有朋自インドネシア方来、

6月26日(木)
 またまたきのうも 有朋自遠方来、不亦楽乎 
 昨日は地平線会議の報告会で、冬のシベリアを自転車で横断してきた安東君の話だった。このはなしはどうしても聞きたかったのだが、もう一つ会いたい人があったので、会場にプロジェクターをセットして、安東君の真っ黒に雪焼けした顔を見たみただけで、次の会場に急いだ。

安東君はまだしばらく日本にいるだろうが、いま会う人はインドネシア人で、高校時代以来だから40数年ぶりのサッカー部仲間だ。

 なにを隠そう、隠していないか! 私は高校時代、サッカー部にいて関東大会の東京代表だったのだ。もっともわがチームが代表になっただけで、今の全日本のように個人が選抜されたわけではない。強いチームにいたということだ。

 私が3年生の時に、とてつもなく足の長い色の黒い新入生が入ってきた。その長い足でボールを器用に操っていたのが、アグスくんだった。足の短い上級生だった私と岡田くんはただあきれて彼のボールさばきを見ていた。彼にあったとたん40年前のその姿があざやかに思い出された。それまで頭の中のどの記憶装置に納められていたのだろう。

 彼の前後の期の連中が集まったのだが、数十年の時間の空白にもかかわらず、昨日のことのように、
「あの試合ではおまえがちょんぼしたから負けた」
などと声が飛び交った。今はなにをやってもあのころの感激はほとんどない。

 その当時はなにも思っていなかったが、記憶装置にしっかりと刻印されるような濃密な時間を過ごしていたのだ。そのことにいまごろ気がつき、久しぶりに充実した興奮状態が持続した。音頭をとってくれた吉崎君に感謝! 

秋川で退職祝い 賀曽利の嵐

6月23日(月)
21,22日、五日市秋川の山田橋の下に昔の仲間が集まって退職祝い(丸山さんが撮った写真をアップしてくれた)をしてくれた。

いまから25年前、キャンプ場の対岸に一反歩の畑を借りて、みんなでトウモロコシやナス、キュウリ、カボチャを作っていた。そのころはまだ20歳前後だった連中が今はもう四捨五入50歳にもなるおっさんになっている。時の流れは、秋川の流れのごとし。

流れの速さに時を感じ入っている時に、突然その時をそのまま変化させていない賀曽利おっさんがオートバイで登場。最初に清瀬で会ったときとまったく同じだった。

日本一周トリオ(土屋くん、杉田さん)と旧交をあたため、さらに露天風呂で体を温め、テンションを高め、嵐のように消えていった。私も、あの頃を思い出し、久々にググートとテンションが向上した。

 有朋自遠方来、不亦楽乎、(朋あり遠方より来たる、また楽しからずや)
うれしい一日だった。みんなは「これからなにをするのか」と期待している風だったが、期待に応えられるようなことはできそうにもない。

しかし何かしたい気分は高まってきた。いざ!と思うのだが、「2,3時間走ってくるか!」 という行動しかできない。こりゃまずい。

第3回 みわ塾

6月20日(土)
18日水曜日に「みわ塾」の第3回目を開催した。今回も35人もの方が集まって下さり、喜んでいただいた。(我田引水、自己満足) 遠く広島からも来た方もあり、感激!。

遠くといえばヴェトナムのホーチミン市から受講申し込みがあった。このホームページに講座内容をアップしてあるので、それをとって教材にして下さいと返答をしたところ、1回につき1000ドンを払うからヴェトナムまで取りに来てくれとのこと。近々集金に行かなければと思っている所だ。ところで1000ドンというのは日本円ではいくらぐらいなのだろう? 

8月のみわ塾は29,30,31日に清里の竹早高校の寮で緑陰講座を行うことにした。昼間は植物観察と飯盛山ハイキング、夜は星空観測。涼しい高原で遊びましょう。参加者募集中。

前橋の小林バン長

6月17日(火)
前橋に私のお友達の小林バン長がいる。ときどき社用で上京する。そのときに東京近郊の舎弟がゾロゾロと集まる。

ここ数年8月に玉原高原で家族キャンプをしている。その相談と称して、東京駅前の飲み屋でワイワイやる。ビジネス街の真ん中の飲み屋は6時にはおじさんたちで一杯だったが、8時をすぎるとほとんど貸し切り状態。手ぬぐいを首に巻いた「社長」たちの世界に浸ってしまった。

翌日、一月に一回の「仕事」みわ塾なので、二次会にはつきあわず帰ってきた。

 決定事項は8月10日前後に今年もキャンプをやる。ピザ焼きの煉瓦造りの窯を準備することとなった。

日の出山の上で「四方山会」

6月14日-15日(土、日)
 奥多摩の日の出山の上に東雲山荘という山小屋がある。ここで天野さん香川さん主催の「四方山会」が開かれ、話題提供者として呼ばれた。

老後の楽しみにやっている「みわ塾」の内容を短縮して話をさせてもらった。もし晴れていたら満月がみれたのだが、あいにくの雨。ビデオの天体画像を見てもらった。雨になったときのために、新しくビデオを買った。

いまのビデオはものすごい。わずか500g程度で、こんなすごいことができるなんてえらい。しばらくビデオを使う練習をしてみよう。

しまなみ海道100㎞ 完走

6月7日-8日(土、日)
  広島県の福山市から尾道を通り、しまなみ海道を向島、因島、生口嶋、大三島、伯方島、大島と通過して今治市までの100kmを走る「しまなみ100km遠足」に参加してきました。

 1999年に本州四国公団によって巨大な橋が建設された。NHKのプロジェクトXで放送された世紀の大工事だったが、いまは巨大赤字が重くのしかかり、お荷物になっている。

 私にとってはこの橋は、人が歩いて渡れるように立派な歩道が着いているのでありがたい。まあ歩道にこんな立派なものをつける必要はなかったと思うが、橋を架けること自体は、地元の人々のために重要だ。都会の連中は、地元の不便さが分かっているのかなあ。道をつくることは、政治の基本だと思うよ。
 それはともかく、今年も100kmを走ることができた。昨年より1時間以上も遅かったが、ほぼ13時間で到達できた。気分はよく、うれしかった。

 相棒の江本さんは暑かったのに1時間以上も早くなった。私より4歳も年上なのに、すごい。
 今年も「しまなみ海道」の記録を作ります。あとでここに載せますから、お楽しみに。

●競馬の馬が走るのなら金になるかも知れないが、人が走った話を聞いても喜ばないよ。

世の中からはみ出した!

6月1日(日)
 もう6月、フリーターになってから2ヶ月たった。毎日が日曜日なのだが、晴耕雨読で、けっこう忙しく、自分が世の中からはみ出したこと自覚する間もなかった。

 昨日、飯田橋のホテルで最後勤め先だった高校の歓送迎会があった。職員が100人以上いる大世帯なので、移動した方の話だけでかなりの時間がかかった。私はともかく人前でしゃべるのが苦手なので、早く終わらせてしまったが、後で考えると「自分はいま毎日が日曜日で、快適だ」と、他の人には嫌みと聞こえるようなことを言っただけで、皆様にご迷惑をかけたことへの感謝を言うのを忘れてしまっていた。

 ここ数年、人とあったあと必ず、自分のことだけをべらべらしゃべって、相手のことを何も聞かなかったことを反省することがしきりになる。そんなこと考えすぎだということはある程度分かっているのだが、どうしても気になる。

 この気分が高じてくると、もう2度と人に会いたくなくて、引きこもりになる。ここ2ヶ月は、引きこもっているのとおなじだったが、歓送迎会でお世話になった人たちに、ドドーッと会ったので、どぎまぎしてしまった。

 二次会にも誘われたが、それ以上しゃべっていると、落ち込みがひどくなりそうで、そそくさと家路についた。しかし家の方向はさらに鬼門のように思えて、足取りは重くなり、つい夜中の町をウロウロすることになる。

 今週は、福山から今治まで瀬戸内海を7つの橋でつなぐ「しまなみ海道」100kmを走る予定だ。走っているときには、精神はどんどん引きこもるので、何も考えなくてよい。
私はのべつ走っている時が精神的に健康なのかも知れない。