今年も上高地から徳澤園へ

7月末に徳澤園に行くことにしていたが、台風の襲来で1か月延期した。やはりこの時期は天候が不安定で、結果としては雨に降られて、予定の山登りはできなかった。でもまあいい。いつまで孫たちについていけるか、と思っていたが、奥さんはもうそろそろ限界に近い。ふだんは仕舞のけいこで体を動かしてはいるので、ゆっくり歩けばまだまだ大丈夫なのだが、孫たちは速い。もう待ちくたびれた!と言われるので急ぐとまたまた疲れる。初日は新幹線で長野へいき、そこからバスで上高地へ直接入る。私は上高地へ行くのは松本からとしか考えていなかった。しかし松本からは松本電鉄で新島々へ行き、そこでシャトルバスに乗って上高地に入る。乗り換えに時間がかかるので、料金は高いが長野新幹線の方が時間短縮になる。知らなかった。

今回はSONYの固定焦点のビデオカメラを使った。これは自撮り用カメラらしい。自撮り棒に着けたり、逆にまわして追かけながらとるようだ。最初なのでなかなかうまく取れなかったが、慣れれば面白いビデオがとれそうだ。次回はスキーの時に使ってみよう。

陸奥の国一の宮の訪問記

陸奥の国というのは大和の国からみたらはるかかなた。そんなところに人がいるはずはない!と中央政府は考えていたようだが、アイヌなど民族は沢山いた。彼らを蝦夷と呼んで戦いが繰り返されたが、相手はなかなか強く、支配権は長く及ばなかった。

大和民族は白河の関から先は陸の奥、すなわち陸奥国とした。大和政権が作られた時代、政権に組み込まれた神社は陸奥にはほとんどなかった。延喜式という書の「神明帳」に書かれた神社が公式の神社だ。陸奥の国、といっても白河の関の近くに延喜式内社があった。都都古和気神社が一宮と言われていたが、それがどこにあるかわからない。現在都都古和気神社と名乗っている神社が3社あるが、自己申告制ですべてが陸奥一之宮ということになっている。

現在の青森、秋田、山形、岩手、宮城、福島県には一宮は都都古和気神社しかなかった。現在新一宮とされているところもあるが、それは明治以降に作られたものだ。しかし現在でも秋田県には一宮はない。
福島県の都都古和気神社が一宮を名のるので、福島県には現在3つの一宮があることになる。

一宮訪問記を作成したのでご覧ください。

福島県棚倉町:都都古和気神社の狛犬 

朝6時半に我が家を出て、青春18切符で水戸経由、水郡線の磐城石川へ行ってきました。鈍行乗り継ぎなので石川に着いたのは11時40分。5時間以上の旅でした。石川には石都都古和気神社というのがあります。ここは陸奥の国の一之宮。小林和平という石工が作ったすばらしい狛犬がいます。子獅子が3匹。彼にも3人子がいたそうです。  この狛犬に迎えられて、高い石段を登るとその上に社殿拝殿があります。ここには石川城という城があったようです。奥州安倍一族と戦った(前九年の役)源のなんとかという人が代官となってここに住み着き、石川なにがしかと名乗ったそうだ。その石川が地名になっという。  もちろん石川城よりも前から神社はあった。といってもたぶん磐座だったろうが、そのうち特定の神さまを祀るようになった。味耜高彦根(あじすきたかひこね)神という名前だが、たぶん誰も知らない。そこに誉田神(八幡神)を石清水八幡宮から勧請したのでこの地は八幡山になった。昔は神さまをどんどん追加することができたのだ。
石段の途中に「磐座」がいくつもある。古代の原始的なお祀りの方が私は好みだ。たぶん一般の人も、磐や樹木に神さまが宿っている(なんらかのパワー)と考えているのではなかろうか。アジスキタカヒコネ神と言っても知る人はいないだろう。 12時半に石川駅に戻ってきたが、次の一之宮がある棚倉駅に向かう列車は2時40分までない。2駅なので歩いて行こうと思ったが、20キロ先というので諦め。コンビニで親を買って涼み、待合室で高校生と1時間も待った。
2時40分に乗って棚倉でおりて、もう一つの都都古和気神社に行く。さらにそこから4キロ先のさらにもう一つの都都古別神社に行く。暑い中4キロは歩くつもりだったら、千葉の神社巡りの方が、私も行くのでどうぞ!と言って載せてくれた。
陰で3つの都都古和気神社を一日で回ることができた。  近津駅に来たら5時3分まで列車はない。待合室もない。帰りも鈍行。水戸に7時15分。日暮里に着いたのは9時30分。家には10時ちょっと前。朝から15時間半の行動だった。歩数は2万歩。疲れた!年寄には青春切符はつらい!

上高地予定表:

上高地へ行く前に計画書を作りました。別に持ち物チェックリストもあります。
孫たちに役にたつかと思ったのですが、雨具を忘れてくる! どこへ行くのかわからない?
計画書をまったく見ていなかったようです。
まあそんなものでしょうか!

今年の夏は長野県の上高地(かみこうち)へ行きます。北アルプスの山の中にある有名な観光地です。
河童橋(かっぱばし)や大正池(たいしょういけ)にはおおぜいの人が集まります。変更後です。

8月27日(月)
ときわ台(5:58)→(6:07)池袋 (6:13→(6:47)大宮・新幹線はくたか(6:54)→(8:06)長野
◆はくたか551・8号車14番ABC:15番ABC  ◆バス・せせらぎ号1号車
長野駅バスターミナル(8:25)→(11:05)上高地バス停(お昼)
【歩き】河童橋(11:30)→観光センター(12:00)→明神(1:30)→徳本峠分岐(2:00) (分かれ道)→古池(2:30)→徳沢園(3:15) 到着(ソフトクリーム) 【徳沢園】 夕食6:00 それまでにお風呂 星空観測8:00から 就寝9:00

8月28日(火)
【横尾へ】 横尾から本谷にあがってみましょう!
・・・・横尾へ着いたら大雨になりました。急いで徳沢園に引き返しました。
新しい靴と、雨具だったので大丈夫でした。
【徳沢園】 夕食6:00 それまでにお風呂 星空観測8:00から 就寝9:00

8月29日(火)     徳澤園9:00→明神11:00 明神池散策 嘉門次小屋
河童橋へ 裏道 12:30
12:40 新島々行 松本 2:49→5:26  (あずさ)
参加メンバー     YAMADA 一家
MIWA 老夫婦

目的

夏休みを山の中で過ごす。自然を味わう。
家族の親睦(しんぼく)
上高地の自然観察をする、日記を書く。

 

■ 途中にこんな景色があります! ■ 写真の下に解答してください!
河童橋(かっぱばし) 梓川(あずさがわ)と焼岳(やけだけ)
徳澤園(とくさわえん) 穂高岳 岩壁
ホタルブクロ オダマキ クサボタン ゴゼンタチバナ センジュガンピ

 

徳澤園だよ!

 

地図を示しておきます。これは国土地理院という役所で作っている地形図です。地形図には等高線(同じ標高を結んだ線)が描いてあります。登山する人はみんなこの地図を使って、事前に行く場所を確認していました。

◆上は20万分の1 小縮尺の地図(分数の値が小さいのが小縮尺)

◆下は2.5万分の1 中縮尺の地図です。

28日の12時半ごろに明神池の入り口にある「嘉門次小屋」でお昼を食べます。

(上高地と明神では携帯電話使えます。)

▲上条嘉門次(1847~1917)は、日本近代登山の父、W・ウエストン夫妻の山案内人。上高地で猟師をしていた嘉門次は、14歳にしてはじめてカモシカを撃ちとり、生涯でクマ80頭、カモシカ500頭を仕止めました。32歳の時には明神池のそばに自分の小屋を持ち、上高地一帯の地形を熟知していました。

大山ケーブルカーが新しくなっていた!

東京は雨もようだったが、久しぶりに伊勢原の大山に行ってきた。調子がよければ頂上まで行こうと考えていたが、蒸し暑いのでゲンナリして、下社の拝殿に寄っただけで戻ってきた。大山の神社は阿夫利神社、頂上に本殿があるが、そこまで行くのキツイのでケーブルカーの終点にある拝殿にだけ行ってきた。ケーブルカーは2016年に最新式に変更になった。これはすばらしい。何回も大山登山に来ているがケーブルカーに乗ったことはなかった。今回初めて最新式にのった。ケーブルカーの原理はわかっているつもりだったが、中間点ですれちがうときに車輪はどうなるのか、不思議だった。写真を見ていただきたい。どう見てもふつうの線路の交差とは異なる。中間点に大山寺駅があるので車輪をじっくりと観察できるかと思って待ったが車体の下を見ることはできなかった。あとで調べてみたら外側の車輪は線路をつかむようになっており、内側の車輪は幅が広く表面が平になっており、ロープを跨いでいけるようになっている。さすが最初に考えた人はエライ。

佐渡:五重塔・能舞台

順徳天皇(鎌倉時代)が承久の変で幕府に敗北して佐渡に流された。その後日蓮も佐渡に追放された。佐渡は政治犯の流刑地であった。彼ら教養人が長く暮らしたために、佐渡は文化程度も高くなった。その後金銀山で大いに栄え、多くの文化人も住んだために、神社仏閣も多くなった。

たいていの神社には能舞台も作られた。我が家の奥さんは舞囃子を稽古しており、能舞台には興味を示している。いくつかの能舞台を見たが、ほとんどが囲いがあって中を見ることはできなかった。雪深い地なので雪囲いは必要だろう。そのなかで大善神社だけは能舞台を見ることができた。なかなかすばらしい。

五重塔:妙宣寺
佐渡に唯一の五重塔という。日光東照宮の五重塔を模した立派な塔だ。妙がつくのは日蓮宗の寺だそうだ。あれれ写真が横になってしまった。どうしよう!まあいいか!・・・二枚併せて一枚にした。これでオーケーだが、一枚づつでは勝手に横になってしまう。

佐渡の神社巡り:狛犬三昧

真野湾を目指していると気比神社があった。気比神宮は越前一宮が一番有名だ。日本海側にはいくつかの気比神社があるが、ここ佐渡にもいくつかある。車で通り過ぎようと思ったら、気になる狛犬が見えたので引き返した。越前一宮に居るのと同じ狛犬がいた。ダースベーダー狛犬だな。

ダースベーダーってスターウォーズに出てくる悪役。狛犬分類には越前禿型などと書いていあるが、ダースベーダー型の方が現代的だなぁ。
佐渡村社気比神社佐渡:白山神社
名前を確認するのを忘れた

佐渡:蓮華峰寺・小比叡神社

佐渡へは直江津からフェリーで小木港に来た。メーンルートは新潟から両津港に来る方法だが、今回は佐渡一宮:度津神社に行くことが目的だったので、たらい船の港にやってきた。

港でレンタカーを借りた。路線バスもないのでしかたがない。久々の運転で緊張したが交通はほとんどないので、すぐに昔の感覚を取り戻した。しかし街中ではより緊張するだろう。これからは田舎道だけレンタカーを借りよう。ところでこの車のナビの使い方がちっともわからない。途中ガソリンスタンで聞いたが、わからない。おかげで道をぐるぐる回ることができたので結果はオーライ。

蓮華峰寺と小比叡(こびえ)神社。

目的地に向かう前になかなかいい寺、神社を巡ることができた。その一番がこの二つ、というより一つの敷地内にある神仏混交の寺社だ。江戸時代には佐渡の寺を束ねるほどの力を持っていたようだ。
真言宗智山派の寺院。大同元年(806年)、真言宗の開祖、空海の開山という伝承をもつ。山号は小比叡山(こびえさん)。
金剛寺、室生寺とともに真言の三大聖地の一つとされる。佐渡四国八十八札所の第六番札所。

小比叡神社は元は蓮華峰寺の鎮守で、山王大権現と称されていた。明治の神仏分離により小比叡神社と改められた。
祭祀は大己貴命(おおなむちのみこと)で白山姫命、菅原道真を合祀しています。
大己貴命は日吉大社西本宮(大比叡)の祭祀で、また小比叡神社の紋所は二葉葵。これは日吉大社東本宮(小比叡)の紋所と同一であるので比叡山の山王権現を勧請したものと思われます。

本殿は1640年の建立で、拝殿後方の覆屋内に置かれています境内入口の鳥居は石造明神鳥居で、鳥居をくぐった先に茅葺の拝殿があります。

舞囃子:須磨源氏

水道橋の宝生能楽堂で恒例の七葉会が開かれた。わが屋の奥さんは今回で12回目の舞囃子で出演。そろそろ足元がおぼつかなくなってきたと心配していたが、けいこの時とはうって変わってスムーズな動き。無事に勤めることができた。

舞囃子が無事に終わって、我が家はこれから夏休み。しかし奥さんは、次の舞囃子は何にしようかと思案中。元気でできるうちはまあ頑張って欲しいが、体力よりも先に資金の方がつきそうだ。私はそっちのほうが心配!