狛犬行脚:仁壁神社(周防三之宮)

 周防国の一宮、二宮は国府のあった防府にある。三から五宮はここ山口市にある。律令制の始まった頃は山口市は周防の中心地ではなかったのだろう。

狛犬行脚:朝田神社(周防五之宮)

  JR矢原駅の近くにある神社だが、なんと参道に狛犬が5対もいるのだ。山口に来てこんなにたくさん狛犬のいる神社は初めてだった。

お参りもちゃんとしました。来年は蛇年です。

これは本殿裏の裏参道狛犬である。じつは私は裏から入って行った。失礼しました!


狛犬行脚:今八幡宮(山口総鎮守)

 山口県庁に近いところに神社が集まっている。その中でも重要なのが今八幡宮だが、ここには朝倉八幡宮も合祀されているという。今も朝倉八幡宮はあるのになぜ?と思った。理由はもとの今八幡宮は「宇治皇子」だけを祀っていた。八幡なのにおかしいということで朝倉八幡から「応神天皇、神功皇后、仲哀天皇」を追加したらしい。よくわからないが大内氏の一番重要な神社ということは宮司さんに聞いてよくわかった。

 ここの神社の狛犬の大きさは前の写真と比べるとわかる。おかっぱ髪の立派な姿はなかなかいい。石段の上の拝殿前にもう一対の狛犬がいる。

 境内社はいくつかあるが「客人神社」が気に入った。石段途中にあるので狛犬はいない。客人と書いて「まろうど」と読む。

 もう一つ境内社がある。八柱神社で、狛犬がいる。これは門前の立派な狛犬とは違って普通のよくある狛犬。

豊栄神社(とよえい) 

今八幡のすぐ背後に豊栄神社と野田神社がまとまって並んでいる。ここには立派な能舞台があり先日野村萬斎が来たという。なかなか由緒ある場所のようだが、今八幡宮に比べればごく新しいようだ。

野田神社

 阿吽の吽の方には角がある。これは本来の狛犬を示す。阿の方は珠を口の中に入れている。こちらは獅子である。

狛犬行脚 山口大神宮

  山口大神宮は1520年に大内氏が伊勢神宮の分霊を勧請した神社である。
14世紀頃から京都が兵火で疲弊する中、山口の町は平和で豊かで『西の京都』といわれる程の繁栄を誇った。伊勢神宮の分霊を受けた神宮は明治までは山口大神宮だけであった。江戸の頃から中国地方、北九州各地の参拝者も多くなり『西のお伊勢さん』と呼ばれ賑わったという。

 山口大神宮の中にある内宮、外宮は長い階段の上にある。途中には稲荷神社、多賀神社がありそれぞれに狛犬がいる。山口大神宮の参道狛犬は途中1カ所にいる。    

 下の左は稲荷神社入り口の鳥居前に居り、耳が大きな狛犬だ。もう一つは山口大神宮の内宮外宮に上がる参道石段の両脇にいる。寛政3年(1791年)奉納したものだが石工名はよめない。なかなかユニークな狛犬である。耳の大きな狛犬に比べると小ぶりである。

 石段を最後まで上がると伊勢の内宮外宮の建物が見えてくる。ここの内宮は伊勢神宮と同じ鰹木は10本、内削ぎ千木で女神がいることを示している。外宮は豊受神宮と同じで鰹木9本、千木は外削ぎで男神であることがわかる。

山口大神宮の中にある多賀神社

 この狛犬はよく見るもので端正な感じ。尾も大きく毛並みの彫刻もすばらしい。多賀大社はイサナギ神を祀る式内社で、山口大神宮の多賀神社はここから分霊をしたものだ。

高峰稲荷神社 狐がたくさん!

いろいろな狛狐?がいた。下は見返り狐、なぜかここに陶器製の狛犬がいた。おそらくどこかにあったものを、この場所に一時保管してあるのでは??

 山口大神宮の下には山口県庁がある。付近には食べ物屋もコンビニもないので県庁の食堂でお昼を食べて、元気を出して次の八坂神社に向かった。

狛犬行脚 山口市の狛犬1

01 赤田神社の紅葉と狛犬

 山口に来て最初に訪れた狛犬は赤田神社のものだった。ここは周防の四宮(しのみや)だ。狛犬に出会う前にこの美しい紅葉を堪能した。ここまで運んでくれたタクシーの運転手さんを呼んで一緒に眺めた。地元の人なのにこの紅葉は初めてだという。

 祭神は出雲系の大貴己神だが、出雲大社のような大きなしめ縄はない。狛犬も出雲型の威嚇狛犬ではなくやさしいものだ。

阿吽ともに口を開けているみたいだが、左側は口は開いていても歯は閉じているみたいだ。いずれも過大な装飾はなくシンプルでなかなかかわいい。

 拝殿の天井には地元の絵師内藤鳳岳が描いた龍がこちらをにらんでいる。拍手しても共鳴はないので鳴き龍ではないようだ。隣にえびす神社があったが、狛犬がいないので無視してしまった。ゴメンなさい!

02 土師八幡宮 土師はいない!

  赤田神社から山口大神宮に向かう途中の岡の上に八幡様があった。かなり石段の登りできつかったので下りは石段ではない山道を下ったら人家に出た。奥さんが通れないから戻れというが我々の姿を見た旦那さんが「通っていいですよ!」という。通り抜けるとタクシーの待つ道だった。なんか夫婦で言い合っている。もめなければいいのだが・・

 やっとこさ登ったが石段の両脇や石垣の上の塀の細工がなかなかおしゃれである。ここの祭神は八幡宮なので八幡大神、応神天皇、息長帯姫(神功皇后)を祀っているのはどこも同じ。

 なかなかかわいい狛犬。作られた年代が文化5年(1808年)と刻んである。左の吽の頭には角のようなものがあるが写真ではよくわからない。狛犬はこの一対だけであった。

03 朝倉八幡宮 七卿落ち!

 まだ山口大神宮につかない。山の端に神社が見えたので運転手さんに行ってもらう。湯田温泉神社と朝倉神社が並んでいた。メインの朝倉神社の方に狛犬がいた。温泉神社にはいなかった。  

 難波型の狛犬だと言われているそうだが、私にはよくわからない。なかなか愛嬌があっていいのだが。文政8年(1825年)奉納と書いてある

 朝倉神社、なんとなく由緒ありそうな名前だ。幕末の動乱期に湯田温泉に滞在していた京都のお公家さん7人(七卿落ち)はこの神社に参っていた。三条実美らの歌が奉納された。明治になると彼らは赦免され明治政府の要職を担った。

  やっと3社を回ったが、まだまだメインの山口大神宮、今八幡宮には到着しない。お昼も食べていないので奥様は不満そうだ。    2024年12月3日

狛犬行脚24-02 いわき 諏訪神社の狛犬

 2024年いわき市を滝野澤さんの車に乗せてもらって巡った。いわきには諏訪神社がやたらに多かった。なぜなのか、その理由を調べるには至っていない。私の興味はその神社にいる狛犬をみたかっただけなのだ。以下の紹介するのは神社ではなく狛犬(獅子)がメインです。



小名浜 諏訪神社

石段上には青い鉄製の鳥居が見える。このような色の鳥居を見るのは初めてだ。小名浜の造船所が寄進した。造船所の技術を象徴して作られたものだろう。

鳥居の横にいるのが見える。阿形が玉取り、口にも玉をくわえている。吽形が子取り、爪がかからないようにやさしく子供の頭に載せている。昭和4年奉納、石工名は不明。この神社にはこの一対のみ。両方とも獅子だな。

湯本から住吉神社をへて小名浜の諏訪神社にきた。途中「ウロコジュウ」で海鮮丼を食べた。地元の人は港にある「ららみゅー」よりも安くておいしいという。


江名 諏訪神社(高台にあり津波被害なし)

合磯(かっつお)岬へでる峠の途中にこの鳥居がある。赤い鳥居からさらに急こう配の石段がありその上に社殿がある。

拝殿前のブロンズ製の狛犬。左の狛犬の頭には角がある。右は獅子!昭和11年奉納

街道沿いの鳥居の下にいる。小名浜諏訪神社の狛犬と同じテーマ。
おそらく同じ作者が作ったものだろう。

沼ノ内  諏訪神社

 沼ノ内弁財天は高い場所にあるが、諏訪神社は平地にある。正面の鳥居の前の狛犬は新しい。手前の赤い花崗岩には平成23年奉納と書いてあるので大震災の年に建てられたものだ。  

きっと津波で流されたものと思うが、そんなに早く狛犬を作ることができのだろうか。実は鳥居の奥に津波で折れた鳥居、狛犬が記念物として置かれている。  

 おそらく津波で台座から転がり落ちたが、遠くまで流されなかったものを回収し少し修復したが、新しくした方がよいと判断した氏子の方々が岡崎型ですぐに据え付けることができる機会彫りの狛犬と交換したのだろう。  この神社には拝殿前にもう一対の狛犬がいるが、そちらは被害がなかったようで従来の姿で立っている。


豊間 諏訪神社(両諏訪神社)

ちょっとした石段の上にある鳥居のもとには平成28年12月建立と書いてある。この鳥居の手前にも新しい鳥居がある。豊間は津波被害が大きかったところだが、奥の狛犬社殿には津波被害はなかったようだ。

昔はこの狛犬たちは海を眺めるていただろうが、広い大きな堤防ができたので海とは隔絶された。周囲には人家はまだまばらだ。

拝殿前の狛犬は珍しい顔つきだ。細い直線状の足、バカでかい阿吽の口、腕の下には翼が付いている。さらに珍しいのは社殿に対してお尻を向けていることだ。通常の獅子狛犬は横向きで顔だけ正面を向いている。東南アジアの獅子はみなこれと同じように社殿に尻を向けている。同じ形の狛犬が沼ノ内弁財天にもいる。たぶん同じ作者の製作だろうが時期、石工名は不明。

地図には諏訪神社とあるが、拝殿の額には「両諏訪神社」となっている。


四倉 諏訪神社

少し高台にあり、津波の被害は受けなかったようだ。諏訪神社と書いてある額の中に「本宮宮司三輪磐根謹書」と書いてある。私としては親しみがわいた。


最初に示した通り、いわき市には諏訪神社はたくさんある。今回回れたところは5社だけだったがいずれも狛犬がおり、地震、津波の被害を受けていた。しかし地元の皆さんのおかげで早急に復元されていた。すばらしいことだ。

狛犬行脚24-01 いわき市周辺

 2024年3月8日、賀曽利さんの第何回かの東北旅の前夜祭に参加するためにいわき市に行った。彼らはバイク旅だが、私は滝野澤さんの車の助手席でもっぱら神社、狛犬巡り。おかげさまでたくさんの狛犬を見ることができました。満足して「よこ川荘」の宴会で盛り上がりました。

まず今回巡ったいわき市の式内社の三社を紹介します。

大國魂神社(延喜式内社・縣社)

古代この辺りに磐城郡の郡衙(郡の役所)があったそうだ。目の前の田んぼの中には古墳がある。郡の長の墓かも知れない。

甲塚古墳 6世紀後半のものだが詳細は不明・国指定の史跡

鳥居をくぐり小川にかかる太鼓橋を渡る。右手には大杉があり根元には「ごもっともさま」という立派な〇〇がおかれている。目の前には見上げるような石段がありその上に社殿があるはずだが下からは見えない。石段下の両側には新しい狛犬がいる。

狛犬は氏子の方が還暦祝いとして奉納したものだ。左の写真には「初老祈念」という文字がある。初老というのは何歳のことかな??次の狛犬は石段上、さらに拝殿前である。

石段上、阿が子取り、吽が玉取 角がないのでいずれも獅子だ。
これも両方が獅子、かなり奥目、鼻の穴が大きい!なびかせている髪、尻尾がすばらしい。
昭和11年3月15日奉納、石工の名前はわからなかった

温泉神社(延喜式内社)いわき湯本駅近く

滝野澤さんは温泉ライターでもある。福島の温泉はほとんど回ったというが、温泉神社の境内に温泉が湧き出していることは知らなかったとのこと。神域なので足湯というわけにはいかないが手をつけて暖をとった。ここの狛犬は石段の上と拝殿前にいる。

狛犬に目をとられていたので危うく参拝するのを忘れそうになった。この神社の祭神は

大己貴(おおなむち)神、・・・大国主神の別名

少彦名(すくなひこな)神・・・大国主とともに出雲国を作った神

出雲系の祭神だが、社殿の造りは出雲系ではない。

住吉神社(いわき 延喜式内社)

  • 祭神は 住之江の三神
  • 表筒之男命(うわつつのおのみこと)
  • 中筒之男命( なかつつのおのみこと )
  • 底筒之男命( そこつつのおのみこと )

本家の摂津の住吉神社はこの三神に加えて神功皇后が祀られている。しかしいわきの住吉神社は住吉の三神のみが祀られている。住吉神社は海の神様で海辺に置かれている。この住吉さんも小名浜港に近い場所にある。

この神社には1対の狛犬しかない。ちょっと寂しい!

ふつうは阿が玉取、吽が子取りなのだが、この吽の狛犬(獅子)は何を手にしているのだか不明

八戸三社と根城

八戸市の中心は新幹線の八戸駅周辺ではなく「うみねこレール八戸市内線」の本八戸駅の近くである。駅前の馬淵川の低地から段丘崖を上がると「龗」神社にでる。難しい字で読み方を聞くと「おがみ」神社だそうだ。この神社が八戸三社の一つである。

八戸城跡(三八城神社)
おがみ神社の並び、八戸市役所の横に八戸城の大きな石柱がある。南部氏の居城だったが今は神社になっている。現在の八戸の町並みは八戸城の城下町だった。その街並みが良く残っている。この神社は八戸三社ではない。

神明社

市内の小さな神社であるが、ここが八戸三社の一つである。大きなイチョウがすばらしい。八戸三社の一つ!

新羅神社
1678に八戸藩藩主南部直政が建てたのが始まり。祭神は新羅三郎である。本殿・拝殿は県の重宝に指定されている。毎年2月17日には冬の郷土芸能「八戸えんぶり」の奉納舞が行われる。また8月の八戸三社大祭ではおがみ神社より神輿の渡御が行われ、8月2日には騎馬打毬の一つ「加賀美流騎馬打毬」が行われます。

根城
八戸城からほど近い段丘上に「根城」がある。ここも南部氏の居城であり、整備がよくきれいに保存されている。隣には八戸市の博物館がある。博物館で調べてみるとここは根城南部氏の居城であるが三戸にいた南部氏が八戸を支配し根城南部氏を遠野に追いやったそうだ。同じ南部氏でも本家や宗家などいろいろあったらしい。今の八戸城下町はもとは根城の城下町を移転したもので八戸の人たちは根城南部氏びいきが多いそうだ。八戸城は草ぼうぼうだが根城はすばらしい。八戸の人々の思いがこもっているのだろう。

南部一之宮 櫛引八幡宮

  全国の一宮は全て回ったつもりだった。しかし青森県の八戸市の櫛引(くしひき)八幡宮に来たらここも一之宮と書いてあった。一宮は律令国( 701年から)に一つづつあったが、近年は我こそが一宮と名乗る宮が複数あるため100ヶ所ほどの一宮がある。

八戸のあたりは律令制のできた頃にはまだ蝦夷地であった。神社の方に聞くと、律令国ではなく、「南部藩の総鎮守、南部一宮です」とのことだった。古代の陸奥国の多賀城の北方は実質的にはアテルイらの英雄が支配する蝦夷の国だった。

陸奥国の一宮は仙台の塩釜神社で、その北の岩手県、青森県に大和政権は支配が及んでいなかった。坂上田村麻呂ら征夷大将軍の力によって支配地は徐々に広がって行ったが、陸奥国が陸前、陸中、新陸奥に分かれたのは明治になってからだ。

陸前一宮は塩釜神社、陸中の新一宮は水沢市の駒形神社とされた。しかし新しい陸奥国には新一宮は認められなかった。八戸市の櫛引八幡宮は南部一之宮と称しているが新一宮には入っておらずローカル一宮である。
 しかし大変立派で東北には数少ない「国宝」の鎧もある。私は新一宮に昇格させてもいいのではないか!と感じている。

雨が降っていたのでかなり端折っての参拝だったが拝殿本殿にはここが発祥の駒犬が居り、警備をしていた。普通の石の狛犬のほかに灯篭の間から顔を出したかわいい狛犬も珍しい。通常弁天様がいる水辺には河童がいる。なかなか興味深い神社であった。もし可能ならもう一度寄って南部氏との関連をもう少し掘り下げてみたい。

肝心の祭神を忘れてはいけない。八幡宮と言うことからわかるように「八幡大神」(誉田別命)を祀っている。

 

 

琉球国一宮 波上宮


全国一宮巡りは一応終わったが、明治以降に新たに加わわった新一宮があることを知った。東北地方はまとめて陸奥国だったが明治になって津軽国、岩代国などが追加された。それらの国の一宮も巡ったが沖縄はどうしても同等にできないとおもっていた。。沖縄の新一宮は波上宮とされているが、その神社の元は琉球国の重要なお城であり信仰の場所でもあった。琉球国は律令制の国とは違ってれっきとした独立国であった。それを明治政府がムリヤリ日本国に組み込み神社として古事記の神様を祀ったのだ。新一宮とされているが武蔵国とか越後国など旧国(律令制の国) と同じレベルではない。琉球国に対してリスペクトがあれば私は新一宮とすることに異論はない。祭神に昔の琉球の神様を追加してくれれば、私はなんとか納得するのだが!沖縄の人が納得するかどうか、それはわからない。

とりあえず今の波上宮の様子を写真で示しておきます。もう少し考えたい。

津軽国一宮 岩木山神社

大和一宮の大神(おおみわ)神社(三輪明神)から始めて全国の一宮をめぐってきました。昨年の時点で103か所ある一宮をほぼ全部を回っていたのですが、明治になって新しくできた国の「新一宮」が6か所あるので、それも回っておこうと思い立ちました。

陸中、岩代、秩父の一宮は回ったのですが、あと北海道、琉球、津軽が残っていました。北海道と琉球は一宮巡りの前に回ったのですが、意識をしていなかったので狛犬写真がありません。もういちど巡って写真を撮ってきてからホームページにアップしようと思います。

今回最後の津軽国一宮をめぐり、岩木山(1625m)にも登ってきました。ホームページにアップしたレポートを、お暇なら見てください。下の青い文字をクリックする。

津軽国一宮 岩木山神社

外出禁止前に!まだお花見!

緊急事態宣言が出るとの噂だったが、安倍首相は二世帯住宅には4枚マスクを配るというだけ。まったく緊張感もない。大の大人が国会でいったい何を論議しているのか。私は羽鳥慎一モーニングショーに出ている岡田先生の言うことだけを信じて行動することにしている。都知事も大かたこの先生の意見通りに進んでいる。安倍はいったい誰の意見を聞いているのだろうか。医師会はなんとしてでも外出禁止を含む緊急事態を宣言するように勧告している。専門家の意見を聞かないで、200億円もかけてマスクを配る算段をしている。モーニングショーで長嶋一茂が「自分もバカだが政府は私よりも数段バカだ!」と言い切った。おバカにバカと言われるなんて、どんだけのバカだ。 もうあほらしくてやってられない! といっても何にもしないとぶくぶく太る。外出禁止になったら私はどうしたらいいのか? とりあえず大急ぎで散歩に出かけることにした。人とはしゃべらない、人込みにはいかない、布マスクはしない。電車には乗らない、外で飲食はしない。

本日は我が家から歩いて雑司ヶ谷墓地にむかう。墓地なら人は少ないだろう。まず我が家の前の健康長寿医療センター!渋沢栄一さんが作った養老院が母体の医療施設。若者も入れるが少数。新型コロナ感染者はいない。まずは我が家の庭の花の写真から。渋沢さんも桜を見ています。

池袋まで歩いて行き、都電の線路を渡って雑司ヶ谷墓地へ。ここには桜はありません。不忍通りを渡って護国寺へ行きました。ここにはたくさんの桜がありました。大仏さんもいました。富士塚もあります護国寺には大きな墓地があり、隣には皇族様の墓地もある。こんな時期墓地に来る人はいないかと思ていたら、お弁当をもって境内で離ればなれでお昼を食べている人が何人もいた。近くには寄らなかった。

お茶の水女子大学の前を通る。いつも休むいいカフェがあるのだが本日は横目で通り過ぎて、筑波大学の前から播磨坂に向かう。ここでは毎年仲間で集まってお花見をしていたが今年は中止にした。写真を撮って皆に送ろうかと思っている。あれれ、ワインで花見の人がいる。安倍首相は「レストランはいけないのか?」と言っていた。レストランはいいんだよ!

最後の写真は宗慶寺の前の極楽水の石碑。宗慶寺はわが恩師のお寺。先生の存命中はここでクラス会をやっていた。サッカー仲間の並木君の葬儀もここで行ったなあ。極楽水の石碑の根元には「几号水準点」の刻印がある。竹早の地理先生の細田さんと一緒に掘り出したことがあった。昔竹早高校の前身である府立第二高女は光圓寺というお寺の境内に作られた。そこの桜を見て、伝通院に向かった。
境内には浪越徳次郎の指塚がある。「押せば命の泉湧く!」で超人気の指圧師だった。となりには淑徳学園がある。校章の桜と並べて写真を撮ってみました。

伝通院の門はりっぱに復元されている。この寺は徳川家康の生母のである於大の方を葬っており、その戒名から名付けられた。美術の中原さんは秋になると生徒たちを集めて落ち葉で焼き芋をやっていた。今では夢のような話だろう。

伝通院のちょっと下に澤蔵司(たくぞうす)稲荷がある。ここには有名なパワースポット「お穴」がある。私たちはしばしばここで遊んだ。退職後も「みわ塾」の仲間とともに数回訪れている。稲荷なので狛犬はいないが眷属のキツネがたくさんいる。手水舎の屋根にも立派な彫り物の狛犬がいた。ついでにネコビルも健在だった。日本の「知の巨人」といわれる立花隆さん書斎である。


本日のお散歩はこれで終了。歩いて帰ろうかと思ったが、家を出て3時間。休まず歩いているので疲れた。都営地下鉄の春日駅から電車に乗ることにした。マスクをして2m以内に人がいない車両を選んで乗ったので、新型コロナのウイルスはいなかっただろう。しかし明日は電車に乗るのはやめよう。

戸隠神社、鏡池、隋神門

外遊びはコロナにかからないためには重要だ??

戸隠神社の狛犬は、我がFBに何度も登場させた。戸隠神社の中心である中社には石段下に一対、石段上(冬の間は上れないので迂回する)には二対の狛犬がいる。石段上の二対については急な崖上なのでいい写真が撮れない。それはまあどうでもいいが、全部で三対と思っていたら今日すぐ脇にある摂社諏訪神社にも一対あることに気がついた。友人の御岳山紅葉屋から「三輪さん、戸隠にいるなら極意さんに寄ってよ、知り合いだから」という電話をもらった。朝早かったがそば屋の「極意」を訪ねた。その真裏にあったのが諏訪神社だ。天照系の戸隠神社に出雲系の諏訪神社があるということはなかなかの発見である。狛犬発見よりも神社の混合の発見の方が、いとおかし!

今回は越水が原にある我がクラブの山荘で若手OBOGとの交流会への参加である。高齢のために家族から車をとりあげられたので、私は新幹線とバスで戸隠中社までくる。そこから3キロほどはいつも歩いている。この時期雪が深く難儀するが、今年は雪が少なく水路があちこちにできているので、さらに難儀した。せっかくすぐそばまで来ているのに、かなりの迂回をする。二時間ちかく森の中をウロウロした。通いなれた道なのに一人で雪の中を放浪するのは心細かった。次は車道を歩いて行こう。

午後から若者たちと歩くスキーを使って鏡池に行く。鏡池は例年全面結氷して上を歩くことができる。しかし今年は池畔の氷が解けて水面が出ているので、いつ真ん中の氷が割れるか心配で歩くことはできない。
天命稲荷神社の赤い鳥居はいつも上の笠木だけが出ているが、今年は潜り抜けることができた。ここからは夏道のボードウォークの上を歩くしかなかった。普段は好き勝手に行くことができるが、今回は水路が出ているので木道の上を歩く。

隋神門にでて杉並木を歩いて戻る。ここは人の通過が多いので氷になっており、ツルツルで歩くスキーではツルツル滑って転んでしまった。敷石の上に薄く氷があるだけなので痛い痛い! そのあと越水が原へ登り返す。朝方ズボズボ雪に潜って難儀した道はスキーでは快適に進んだ。本日は全部で12キロほど歩いたが、スキーで滑るのは歩数にならないらしく、歩数計は1万2千歩ほどだった。外遊びはコロナにかからないためには重要だ??

 

狛ヘビ 矢川弁財天

 12日は御岳山で紅葉屋開業90周年をやることになっていた。しかしコロナで中止。憂さ晴らしに立川で宴会をすることにした。その前に下島さんに「狛ヘビ」を案内してもらった。矢川という超短い川の源頭に小さな池があり、そこから川が流れているが、長さは1.2キロで多摩川に合流する。下島さんによれば矢のように早く水が流れるので「矢川」というのだそうだ。

南武線西国立駅から少し歩くと矢川緑地がある。立川聖苑の先から下りにかかる。この斜面は府中崖線である。光西寺という西本願寺系の前から緑地に入る。現在ボードウォークは工事中。すでに緋寒桜が満開! 新しいカメラは花をとるのが下手で、今回も失敗。 道路を渡って反対側に降りると矢川弁財天がある。弁財天は弁天さんで、七福神の中で唯一女性の神さま。いつも水辺にある。三大弁財天というのは安芸の厳島神社、琵琶湖の竹生島神社、江の島の弁財天、あるいは天河弁財天(奈良県天川村)と言われる。ここのは小さいがちゃんと池と祠がある。ついでに橋の欄干にもヘビが・・・。

 

 

 

有翼狛犬がいた! 築地本願寺

3月9日わが父の命日、6日は奥さんの母の命日、10日は東京大空襲、11日は東日本大震災。まず両国の東京都慰霊堂に行ってきた。もう桜が咲いていた。お弁当を食べている人がいたが、お参りの人は数人の外国人だけ。100歳になった我が母は隅田川の近くで1923年関東大震災にあった。1945年に私を背負って原爆(爆心地から20㎞)にあった。東京都慰霊堂は関東大震災と東京大空襲の被災者を祀っている。

 そこから築地本願寺に行く。我が家の檀家寺は西本願寺の末寺で50数年前に亡くなった父の骨は大谷本廟に分骨した。築地本願寺は西本願寺の東京別院だ。
この寺は古代インドの仏教建築の様式で1934年に本堂が落成した。築地の場外市場の隣にあるが、特別に目立つ建物だ。この境内にも寒緋桜が咲いていた。

それよりも感激したのが正面にある狛犬だが、下のものを見ると翼がついている。イラクの古代遺跡に有翼ライオンがあったが、あれと関連があるのか。ともかく有翼狛犬は初めて見た。本日の大収穫。

築地場外は半分ぐらいが閉まっており、閑散としている。株価は1000円以上下がったそうだ。政財界からそろそろ批判も出てくるだろう。年寄りは外に出ないで自粛しろと言われているが、寺参りぐらいはいいだろう。新しくしゃれたカフェができたので豪華ランチ。

「年寄りのために、みんなが自粛しているのに、何やっているんだ!」と怒られそうだ。でも家に閉じ込められると、腹立つことが多すぎてストレスがたまり本当の病気になりそうだ。お見逃し下され!

この記事はFacebookに載せたものだが、その記事にコメントをいくつかいただいた。その中にガーゴイルに似ているという投稿があった。妖怪型で、屋根にのっている雨どいらしい。湯島の聖堂の上に載っている写真を撮った覚えがあるので、載せておきます。

浦和:調(つき)神社の狛うさぎ

不要不急の会合は自粛だそうですが、我が狛犬楽会の探索会は必要緊急ですから、実行します。
集合場所:JR湘南新宿ライン・京浜東北線 浦和駅中央改札口
集合時間:2月22日(土) 13時30分
参加費:500円(資料代)
参加の方:ブログのコメント欄か三輪の携帯(090-9827-8340)にメールしてください。
行先はまだコロナウィルスが蔓延していない浦和です。
今年は干支の狛犬を探し、先月は狛ねずみを見てきましたが、今月は2011年の干支であった狛うさぎを探しに行きます。浦和の調神社は「つき」神社と読みます。この音から連想して「月」神社とし、境内各所に月で餅つきをしている「うさぎ」を配しました。それを見に行きましょう。
さらに門前の旧中山道を通り、浦和のもとになっている「浦」の跡である別所沼を見ましょう。昔は汽水の入り江にはウナギがいました。浦和の名物はウナギ、帰りに寄りましょうか!いやいや高価でちょっと無理かな?
そのまま中浦和に行き解散です。浦和と名がつく駅はJR線には7つあります。本日全部の駅に行って写真を撮って来ました。