなかったのでこんな形になったのではないか。

  二番目の狛犬は胸の筋肉が隆々としている。なんかとても威張っているようなので、私は威張り狛犬と言っているが通常は護国系の神社に入りために「護国型」などと呼ばれている。有名なのは靖国神社にいるのがそれである。

   一番手前にいるのが尻尾を高く掲げた狛犬で、出雲に多い形なので出雲構え型と言う。私は出雲威嚇型と呼んでいる。

   この写真が蔵王刈田嶺神社の里宮の拝殿で3対の異種の狛犬が居る 。蔵王スキー場は山形側にあるので、蔵王と言えば山形と私も思っていた。しかし吉野山から蔵王権現を勧請したのは火口湖の御釜の脇にある宮城県側の刈田岳である。蔵王山の名前を持つ山はなく刈田岳も蔵王連峰の一つである。明治時代以降刈田岳にあった社は「刈田嶺神社」となり、その後、遠刈田温泉におりてきて里宮となっている。

  狛犬学習にはいい教材だが、なぜここに集まっているのかわからない。しかし前回の塩竈神社の多数の狛犬のように、宮城県の大きな神社には複数の狛犬が奉納されて居る。おそらく海運などで潤った商人が大勢いたためではないだろうか。

【🐶全国狛犬100選🦁】012

宮城1 石巻 伊去波夜和気命神社 津波にあった地区の狛犬!


  石巻から女川にかけては2011年3月11日の津波の被害が最もひどかった地区である。その真ん中にあるのが伊去波夜和気命神社である。長い名前であるがこれは延喜式内社で由緒正しい神社の証拠でもある。

JR石巻線の小さな渡波駅で降りて、国道を少し行くとこの神社があります。ちょうど1月19日がお祭りで、笛太鼓が奏でられていました。復興できた喜びなんでしょうね。この社殿はちょっと高いので津波から逃れた人が集まっていました。入り口の鳥居などは倒れましたが、社殿まえの狛犬は無事でした。

 写真で分かる通りすらっとした形のいい狛犬だが、阿吽の並びは通常とは逆で、口を開けた阿形が左にある。大正5年(1916)に寄進されたものである。たぶん硬い砂岩で作られている。阿形は彩色されておりちょっと不気味、吽形は髭おやじみたいで頼りがいがありそうっだ。

社殿の裏手には地震津波で流されたり壊されたりした祠が集められていた。この狛犬も相方をなくして顔も削られ悲しそうだ。鳥居や石段などは再建されているが、まだまだ地震津波の傷跡は消えてはいないようだ。

【🐶全国狛犬100選🦁】013

宮城02 鹽竈神社のおおぜいの狛犬!

東北で一番有名と言われる狛犬である。唐門の前にいるが、両方ともに頭に角がついている。濡れているのでわからないが、赤みを帯びた岩石で彫られている。 前足を少し引いているのは仙台型の特徴か?

陸奥の国の一之宮である塩竃神社には狛犬が8対がいる。何回か行ったのだが、狛犬を全部写真を撮ることができなかった。やっと2019年に全部見ることができた。しかし残念なことに雨だった。いま精査したら、やはり抜けているのがあった。まあしょうがないなぁ!

第1 正面鳥居の前 出雲型 1982年建立 石工:志賀石材店

第2 石段途中 安永4年1775年建立 おかっぱ頭 越前禿型というそうだ! 

第3 石段上 楼門前 岡崎型の最新の狛犬 写真なし

第4 神門内 唐門前 一番有名な狛犬  最初の写真
   延享4年(1747年) 仙台北町 奉納:菊田屋又兵衛 石工:大丸屋 

第5 東神門 内側 文久3年(1863年) 気仙沼:友助作 耳が大きい!

第6 東神門前  文久2年(1862年) 同じ作者 こちらの方が先  阿形はこちら向き

第7 裏参道 途中 出雲丹後型狛犬 かなり壊れている

第8 裏参道1 出雲威嚇型の狛犬

第9番目 志和彦神社 





【🐶全国狛犬100選🦁】007

青森2 源義経の逃避行の像か? 外が浜 八幡宮

 JR津軽線は蟹田駅から先の路線は廃止されるそうで、今は「わんタク」という乗り合いタクシーが代行運行している。わんタクの窓から眺めていると道沿いに赤い鳥居の八幡宮が点々と続いている。 そこで私はピンときた。八幡神は源氏の氏神様だ。

 源頼朝に攻められ衣川で自刃したはずの源義経は、実は生き延びて津軽半島を通って北海道に逃れ、さらに海を渡ってジンギスカンになった。八幡宮は義経の逃避行のコースを後世の人が記憶に残すために建てたのだと私は勝手に推測した。 わんタクの停車する「大平山元縄文遺跡むーもん館」の隣にあった八幡宮に行ってみた。なかなか立派な狛犬がいる。阿形(獅子)の足元には鞠を持った子獅子が顔を出している。義経が娘をかばっている姿ではないか。吽形の狛犬は口紅をつけてしとやかで阿形を頼りにしている感じだ。

源義経一家の姿を思い浮かべながら狛犬を鑑賞して、三厩に向かった。 三厩について驚いた。高台に義経寺があり、海辺に「源義経渡道之地」の柱が立っているのだ。ここでは義経の逃避行は現実なのだ。さらに「義経と静御前の石塔」があった。「エエーッ静御前とは離別しているはずだが!」

まあお話だから願望が入ってもいいか! そんな白日夢のせいで一日4便しかないわんタクに乗り遅れた。しかし超高級なウニまぐろ丼の店で同席した人が竜飛岬まで送ってくれた。

竜飛岬の下に降りる「もぐらケーブルカー」で竜飛海底駅まで降りた。日本”最低”の鉄道駅に立つことができて満足した。

【🐶全国狛犬100選🦁】006

青森1 上下逆さま狛犬が回廊にいる  岩木山神社

 昔上海の豫園に行ったことがある。町なかの石柱に逆さまにしがみついている狛犬をみて驚いた。 それと同じような狛犬が居るよ!と聞いた。調べてみると青森岩木山神社の回廊に居るようだ。早速弘前に行こうと思ったが”狛犬を見るだけ”では我が家の大蔵大臣の奥様の許可がでない。岩木山頂の神社は”受験の神様”だから孫の合格祈願に行ってくるという名目をつけて交通費を出してもらった。

 白装束の人たちが「さいぎ さいぎ」を唱えながら1625ⅿの頂上を目指している。  私も珍しい狛犬に合うにはそれなりの修行が必要だろうと山頂をめざし、下山後に狛犬に合う計画を立てた。1625ⅿと言うが実は8合目までバスで行くことができる。さらにリフトが9合目まであるがさすがにそれは避けて歩いてみた。  

北海道まで見える快晴のなか、頂上の奥宮で孫の合格祈願。その後は紅葉真っ盛りの登山道を里宮まで一気に下る。驚いたことに頂上で話をしたおじさんが短パン姿で走って上ってきた。「今日二度目の登山だよ!」と誇らしげに語る。昔の私の姿を見るようで恥ずかしかった。

  里宮には4対の狛犬がいた。それぞれ自分を主張していたが何といってもこの上下狛犬は異彩を放っていた。上向き狛犬は金運アップだけど下向き狛犬にはなにかご利益があるのか? お参りの人に聞くと下向きは恋愛成就だそうそうで安心した 。

【🐶全国狛犬100選🦁】005

北海道5 狛犬の雌雄は? 函館八幡宮

江戸のちょいと怪しい文化に詳しい関根皓博さんの説によると「口を開けて阿へ~は女、男は黙って吽ムー!」だそうだ。ということで関根説では口を開いている阿形の狛犬は雌という事になる。 しかし函館八幡宮で見た狛犬はメスであるはずの阿形の股間に立派な〇〇がついている。「なんだ、アヘ~の関根説は間違いじゃないか!」と思って吽形の股間をみるとあれれ!同じように立派なものがついているじゃないか。 

阿吽両方の狛犬に〇〇がついているのはあまり見たことはないが、もともとは阿形は獅子、吽形は狛犬であり、別々の空想動物だった。早っトチリの江戸っ子が両方とも「狛犬」にしてしまったのだ。ここ函館八幡宮ではオスの獅子、オスの狛犬がならんでいるので、雄雌はあまり問題にならないってことだ。 

そんな狛犬の雌雄を確かめるためにわざわざ函館に来たわけではない。私は近年世界遺産になった縄文遺跡を見るためにあちこち巡っているが、函館の太平洋に面した垣ノ内遺跡には国宝の中空土偶「茅空(かっくう)」がいるのだ。国宝土偶は見なけりゃいけないと考えてまず函館にやって来たのだ。 

今回狛犬はおまけだった。函館には江戸後期から松前藩がおかれ人々が移住してきた。その時に侍たちは氏神様を勧請して神社を立て狛犬を奉納した。狛犬は見様見真似で作ったので、古い作法にはとらわれていない。なかなか面白かった。

【🐶全国狛犬100選🦁】004

北海道4 江戸から移住してきた狛犬 


 札幌に住む狛犬愛好家の藤野久美子さんの一番の推薦狛犬である。札幌ではいくつもの狛犬を見たが、これはちょっと違う。彼女の説明では、もと北海道拓殖銀行頭取の邸宅にあった菜洗神社(千葉県市川市)を、八紘学園の創立者が昭和15年に譲り受け、札幌の学園の構内に移築したものだという。 そのときに狛犬も一緒に移転したので、北海道風ではないのだ。

頓宮神社の古い狛犬は「札幌軟石」で彫られたものである。札幌軟石は支笏カルデラ(約4万年前の噴火)の火砕流が固まった溶結凝灰岩で札幌市南区にまで達した。菜洗神社の狛犬とは材質が違うのだ。 岩の質は不明だが硬いが細工のしやすい岩石で作られており、「江戸流れ」と言われる流麗華やかな江戸東京系の狛犬である。

作った当時は狛犬というよりも「獅子」と意識して作られたのではないかと私は推測している。 阿形がもつ透かし彫りの鞠の中にはもう一つ玉が入っている。どうやって彫ったのだろうか。背中の渦巻き模様もていねいですばらしい。相当な腕を持つ名工の作だったのだろう。もしかすると籠彫りの名人と言われた野田平業の作ではないかと思っているのだが・・・

 この狛犬を推薦してくれた藤野さんは実はこの学園の卒業生だった。どおりでこんな小さな神社に立派な狛犬があることを知っているはずだ。ここは北海道のバーベキューの八種の地だそうだ。牛乳、アイスクリームも生産販売しており、広い草地でソフトクリームをいただいた。

【🐶全国狛犬100選🦁】003

北海道3 頓宮神社 子抱狛犬と唐獅子牡丹

札幌開拓に伴って北海道神宮(もとは札幌神社)ができた。しかし神宮は円山の近くにあって参拝には不便だった。そこで町の中心部に遥拝所がつくられた。それが頓宮神社となっている


 この神社には札幌では一番古いと言われる狛犬がいる。尻尾を高く上げて相手を威嚇する出雲型のような狛犬である。両方とも細工は丁寧ですばらしい腕の石工が作ったと思われる。明治23年奉納と書かれているが石工名は不明だった。
 狛犬というのは略称で本来は「獅子、狛犬」が正しい。平安時代の書物には「左獅子」と書かれているそうだ。神様から見て左なので我々から見ると右手にあるのが獅子である。

 この獅子は牡丹の花を加えているので阿吽の吽の口をしている。これぞ唐獅子牡丹。もう一方は開いた口に珠の狛犬である。

 入口の鳥居の下にもう一対花崗岩製の堂々とした狛犬がいる。こちらは昭和になってからの奉納であり、表面がピカピカに磨かれている。じつはこの狛犬、なでると恋愛が成就すると評判なので、大勢の手で磨かれているのだ。

 札幌でたくさんの狛犬を見たが、この神社のものはなかなか面白い。一番の「推し」(初めて使う言葉だが・・・)である。

【🐶全国狛犬100選🦁】002

北海道2 江部乙神社 笑う狛犬

北海道、滝川の近くに江部乙(えべおつ)という駅がある。鈍行しか止まらないので札幌から行くのも一日仕事である。そこで私は札幌に住む北大教授先生ご夫妻に「一緒にいかない?」とささやいて車を出してもらった。「わざわざ狛犬をみるために北海道へ来たんですか?」と教授にはいぶかられたが、奥様には大変気に入ってもらったのがこの狛犬である。

 いま狛犬愛好家の中では一番人気の『笑う狛犬』だ。苦労した屯田兵の子孫が成功のお礼を兼ねて明治43年に奉納したもので、笑いをとろうと考えたわけではない。 ふつうは「右が阿」で「左が吽」の並びをするがこれは逆である。さらに顔と尻尾の彫刻は上手になされているが胴体はずんどうであまり芸がない。しかしそんなことはどうでもいい。願主の感謝の思いはつたわっている。

 両方とも手足の指が袖口から出ているように見える。こんな手法で足の指を彫った狛犬は他には見たことがない。おそらく他の狛犬を見たことがないか、あるいは見ても自分流を貫きたかったのかわからないが個性的狛犬であることは間違いない。

札幌から江部乙まで木村教授夫妻に車で送ってもらった。途中で音江の環状列石を見るご夫妻! この地には縄文時代の環状列石がいくつもある。北海道は1万年も昔から人は住んでいたのだ。