戸山高校で地学巡検というのをやっていた。各クラスごとに城ヶ島に行き、そこの地層の成り立ちを考えるという現地授業である。地学の先生は1クラスごと毎日城ヶ島に連れて行き地層の様子を説明する。今でいえばブラタモリを毎日やっていた。
城ヶ島に行くクラスは一日中地学授業。残ったクラスの地学授業は他の授業に振り替えられる。他の学校でも地学巡検は行われていたが、ほとんどが有志に対して試験休みなどに行われていた。正規の授業中に行われることはけっこう大変なことだった。戸山高校にはエライ先生がおられて、当然のごとく正規授業にくみこまれていた。私は城ヶ島に場所を変更したが、形式は前の先生方の遺産だった。
今の戸山高校でもまだそのまま地学巡検が残っていると、今年から地学教員として転勤されたNAIKIさんから聞いた。ちょうど火星の大接近のころ、「一度戸山高校見学されませんか?」と誘われたので行ってみた。新しい校舎、と言ってももう10数年たっているが、すばらしい。都立でもこれだけの校舎を持っているところは少ないかも。SSHスーパーサイエンス高校だそうだ。
天文台に行ってみた。望遠鏡がずらっと並んでいる。私は戸山高校にいるときも望遠鏡操作はTAKEDAくんにやってもらっていた。SSH高校の教員はできそうもないなあ。早く辞めてよかったなあ、との思い。校舎を出たらラジアン池があった。そうだラジアンだ。長いこと三角関数から遠ざかっている。よくこんな名門校で勤まっていたなあ。・・・勤まっていなかったのか??





この神社は築地市場の入り口、すなわち場外にある。観光客で賑わっているのは場外市場。場外は豊洲には移転しないようだ。ほとんどがバラックだが、すでに立派なビルも完成しており移転の必要はない。豊洲に場外市場が移らなければ築地のように賑わうのはムリだろう。

魚市場の人に聞くと豊洲にはまだ社殿がないので、神さまはいったん神田明神に移っていただいたとのこと。急いで、神田明神に行ってみる。社殿の横手に「魚河岸水神社」があった。これが築地の水神社の本社。なかなかいい狛犬があった。でも築地にあったものではない。築地の狛犬はいずこへ??
家に戻ったら水道局から、水使用量が先月の1.5倍になっているとの通知が入っていた。梅雨が明け晴れの日が多く花の水まきが多かったせいかもしれない。暑いのでシャワーの回数も多かったかな? それとは調節関係ないが、以下の記事!







東京にはお富士さん(富士塚)が60個ほど現存している。昔は富士講の人が維持管理をしていたが、いまは講がなくなり、山開きも行うことができなくなっている。その中で盛大な山開きと縁日が行われているのは、ごく珍しい。私の知る限りでは、ここ十条富士が一番の賑わいだと思う。
十条富士は岩槻街道にめんして面している。その道路に直交した大きな道路があるが、埼京線の線路までほぼ200mは完全に露店に埋め尽くされている。これはなかなかの壮観だ。日曜日とあって、子どもたちは浴衣姿で縁日を見て回っている。でもとてつもなく暑いので、浴衣に帽子という子どもたちもいる。

清瀬高校のサッカー部OB会が毎年この時期(生徒が試験中でグランドが開いている)に行われる。10回生までは私も知っているのだが、それ以降になると、知らない顔も多い。忘れずに呼んでもらうのはうれしいことだ。数年前までは私も走っていたが、もう無理。さらにこの暑さ一昨年は終わった後の宴会にだけ参加した。私の後の顧問だったTAKADAさんも元気で飲んでいたのだが、その直後に亡くなった。私の一歳年上だったが、とても元気で、グランドに出て走っていたのに。あんなに元気だったのに、大変なショックを受けた。そのあと同じ体育科のUCHIBORIさんも亡くなった。ショックはさらに大きかった。

清瀬が遠くなっていたが、今回サッカー部OBに呼ばれてまた清瀬が近くなった。時々来てみたい。なにせ教員生活で一番輝いていた時代だから。路地の隅々まで知っている場所は他にはない。校門の隣のYAMAMOTO洋服店には上がりこんだこともある。いまはシャッターも閉まり雨戸も開いていない。どうなさっているのだろうか。