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■明治27(1894)年、青梅市日向和田の石灰石を青梅から立川まで輸送す る手段として青梅鉄道が敷設された。 御岳山に鉄道が開通したのは、昭和4(1929)年のことである。御岳山 や奥多摩への観光客誘致の目的で、御岳まで線路延長が行われた。そして昭和10(1935)年に御岳登山鉄道(ケーブルカー)が開通して御岳山への交通路は完成した。
■大正末期から昭和初期にかけて既に幹線鉄道は完成していたが、幹線から外れた山間地などには軽便鉄道やケーブルカーが作られた。関東地方でも筑波山、赤城山、榛名山、大山など山上に霊験あらたかな寺社がある「霊山」にはこぞってケーブルカーがかけられた。御岳鋼索鉄道もその一つであった。■御岳山(海抜929m)の山上にある御嶽神社は、8世紀に行基菩薩が蔵王権現を祀った修験の山であった。関東一円に人気のある霊山であり、多くの人が訪れている。明治以降の祭神は櫛真智命であるが、多くの人は境内社の大口真神神社のお使いであるオオカミを信じているようだ。近隣の家にはこの神社のお札が貼ってあるところがほとんどである。
■上の写真をみると山上に集落がある。各地を回って参拝客を呼んだ御師の人たちの集落で、大きな建物は宿坊である。しかし今は民宿に変わったり茶店、土産物屋を営んでいるところも多い。作家の浅田次郎さんは19代も続く御師の家に育った。御嶽の集落に伝わる話を題材にした小説も多い。
■この集落に住む人にとって、ケーブルカーはなくてはならない。子どもたちは毎朝ケーブルを使って麓の学校に登校している。2016年1月から3月にかけてケーブルカーが運休した時には、通学通院に支障をきたしたことが新聞記事にもなった。
ケーブルを降りて神社に行くにはかなりの急坂をのぼらなければならない。そこでリフトが付けられているが、多くの人は急坂上りもプチ修行と考えて土産物屋の間を抜けて上がっていく。参道には各地の「講」の碑が林立している。今でも多くの人が講を作って参拝しているようだが、写真で見るように登山姿の参拝者も多い。ハイキングのついでにちょっと立ち寄り、という人が大半のようだ。その先鞭を付けてくれた人が山ガールの田部井淳子さんだ。
もうひとり登山家の長谷川恒男さん、この方がトレーニングをしていたコースは「ハセツネ杯」トレイルランのメッカになっている。10月の中頃、真夜中に御嶽神社の脇を1000人ものランナーが走り去る。大会当日は一銭もお金を使わないが、事前トレーニングに上がってくる人も多い。
太占(ふとまに)祭:古代の祭祀として現代に伝わっている。今でも太占祭りをするのは、ここと群馬の貫前神社だけという極珍しい行事だという。その場所が本殿裏の遙拝所の近くにある。と言っても縄を張って、結界を作っただけの何もない場所だ。
この会社のホームぺジにはケーブルカーの仕組みが詳しく載っている。
それらの図を拝借して、ケーブルカーの仕組みの解説をしておこう。