久しぶりに王子の稲荷神社の狐の行列に行ってきました。昔は自分たちもお化粧して行列に加わったのですが、いまはもう見物だけ。10年前にはさびしい行列だったが、いまはものすごい人人。かなりの中国人の人が見物していました。英語で説明を求められたのですが、どこに神様がいるの?? なんで狐なの?? 何を求めて行列するのか?? 説明は難しいね。でもみんな楽しんでいるようでした。段々の上にお宮があるのですが、長蛇の列なので、遠くから手を合わせて、戻りました。家に着いたのは1時半。もう年を越えていました。
月別アーカイブ: 2014年12月
高尾山 シモバシラの花
あの日から10年、 紅白が嫌いなわけ!
10年前の今日、私はミャンマーのイラワジ川の河口のデルタにいた。明学大の学生6人と一緒にマングローブの森の中の島の一軒家にいた。隣の島までは舟で2,3時間かかった。その島は河口の低湿地で地面の高さは1m以内だった。島の最高所はマングローブの木々と木造の小さな展望台だけだった。もし3mの津波が来たら、全滅になるところだった。
朝水辺のベランダで朝食をとっているとかなりの揺れが来た。けっこう長い大きな地震だった。「これは津波が来るなぁ!」と思い、皆に地下足袋をはいて、水が上がってきたら木に登るよう準備をしていた。実際は木に登ってもだめだったろうが、他に高所はないので、選択の余地はなかった。1時間ほど待機したが、50センチぐらい水位が上がっただけで、津波はなかった。
電話も電気もインターネットも何にもないところだったので、沖を通る船へ連絡官の方に行ってもらい、様子を聞いたら「韓国で大きな地震が起こった!」とのことだった。しばらくBBCのラジオ放送を聞いていたら、スマトラ沖で大きな地震があり、津波で大きな被害が出ていることが分かった。「ツナミ」が英語だったことを知った。
別の地域に散っていた仲間と合流して、ボガレーという町に戻ったのは28日だった。そこには津波がきており、水浸しだった。さらにそこから10時間以上かけて首都のヤンゴンに戻った。日本では我が家も学生の家族も情報収集に奔走していたが、大使館は正月休み。日本企業はどこにもないので、情報は何にもなしで、大変心配をかけた。3日間過ぎてやっと電話が通じ、連絡がついて、ホッとした。
ヤンゴンではBBCやCNNが大地震、津波の報道をしていた。犠牲者は数万にのぼると言われていたが、実際には22万人にものぼった。ヤンゴンではNHKの国際報道も見ることができたのだが、1日中紅白歌合戦の宣伝ばかり。日本人も数多く亡くなっており、行方不明者も多いのに、なんと心ないことかと思った。せめてBBCの1/10でも報道してくれよと思った。その時から私は紅白歌合戦が嫌いになった。もちろん紅白が悪いわけではないが。
ここ数日紅白の宣伝が始まっているが、それを見るたびにスマトラ沖地震、インド洋津波の悲劇を思い出す。紅白なんて中止して、もっともっときちんと報道していれば2011年の東日本津波の被害は少なかったろうと思う。あれだけの悲劇だったのに紅白、紅白とはしゃぐなんて、外国の人は呆れていた。しかし反省はまったくなく、相変わらず紅白紅白と叫んでいる。
東日本大震災の時には外国のテレビBBCやCNNは連日放映していた。日本のテレビや新聞は報道機関だということを忘れてバラエティーばかりやっている。やっと先日NHKでは、原発の放射線の放出が水素爆発以降だったとの報道をしていた。私の信頼する戸来(へらい)記者が報告していたが、こういう検証報道をすることがテレビや新聞の使命だろうに。
話は広がったが、ともかく12月26日スマトラ沖地震の日、私が紅白歌合戦を嫌いになった日だということだ。「国民的行事!」とはしゃぐ人も多いが、「ちがうんじゃない!」という人もいるんだということもお忘れなく。
年賀状かいたぞ!
三日月 写真
雪見の宴 といきたいところだが・・・
冬至は明日か!! 映画??
本日は冬至だから休みと思っていた。でもただの日曜日だった。冬至は明日だ。仲間が冬至の日に、高尾山でダイヤモンド富士が見れると言っていた。私も本日行こうと思っていたが冬至じゃなかったのだ。アレルギーか?風邪か? よく解らないが、クシャミ、咳がひどくなってきたので、休養することにした。
年賀状を書きながら、テレビを見ながら、とろとろとやっていたら、パソコンから出てきた名前が20枚、同じだった。宛名印刷なのに、同じ名前を20枚印刷するというチェックを入れていたのに気がつかなかった。大失敗。だんだん注意力が散漫になっているなぁ。
ところでテレビでは、アメリカで北朝鮮の金正恩第一書記を題材にした映画が北朝鮮の脅しによって上映中止になったことに関していろいろ言っている。オバマさんは、北朝鮮の脅し屈服した会社や映画館に対して、怒っている。そんな脅しに屈したら、つぎつぎにいろいろな因縁をつけてくるのはわかっているからだ。 さてどうする。映画会社はSONYの子会社らしい。日本では上映するのだろうか? その時には政府はどう対処するのだろう。
落ち葉アレルギー?
昨日から咳とくしゃみが出て、鼻水がたれる。鼻紙は瞬く間になくなってしまい、ゴミ袋を持って歩くようだ。あまりにもすごいので珍しく医者に行った。熱がないし関節も痛くないのでインフルエンザではなさそう、と言う。
どうも一昨日山と積み上がった娘の家の落ち葉を掃いていたときに、落ち葉の砕けた細かい粉を吸い込んでむせたのだが、あれが原因だったかなと思う。お医者さんに話すと、きっと落ち葉アレルギーでしょうという。アレルギーを解消する薬を処方された。
先日70歳を超えたので医療費は2割負担になり、薬代も520円。年寄りには優しいけど、若者にこそ優遇した方がいい。年寄りはゆっくりのんびりしていれば治るものは治るのだから。薬をもらったけど、温泉療法のほうがよさそうなので、板橋区の名湯「さやの湯」に行く。値上げで830円になったが、こっちの方が効きそうだ。
しかし19日夕方現在、薬、温泉の効力は見られない。鼻水は相変わらずだ。はやく寝よう。奥さんは「移ったら大変だから、そばに寄らないで!」という。いつも来る孫にも「早く帰りなさい!」 アレルギーは移らないと思うのだけど。奥さんの言うとおりにしよう!
海宝体操塾 本日で終了!
第3水曜日の午後高田馬場の体育館で行われていた海宝さん主催の体操塾が本日で終了になった。ほぼ10年続けてきたが、70歳を超えた海宝さんはそろそろ仕事に終止符を打って、このさき新たなことをやろうということらしい。
私はこの塾の立ち上げのときから一緒させてもらっていた。ちょっと残念なことだが、人生引き際が大切。みんなに惜しまれながら、終止符を打つのは大変いい。
いつもはうるさいTAGUCHIさんが「感謝状」を作ったので、海宝さんに渡して欲しいという。この感謝状を作るために、筆と墨を買い、書道を師範に習って書いてきたという。それだけ海宝さんに入れ込んでいたんだ。
せっかく習って書いたのだが、紙はカレンダーの裏。大きくてきれいな紙はこれだけだった、言うがコーティングがしてあるので墨はしみ込まず、手にくっつく。そんなことで苦労をしたらしいが、カレンダーの裏とは、田口さんらしい。
会長の長老櫻井さんから手渡してもらう。海宝さん次の企画は?? みなさん期待しているのだが、3月までは完全休養とのこと。その間に1月31日2月1日は南会津の伊南川でスノーシューで冬を楽しもうという企画があるだけ。私は参加しようと思っているのだが、人が集まるかしら?
まあともかく長いことお疲れ様でした。新宿で有志が集まってお別れ会、次回の企画会を行って今日は解散。
ハタハタ がやってきた
青森の友人からハタハタが送られてきた。「秋田名物八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ」秋田音頭の一節。八森海岸がハタハタの本場だが、もちろん海に県境があるわけではなく日本海側で今はたくさんとれる。
江戸時代以前から秋田の食卓になじみの深い魚で、冬の雷が鳴る頃に沿岸に集まるので、別名「カミナリウオ」とも呼ばれている。しかし乱獲などがたたって一時激減、大衆魚から高級魚になってしまった。平成4年に自主禁漁に踏み切り、禁漁期間中は、稚魚の放流が行われた。そのおかげで現在は数を増やしているが、もちろん過去の大漁は昔話だらしい。
うろこがないのでさばくのは楽だがぬるぬるしてとらえどころがない。私は左手に軍手をしてつかんで出刃包丁で頭をとった。友人たちにも配ったが、頭は取らずに焼いた方がおいしいとのこと。もったいないことをしたかな。我が家は煮て食べた。大衆魚だったというが、いまは高級魚。白身で品がよくおいしい。
石油価格暴落!
石油の価格が暴落している。それに連動してロシアの通貨であるルーブルが大暴落した。われら一般人にとっては大変結構なことだ。政府にとっても円安で輸入物価が上がってしまったのに、石油が安く手に入るのは大変結構なことだ。しかし国際的に考えると、裏では大変なことが起こっているらしい。テレビを見ているとプーチン大統領は、アメリカとサウジアラビアが仕掛けたと怒っていた。
我が家の暖房は石油ファンヒーター。エアコンもあるがこれで暖房をするとお金がかかる。考えてみると火力発電所で石油を燃やして電気を作って、エアコンで暖房すると大変効率が悪い。石油を燃やしてじかに温める方がはるかに効率がいいに決まっている。お金の問題もあるが、電気の無駄使いをしないためにも石油暖房を使っている。
石油は自分でガソリンスタンドに買いに行く。前は自転車に乗せて持ってきていたが、だんだん負担になってきた。ちょうど我が家のおばあさんのために車いすを買ったばかりだった。先日車いすで石油を買いにきている爺さんがいた。それをまねてみるとけっこううまくいった。
ところで11月5日に買った石油36リットル3528円 12月18日 3312円 けっこう下がっている。けど原油は50%下がっているのだから、石油会社はかなり儲けているんだな。
ライオンで忘年会 六地蔵
忘年会第何弾かな? わからないぐらい毎日昼夜続いている。みなさんに忘れられないように欠かさず出ている。今回は清瀬高校の天文部のOBの集まり。いつのころからか声がかかり、仲間に入れてもらっている。昨年は賀曽利さんも来てくれた。今から35年ぐらい前に、天文バイク部みたいのがあって、バイク小僧たちが暴れていた。「俺の弟子にカソリってのがいてなあ」といって、私は彼らを手なづけていた。そのころもカソリという名前はバイクの神様みたいな存在だった。虎の威を借りて、威張っていたのだ。
そのバイク小僧たちは今は立派な社会人。まだ一人だけ年末はスリランカを走るんだとほざいているのもいるけど。・・・(彼も立派な社会人だけど) そんなみんなと昔話をするのが楽しい年齢になってきた。前は昔の話なんかしたってしょうがない。先の話をしなけりゃなどどけしかけていたのだが。
お酒が入ると ついつい威張ったり、説教をしたりしてしまう。もうみなさんの話をフムフムと聞く方の立場にならなけりゃいけないのに。じいさんたちが余計なことをのたまうから、若者は委縮してしまう。若者社会を育てるには、「そりゃいいね!」と励ましてやらなけりゃいけないのに、相変わらず「今の若者は!!」という言い方をして、芽を摘んでしまう。こんな調子じゃ未来社会はない。
ちょっとしゃべりすぎたことを反省しながら神保町にむかって歩いていると、新宿の太宗寺に出た。ここには江戸の六地蔵があるので、何回も来たことがある。背後を見ると塩地蔵があった。いままであまり気にしていなかった。手元に塩がなかったので下の方に流れていた塩をとって、お地蔵さんの口に少し塗った。もうあまり余計なことを若者には言わないようにしようという反省である。
昼はサッカー 上野で忘年会 グーグルデビュー
久々に自分のチームのサッカー試合。本日は東北大OBとの試合。年齢も近いせいもあって穏やかに楽しく試合ができた。15分4回で 0:1 で敗戦。我が方は得点王のKOYASUくんが欠席なので、得点パターンができなかった。でも楽しく本年の試合は終了。おっともうひとつ21日にもある。でもそちは若手中心。私は出席しても参加はムリだな。
そのあと夕方からいつもの御徒町のソバ屋でメンバーの忘年会。今回は山梨から中山さんが出席。google デビューをしたという。何のことかわからなかったが、グーグルのストリートビューに写ったということ。ストリートと言っても日本第二の高山北岳の山頂の道路をちゃんと写しており、その画面に中山さんが映っている。でも顔にはぼかしが入っていた。グーグルの写真を写す人は大きな車につける大きなカメラを背負ってこの山を登っている。それを見つけて中山さんはずっとそのあとをつけていたので写ったらしい。以下のリンクをクリックしてみてください。
https://www.google.co.jp/maps/
a=!3m5!1e1!3m3!1sUSGG8HYIgB_
https://www.google.co.jp/maps/
a=!3m5!1e1!3m3!
TAGUCHIさんは今年のサンチャゴでコンポスティーラの巡礼で、ほとんどやりたいことは終わったとのこと。残ったお金をはたいて皆さんにごちそうをしてくれた。さらに記念のバッグを配ってくれた。怪我もあったが今年はいい年だったのだろう。
OGATAだんなも勤めはすっかりやめて大旅行に出た。いい旅立ったようだ。ICHIKOさんも念願だったお母さんの故郷を半世紀ぶりに訪れ、従兄弟に歓待され、長年の念願を果たしたという。みなさんいい年を過ごしたのだ。
我が家も悪いことは何もなかった。でも世の中がだんだん変な方向に動き、憲法も改悪されそうだし、原発も再稼働しそうだし、パキスタンでは子どもたちが140人も殺されたり、オーストラリアでもイスラム国関連テロがおこったり・・・などなど心配なことが多々起こっている。私が腹を立てても怒ってもどうなるものでもないが、イライラしてきて、体調も不良になる。みなさんをみならって穏やかにいい年を重ねたいものだ。
来年はサンチャゴとまでは行かないが、四国お遍路を完成させようかと思っている。少しはTAGUCHIの心境に近付けるかもしれない。
忘年会3連発!
朝おばあさんをディサービスに送り、車の12カ月点検のために営業所へ。車は後で取りに来ると言ったけど、これからあとに忘年会が3つもある。飲酒運転になるので、本日は取りにいけない。途中で気がついて、営業所に連絡した。
まず昼には池袋のサンシャイン60のレストランでランチ宴会。高校時代の仲間が集まった。50数年ぶりの再会もあった。みなさん年賀状ではつながっているのだが、顔を見てもわからない。あれ誰だっけ?? などなど。 10人だったが半分は禁酒。高校時代飲酒、タバコで捕まった連中なのに・・・・。来年も開くことにした。誰も欠けないことを約束して。
4時に家に戻って、おばあさんをディサービスから迎える。この後再び神田に行き忘年会。実は同じ時間にもう一つ約束をしていたのだが、そっちは「どうしても抜けられない会議があって・・」と言ってキャンセル。こっちの会も10人。間違いなく会議で、うるさ型の先輩が難しい話をするので、なかなか忘年会にならない。このお店にはビールはない!ただ日本酒のみ。料理も高級で、ふだんの私では行けそうもない店だった。昼は安かったが、夜はかなりお高い! 早めに終わったら、もう一つの会にも行こうかと思ったが、終了は9時半。もう一つ行く体力はなかった。
石神井公園・三宝寺池
ぶらりばクラブ、今年最後のお散歩。石神井公園から三宝寺池を歩いた。参加者は12人、UI君ご夫妻も参加。会社員は師走は忙しいだろうに。クビにならなけりゃいいけど。!
ところで石神井は「しゃくじい」と読む。板橋や練馬に住む人にとっては、難しい読み方ではないだろうが、それ以外の人には難解な読み方と言う。「東京江戸の地名の由来を歩く」という本を見ていたら、石神井を「しゃくじい」と読むのは日本でただ一つだという。大変珍しい読み方のようだ。
昔、三宝寺池から石の棒が見つかった。地元の人は石の神様として祭ったという。石の神様の井戸、石神井戸(いしがみ)→ せきじんい → しゃくじんい → しゃくじい となったのだそうだ。石を「しゃく」と読むこともないと書いてあったが、松尾芭蕉の立石寺(りっしゃくじ)は「しゃく」だなあ。ほかにもありそうだけど
三宝寺池の名前は三宝寺というお寺から出ている。そこはもともとは豊島氏の石神井城があった。しかし太田道灌との戦いに敗れ、豊島氏は滅亡したのだそうだ。徳川家康が江戸の入ってくるだいぶ前の話だ。豊島氏の姫君だった照姫は三宝寺池に身を投げた。練馬区では毎年「照姫祭り」を行って、慰霊しているとのこと。