霊岸島の日本水準原点

日本の高さの基準は千代田区永田町 (国会前庭憲政記念館構内)にある。しかしそこが0mではなく、海面から以下の数値の位置にある。
1891年  24.5000 m
1923年  24.4140 m
2011年  24.3900 m
1923年は関東大震災、2011年は東北大震災によって沈降したからである。
その高さはどこから測ったのだろうか? 明治の時代隅田川の河口にあった霊岸島に検潮所があってそこで水面の高さを測った。その場所がどこにあるか知らなかったのだが、本日佃島に行く途中で見つけた。川の中に立つ検潮所は見たことがあったが、石は初めて見た。とりあえず写真を入れておきます。

浦和:調(つき)神社の狛うさぎ

不要不急の会合は自粛だそうですが、我が狛犬楽会の探索会は必要緊急ですから、実行します。
集合場所:JR湘南新宿ライン・京浜東北線 浦和駅中央改札口
集合時間:2月22日(土) 13時30分
参加費:500円(資料代)
参加の方:ブログのコメント欄か三輪の携帯(090-9827-8340)にメールしてください。
行先はまだコロナウィルスが蔓延していない浦和です。
今年は干支の狛犬を探し、先月は狛ねずみを見てきましたが、今月は2011年の干支であった狛うさぎを探しに行きます。浦和の調神社は「つき」神社と読みます。この音から連想して「月」神社とし、境内各所に月で餅つきをしている「うさぎ」を配しました。それを見に行きましょう。
さらに門前の旧中山道を通り、浦和のもとになっている「浦」の跡である別所沼を見ましょう。昔は汽水の入り江にはウナギがいました。浦和の名物はウナギ、帰りに寄りましょうか!いやいや高価でちょっと無理かな?
そのまま中浦和に行き解散です。浦和と名がつく駅はJR線には7つあります。本日全部の駅に行って写真を撮って来ました。

峠楽会の高輪散歩 子育て狛犬

今年第3回目の峠楽会のお散歩。日本橋から東海道を行くはずだが、講師が腰痛でとても最初の宿場である品川まで行くことはできないので、都営地下鉄日本橋から泉岳寺まで行った。当初は三田から泉岳寺、品川へ歩く予定だったのが、つい乗り過ごし泉岳寺迄来てしまったので、逆行で三田に戻ることにした。写真は上から泉岳寺、泉岳寺の前の高輪大木戸(江戸への玄関口)その下は高輪ゲートウェーの商店街建設中。ゲートウェーは玄関口のこと。(写真は11日の下見の時)   高輪ゲートウェー駅の建設用地の下にあるものすごく背の低い通路を通って反対側に出る。運河脇を通って田町駅へ。東京工業大学付属高校がある。その敷地に千葉大学工学部の記念碑がある。もともとはこの地に東京工芸学校があり、その図書室から大正4年に日本で初めてのラジオ放送が行われたそうだ。東京工芸学校は空襲で焼けて松戸に移り千葉大学工芸学部になったそうだ。その後に東京工大の高校が作られた。千葉大大学の記念碑がある理由が分かった。田町駅の東口はすばらしくなった。もう裏玄関ではなく堂々とした表門だ。東西の交通路が線路上にできたが、私は昔ながらの低い地下道を通って国道15号線に出た。国道に出る前に御穂鹿嶋神社があった。そこの狛犬は阿吽両方が子どもを持っている。吽の方は2匹の子犬をもっている。

舞囃子:三輪

  我が奥さんの舞囃子の発表会。渋谷のセルリアンタワー能楽堂で行われた第6回の澤風会東京大会で舞うことができた。舞囃子の「三輪」は前にも一度舞ったことがある。おもえば伊勢と三輪の神、一体分身のおん事今さら何を磐座(いわくら)や!
我が家としては、ローカルな三輪の神が、日本の最高神である伊勢の神(天照大神)と同じだというのだから一大事! 

奥様はうまく舞えた時には、神さまが「よろしい!」と言って下さる感じがするという。前に京都で舞った時には見ている私にも突然舞が変わったような気がした。三輪の神さまとなんとなく親しくなったような気がしている。

我が家の奥様は、途中に中断はあるもののもう25年も仕舞を稽古してきた。若いころのことは私はまったく関心がなかったので、どんな舞をしていたかは知らない。ビデオ係を仰せつかった還暦のころからカメラを通して見るようになった。完全にひいき目で見ているのだが、ここ10年ほどの間に進歩を続けている。今回も前に三輪を舞った時よりも神さまに近づいたかと思うような感じだった。一緒に見てくれたSEKINEご夫妻、Ogata奥様は、20分間の長い舞をよく覚え、間違いなく舞えたね!大したものだ!とほめてくれた。

まもなく後期高齢者、もう進歩はないかもしれないがあと5年ぐらいはがんばれるのではないかと思っている。しかしビデオ係の方はかなりぼけているので、2~3年が限度かもしれない。まあともかくもう少し頑張れるかな!

スサノオ神社 千住

狛犬探しで都内を回っている。本日は自転車で王子に出て明治通りを通って南千住のスサノオ神社に行った。この神社には前にも何回も行ったことがあるが、たいていは日光街道の面した入り口から入っていた。しかし今回は自転車だったので脇から入った。あとで昔の地図を見たらたしかにこちらが正面だった。

正面に立派な空飛ぶような狛犬がいた。これはみごと。よく見たら左側の狛犬には子犬が獅子山を登っているのが見える。この狛犬は本当は獅子で、子どもを崖から突き落とし登ってくるのを待っている。これは狛犬とは言わず獅子と言った方がいいかな。この狛犬は空飛ぶ狛犬の手前の鳥居脇にある。日光街道側の鳥居の脇には狛犬はいなかった。スサノオ神社ではいまお雛祭り。舞殿にも玄関脇にも数多くのお雛様が飾られている。なかなかいい。すでにひな祭りは終わったがまだ片づけることはないようだ。実は我が家もまだまだ片づけていない。孫たちが早く嫁には行かないように願っているから!  スサノオ神社をでて南千住のビル街のなかにある胡禄神社に寄った。ここにもいい狛犬がいる。富士山の溶岩で作った獅子山の上にいる。左側の狛犬の下にかわいい子犬がいる。獅子は子を千仞の谷に突き落とす。ここも狛犬というよりも獅子だな。自転車のフットワークは軽い。隅田川を大きく曲がって白髭橋にでる。大きなガスタンクが見えるがそのすぐ脇に石浜神社がある。そうだ、スサノオ神社にもこの石浜神社にもお富士山(富士塚)がある。昔は富士塚巡りをやっていたっけ。

上野界隈 東照宮・五条稲荷神社

ちょっとエッチな絵じゃない?教育的ではないな!

友人の書を見るために上野の東京都美術館に行った。月曜日はお休み。代わりに見に行こうとした上野の森美術館はフェルメール展で長蛇の列。しかたなく隣の芸術院会館?の美術館(無料)に入ったが、ナニコレ!という感じ。トイレを借りて出てきた。  東照宮で寒ボタンを見に行くことに。上野は隅々まで見ているはずだったが東照宮の立派な狛犬は見落としていた。いいカメラをもっていかなかったので逆光でとれなかった。時間を考えて行こう。狛犬とクロガネモチの赤い実に気をとられていたのでボタンを見ずに出てきた。

もう一つ五条稲荷神社がある。ここの狛犬もよかった。稲荷なので狐はあるが、それほど面白くない。おもしろいのは崖面にある穴、お穴が神社になっている。伝通院の近くにもお穴神社があったが、ここは中は見えなかった。   この神社の赤い鳥居はインスタ映えするのか、着物を着たお嬢さんたちが写真を撮っている。話をしたら台湾からの女性だった。他にもたくさんいたが皆外国人。今時着物を見るのは外国人だけなのか。

峠楽会第一回 日本橋から四谷方面

19年の最初の歩きだが、昨年から4回変わらず日本橋からの出発となった。これはどんな旅でも日本橋からという賀曽利隆さんに対抗の意味もある。といっても対抗するほどの旅力はないけど。まあそんな気持ち。 今回は日本橋を出て箱根駅伝のゴールへの1キロを歩いて、大手町からは東京メトロに乗って半蔵門に行き、そこから四谷見附、内藤新宿というコースの予定。箱根駅伝最後の走者は3分ほどで走るが、我らは常盤橋の工事の進捗状況を見たり、一石橋にある明治の水準測量の几号(きごう)標識を見たりしていたので、40分もかかった。 読売新聞社の前がスタートゴール地点。箱根駅伝は金栗四三らが始めたとあった。NHKの大河ドラマ「韋駄天」の主人公のモデルである。実は金栗さんは、わが竹早高校の前身の府立第二高女の地理の先生だった。一昨年にNHKの方から私も資料提供を求められていた。秘密にしておいてくださいと言われたが、どんどんしゃべってはいたけど。第1回を見たがどこにも資料提供・竹早高校というのがなかった。残念!

将門塚を見て電車で半蔵門駅へ。4番出口にはすばらしい美術館があった。無料で国宝級の仏像などを見ることができる。さる宗教団体提供だ。こんな文化活動を他の宗教団体でもやるべきだよな。無料でお茶までいただいたので、ちょっとほめておかなければ。・・・ここでゆっくりまったりしたら、もう先に進む気はなくなった。本日の歩行距離は2キロ、歩数は5000歩ほどだった。とてもお散歩の会とは言えなくなってきた。まあいいか!

今年も大江能楽堂で仕舞

今年は11回目、大江能楽堂での発表会でした。奥さまは今年も無事にこの由緒ある能楽堂(今年で110年)の舞台で舞うことができました。70歳を過ぎてもまだ衰えはなく、進化している様子に安心しました。来年の大江能楽堂での舞台を目標に精進することを期待しています。ことしの仕舞は「笠の段」でした。

上高地予定表:

上高地へ行く前に計画書を作りました。別に持ち物チェックリストもあります。
孫たちに役にたつかと思ったのですが、雨具を忘れてくる! どこへ行くのかわからない?
計画書をまったく見ていなかったようです。
まあそんなものでしょうか!

今年の夏は長野県の上高地(かみこうち)へ行きます。北アルプスの山の中にある有名な観光地です。
河童橋(かっぱばし)や大正池(たいしょういけ)にはおおぜいの人が集まります。変更後です。

8月27日(月)
ときわ台(5:58)→(6:07)池袋 (6:13→(6:47)大宮・新幹線はくたか(6:54)→(8:06)長野
◆はくたか551・8号車14番ABC:15番ABC  ◆バス・せせらぎ号1号車
長野駅バスターミナル(8:25)→(11:05)上高地バス停(お昼)
【歩き】河童橋(11:30)→観光センター(12:00)→明神(1:30)→徳本峠分岐(2:00) (分かれ道)→古池(2:30)→徳沢園(3:15) 到着(ソフトクリーム) 【徳沢園】 夕食6:00 それまでにお風呂 星空観測8:00から 就寝9:00

8月28日(火)
【横尾へ】 横尾から本谷にあがってみましょう!
・・・・横尾へ着いたら大雨になりました。急いで徳沢園に引き返しました。
新しい靴と、雨具だったので大丈夫でした。
【徳沢園】 夕食6:00 それまでにお風呂 星空観測8:00から 就寝9:00

8月29日(火)     徳澤園9:00→明神11:00 明神池散策 嘉門次小屋
河童橋へ 裏道 12:30
12:40 新島々行 松本 2:49→5:26  (あずさ)
参加メンバー     YAMADA 一家
MIWA 老夫婦

目的

夏休みを山の中で過ごす。自然を味わう。
家族の親睦(しんぼく)
上高地の自然観察をする、日記を書く。

 

■ 途中にこんな景色があります! ■ 写真の下に解答してください!
河童橋(かっぱばし) 梓川(あずさがわ)と焼岳(やけだけ)
徳澤園(とくさわえん) 穂高岳 岩壁
ホタルブクロ オダマキ クサボタン ゴゼンタチバナ センジュガンピ

 

徳澤園だよ!

 

地図を示しておきます。これは国土地理院という役所で作っている地形図です。地形図には等高線(同じ標高を結んだ線)が描いてあります。登山する人はみんなこの地図を使って、事前に行く場所を確認していました。

◆上は20万分の1 小縮尺の地図(分数の値が小さいのが小縮尺)

◆下は2.5万分の1 中縮尺の地図です。

28日の12時半ごろに明神池の入り口にある「嘉門次小屋」でお昼を食べます。

(上高地と明神では携帯電話使えます。)

▲上条嘉門次(1847~1917)は、日本近代登山の父、W・ウエストン夫妻の山案内人。上高地で猟師をしていた嘉門次は、14歳にしてはじめてカモシカを撃ちとり、生涯でクマ80頭、カモシカ500頭を仕止めました。32歳の時には明神池のそばに自分の小屋を持ち、上高地一帯の地形を熟知していました。

若狭一宮 若狭姫神社 お水送り

 小浜という町はオバマ大統領が出現して有名になった。トランプ大統領はオバマさんを否定しているので、小浜市にも影響があるのではないかと思っていた。今回敦賀から豊岡に行くのに小浜線を通って行った。

小浜の若狭彦神社は毎年3月12日、奈良東大寺のお水取り行事のためにお水を送り出す「水送り」行事を行う。10日間かけて水は100㎞先の東大寺まで送られるので、3月2日の深夜、白装束の行者によって水が送られる。なかなか神秘的行事で、現代のパワースポットの一つになっている。

若狭一宮 若狭姫/彦神社

池上梅園から六郷用水

本日は今年第2回目の峠楽会! 15人もの人が来てくれた。今回も都内の峠は大坊峠だけ。それよりも梅園見学。まだ4分咲きでしたがまあまあ。

大坊をとおって大坊坂。途中に多宝塔がありました。峠上のお堂を見学。すばらしい紙の形代がありました。

正面石段の脇にはもう桜が咲いていました。河津桜ですね。インコが桜の花を散らしていました。

解散後、清水さんの案内で、六郷用水を歩きました。

浅草神社

浅草といえば、いまや東京最大の観光地になっている。その中心は浅草寺の雷門。今月ひらかれる東京マラソンでも一番の目玉で蔵前の方から走ってくると目の前に雷門が迫ってくる。その門前をぐるりと回って戻ってくる。コースが変わったので今はそのあとどう走るのかわからないが、雷門へ向けて走るというのは一番の感動だった。
本日は連休の中日、大変な混雑をしているあだろう。蔵前駅から雷門に向かった。「アレレ、雷門がない!」と思ったが、巨大な装甲車が門前に泊まり君が代を流しているのだ。大勢の観光客は驚いていたが、車をよけて仲見世の方へ歩いていく。こりゃまずいよ!
私の本日の目的は浅草神社(三社様)なので人通りの少ない裏側から神社にお参りした。おおきな狛犬は税務署の回し者になっている。国税庁は人に「正しく納税しましょう!」など言えない。長官が正しい発言をしないからだ。国会では大臣が「現場では何も問題は起きていない」と言うが、みな腹を立てていることは確かだ。神聖なる神社を巻き込むなよ!

板橋周辺:氷川神社

昨日板橋仲宿の氷川神社に行った。夕方遅かったのでいい写真が撮れなかったので、今朝早く出かけた。実は我が家の歩ける範囲に氷川神社が4カ所ある。本日一気に回ってみようと出かけた。まず手始めに近くの熊野神社(高速道路が急カーブしている危険な場所として有名)でカメラを取り出した。電池切れになるといけないので充電はしっかりしてきたのだが、なんとSDカードがない。昨日パソコンに移す時に、はめてそのままになってしまった。家に帰ろうか思案していると目の前にドン・キホーテが見えた。8Gのメモリーを800円で買った。今はこんなに安いのだ。途中で喫茶店休みをしなければ買えるぐらいなのだ。

さて最初は:池袋・氷川神社

次は我が町内の神社:子安神社

次は本命:仲宿氷川神社

次は女神の氷川神社:弥生・氷川神社

次は環七を渡った:上板・氷川神社

ご近所の氷川神社に古峰神社

1月17日に宇都宮の近くの鹿沼からバスで古峰神社に行った。関東東北地方には古峰講とよばれる多くのグループがあって、毎年メンバーが参拝に行く。と私がブログに書いたところ、福島の友人から「うちの地域でも毎年行きますよ」「我が家は16日に行ったけど、惜しかったね」と連絡が来た。
その時のブログに「板橋の我が家の近くにも古峰講の碑があるよ」と書いた。たしか仲宿にある氷川神社にあったと記憶くしていたが、最近ボケが進んでいるので自信がなくなった。本日石神井川の散歩のついでに氷川神社に寄って確かめてきた。やはり記憶はまちがっていた。碑ではなく溶岩の上に建てられた小さな祠(神社)だった。祠の脇に薄くてほとんど見えないくらいだが、古峰神社と書かれている。
板橋にも古峰講があって信者の方々が氷川神社境内に、古峰神社を分祀したことは、間違いなかった。私は大きな石碑だと思っていたが、それはどこか別のところで見たのだろう。石碑と祠はちょっと違うが、まあ古峰講の人たちが板橋にもいたという証拠はあった。ということでボケがはまだそれほどではないか!ちょっとおまけ。 最近Facebookで、狛犬シリーズをやっているので、このブロにも板橋氷川神社の狛犬を乗せておきます。

池上本門寺 

 先週池上の梅園に行ったが、まだ咲いていなかった。そろそろ咲いたかもしれないと奥さんを誘って出かけた。2月になったので開園していたが、まだ3分咲で、ポチポチしか咲いていない。早咲きの座論梅(?)という名の梅が有名らしいがこれは五分咲程度。

そこから大坊坂をのぼって本門寺に行ってみた。明日が節分の豆まきで、準備が整っている。ここで豆撒きをするのはプロレス選手らだという。なぜならこの寺の境内に力道山お墓があるからだそうだ。先日来た時にはわからなかった。墓参りをしてきた。我らの子どもの時代、力道山は日本のヒーローだった。貴乃花よりもはるかに人気の格闘家だったなぁ!

力道山のお墓の上の方に大きな墓があった。大野伴睦の墓だが、入り口に虎の石像があった。虎が吠えている。どっかで見たと思った。昨年暮れに行った大阪の坐座(いかすり)神社の入口に同じような虎像があったぞ。