屋島ケーブル 廃線跡

屋島の台地の上には四国霊場84番の屋島寺がある。寺は高度300mほどの溶岩台地の上にある。この溶岩台地はかなり広く、山上に街を作ってもいいくらいだ。なんといっても眺めがすばらしい。高松市街の反対側には瀬戸内海の海、目の下には壇ノ浦の古戦場跡、対岸には五剣山がそびえている。五剣山のふもとは花崗岩を切り出した跡が白く残っているが、これもまた一つの風景になっている。日本中の花崗岩のお墓の石はほとんどここから切り出されたもの。日本文化を作った傷跡ともいえる。

琴電屋島駅前には広い道路がある、屋島の山の上に続いているように見える。これはケーブルカーの線路跡である。一時期はこのケーブルカーで屋島山上に上がる人が年間100万人を超えたという。全国一の乗降客という時代もあったという。今は山上に向かうドライブウェーがあるので観光客、参拝客はみな車で行ってしまう。経営悪化に打つ手はなく、2004年に寂しく姿を消した。

私は2000年に訪れたことがあるが、その時にはまだ元気で歩いて上った記憶がある。その時に乗っておくべきだったと今になって後悔したがもう遅い。赤白の弁慶号と義経号が交互に行き来していた。2011年の写真を見ると上の駅と下の駅にそれぞれ車両が止まったまま放置されていた。ケーブルにつながっているのだから別々に置かれているのは当然だ。

しかし今回藪をかき分けて線路敷きに入ってみたら下部に一両だけしなかった。それも私の知っている色ではなく緑色に塗り替えられていた。廃止後に塗り替えられたということは、どなたかが保存しようという意図があったのかもしれない。しかしガラスはわれ、下の駅舎はなくなり、なにやら建物が建てられている。どっちつかずの状態を早く解消してあげないと、カーブルカーもかわいそう。

 屋島ケーブルは昭和初期にできたが1944年に不要不急線として廃止になって線路などは供出させられた。しかし戦後いち早く京都の愛宕山にあったケーブルカーの資材をえて復活させ,一時は大繁栄した。一方現在もある八栗ケーブルは資材の調達が遅れて昭和…年にやっと新会社として復活した。平家物語ではないが盛者必衰の理のとおり。栄枯盛衰、ここは源平合戦の地であった。