神の手! 文寿整骨院

10月30日(木)

今月の最初からテニスで腕の腱を痛めていました。そのうちに治るだろうと思っていたのですが、なかなか痛みはひきません。パソコンのキーボードを叩くのが苦痛になっていました。

25日土曜日、前に書いたとおり奥多摩耐久レースの途中でバランスを崩して、岩の斜面で滑り落ち、腰と右腕を打ちました。第一関門ではかなり腫れていたので、止めようかと思ったのですが中山さんが見ていたので、しかたなくリタイヤせずに先に進みました。
 家に帰って、一寝入りしてからみると、かなり広い範囲に内出血して、黒いアザになっていました。それを見たとたん痛みが増してきました。それと、前から痛かった腕の腱の痛みが相まって、とうとう腕が上がらなくなりました。

 しかし私には、困った時の「神の手」があります。片手で自転車を操って「文寿整骨院」に向かいました。ちょうど院長先生の手が空いていたので、特別治療をしてもらいました。マッサージと電気針でたっぷり1時間、身体中の筋肉がほぐれてきました。打撲の痛みと腱の痛みがほとんど消えて、両腕で自転車のハンドルを握って帰ることができました。

 夜は久しぶりにパソコンに向かってキーボードを叩けるようになりました。めでたしめでたし!

明日から戸隠の山小屋に行って来ます。昨年はこの時期に30センチもの雪が降りました。今年は暖かいので大丈夫でしょう。

奥多摩耐久レース ハセツネ杯

2003年10月27日 (月)

奥多摩耐久レースが土曜日から日曜日にかけてに行われました。その報告です。

写真ページも作りました。

 25日午後1時、72kmの奥多摩の山道を走るレースがスタートしました。今年はアメリカからのプロ選手が2人招待されており、7時間台の記録が出るのではないかと期待されています。普通の人は24時間以内での完走が目標です。途中に大きな山(三頭山、御前山、大岳山、御岳山)がいくつもあり、小さなピークは数知れずあるので、走ると言っても、早足で行くのがやっとというコースです。私は今回で9回目ですが、いつも走りながら、何でこんなことやっているのだろう。来年は絶対に来ないぞと思っています。

 地平線会議の仲間の江本さんと、由美ちゃんは、スタート5分前になって、やっとグランドに姿を現しました。どこにいるかと探していたのに。私は昔の生徒高橋くんがいて話をしていました。彼は早稲田の箱根駅伝の選手でした。いまはあまりやっていないようですが、一緒に来た市岡くんは総合3位になっていました。彼は大岳山で電気が切れて、明け方まで寒さに震えていたといいます。名前が岳大(たけひろ)なので、縁が深かったのでしょう。

 私は、珍しく、後方から出ていったので、今熊山の登りや、入山峠の階段で結構待ち合わせ時間がかかりました。遅れを取り戻すべく、急ぎで下ったら、岩の上で滑って、腰と腕を打ちました。腕は10㎝ほどの擦過傷で、かなりひどく腫れました。このショックで、第一関門で止める決心をしました。江本さんの「三輪さんは、気まぐれで、リタイヤ」の予想が本当になるところでした。そうきめたら気分が楽になり、景色を眺める余裕が出ました。三国峠ではすばらしい夕焼けが見え、富士山のシルエットがみごとでした。

 ふだんよりも1時間近く遅く第一関門の浅間峠に着きました。ここで荷物を下ろし、おにぎりを食べて、下ろうとしていたら、鉄人中山さんがボランティアをやっており、なんとなく行かなければいけない雰囲気になってしまいました。腕は思ったよりも腫れてきたので、中山さんに「止める理由があるよね」と言ったら、「大丈夫ですよ」 あんまり同情心がありません。

 馬杉さんと一緒だったので、ここで止めたらかっこ悪いと思い直し、腰を上げました。浅間峠に着くだいぶ前に藤岡くんがニヤッと笑って抜いていきました。先週彼の強靱な走りを見て、もう私の時代ではないと感じていました。高橋くんには「8時頃には三頭山につきたいなあ!」と言いましたが、やっと9時に到着。馬杉さんは「登りがつらい」といいながらどんどん行ってしまいます。頂上では彼女の姿は見えません。大福を半分だけ食べただけで、寒いので下りにかかりました。今年はストックを持っているので、下りは快調。

 第2関門は月夜見峠。昼間は奥多摩有料道路を紅葉見物の車が通るが、夜は通行止めになっているので静かなもの。10時24分。ここで水を1.5リットル補給してくれる。今年は涼しいので、最初に持ってきた2.5リットルの水は減っていない。おにぎりを食べていると先に行ったはずの馬杉さんがやってくる。どこで追い越したのか不明。たぶん鞘口峠への下りだろう。15分休んで、10時40分に出発。

 ここからしばらく一緒に行くが、御前山の登りでまたおいて行かれる。この登りは、疲れのピークになっているので大変つらい。カタクリの花畑の柵を数えながら、ヨタヨタ登る。小河内峠がほぼ1000m、御前山が1400mだから、結構きつい。風が強くなり、雨がポツポツきた。ダダ広い頂上には誰もいない。ベンチがあるが、寒いので先を急ぐ。11時50分。

 ここから大ダワへの下りは急坂だ。ストックが威力を発揮する。年をとると目が悪くなる。暗いと地面がはっきり分からない。ストックで確かめながら行くので昔のように駆け下ることができない。このあたりで前後左右にまったく光がなくなった。私を置いてみんなレースを中止したのではないかと不安になる。前にライトの光が見えたときにはホッとする。くだりで馬杉さんに追いつく。大ダワは大きな峠という意味。ダワダワの語源は何かなどと考える。休まず、大岳山に向かう。

 大ダワは1100m、大岳山は1266mだから御前山より登りは楽だが、直前に岩山があり、腕と足を使って登る。またもや馬杉さんは見えなくなる。1時45分に頂上。町の灯りが美しく見える。いつもは夜中に明るい光がムダに使われていると憤慨しているのだが、きらきら光る夜景はなかなか見事だ。大岳山の岩の上で、大福の残りを食べる。口の中に甘さを残し、少しずつ楽しみながら、大岳神社への滑りやすい急な下りをおりる。昨年は湧き水が出ていたが、今年は崖崩れで埋まっていた。

 昔の軌道跡にでると、道がよくなり快調に走ることができる。一気に御岳山の水場に着くが、ここも水量が少ない。腹一杯に飲んで、ぽちゃぽちゃ言わせながら第3関門に急ぐ。このあたりまで来ると、もうゴールは確信できる。いつもは時間を気にしているのだが、今年は「まあ、いいかっ」って気持ちが強いので、全然気にならない。あとでこのレースの記録を見ると、馬杉さんと数秒の差だった。

 このレースは、靴にチップを付けて記録しており、関門通過の時間がリアルタイムでインターネットで見ることができる。我が家の奥さんも、私が何時に第3関門を通過したかがわかるのだ。例年は第3関門から2時間15分ほどで、ゴールする。通過が2時36分だったから、おそらく4時50分と予想を立てる。

 御岳の山上集落をとおり、日の出山の登りにかかる。これが最後の登りなのだが、疲れた身体にはものすごくきつい。ここで電池がきえた。頭につけたのとベルトにつけてのが、両方一度に消えたので、電池替えに少々手間取った。こんなこともあるかと予備の小さな電気を持っていたのだが、暗闇の中でリックに入れたその小さな電気を見つけるのがめんどうだったからだ。予備電気はすぐに取り出せる所につけておくべきだった。

 この間に再び馬杉さんに会う。第3関門で休んでいる彼女を追い越したらしい。日の出山手前のトイレは満艦飾で、一体なにかと思う。頂上からの東京の夜景はものすごい。この時間でも高速道路の明かりが光の帯を作っている。空には星が見えている。足元ばかり見ていたので、クビを上げると腰も痛い。

 最後の急な下りにかかる。最後といってもここから11キロもある。木の根が出ているので、気をつけて走らなければならない。今回はそんな危険を冒したくないので、のんびりと歩く。走って追い越していく人がいる。「しっかり頑張ってね」という余裕がある。江本さんが「今年は大人の走りをした」と後で言っていたが、私も円熟のレースをしていた。

 いつもならあと5キロという表示があるのだが、今年はなかなか出てこない。やっと出てきた時には、4時30分。あと50分はかかる計算だ。第3関門での予想を大幅にオーバーするなあと思っていたら、コース案内の方があと2キロですと言う。「あれれ!それなら5時前にゴールだ」 昨年とコースが違って、神社の鳥居をくぐる。今までのコースならどれぐらいかかるのか予測がつくのだが、少々不安だったが、見慣れた町並みに出て、一安心。

 4時53分にゴール。第3関門での予想の通りだった。馬杉さんはだいぶ前にゴールしたのだが寒いのに律儀に待っていてくれた。前にいるはずの藤岡くんはまだ着いていないようだった。江本さん由美ちゃん組は2時頃、第2関門を通過したとの情報があった。誰もいない山の中にいても、居所が把握されているなんて・・・・・。
第1関門ではほとんどリタイヤのはずだったが、なんとか完走。こんなきついことは、もうやりたくない。といいながら、来年もきっとここにいるのだろう。

子猫がやって来た!

フクちゃんだがみんなはミャーと呼ぶ
10月16日(木)
 これは前橋の小林さんのお宅からから我が家に養女としてやってきたネコです。生まれたのは1ヶ月前です。3匹姉妹のなかで一番器量よしだったのですが、なぜかもらわれたのは最後でした。我が家としては残り物には福! ということでフクちゃんという名前になっています。でもみんなはミャーと呼んでいます。トイレは自分でちゃんとやりますし、夜は自分のベッドで一人で寝ます。お利口ネコです。

 写真では見えないのですが両手、両足の先だけが白い毛で、かわいい靴下を履いているようです。ネコの手というのはほんとうに柔らかいのです。ここをさわってやるとネコは気持ちよさそうに眠ってしまいます。でも目を覚ますと元気よく部屋中を飛び回っています。木の床なので急ブレーキが利かず、ガラス戸にぶつかったりしています。お母さんの膝が大好きで、暴れ回った後は、そこで昼寝をしています。しばらくの間、我が家はこのネコを中心に動くことになりそうです。

金井シゲさん ラジオに!

10月6日(月)  シゲ節は健在!
 4日の土曜日、NHKラジオの番組にわれらの仲間の金井シゲさんが出るという連絡を受けたので、携帯用のラジオをもって高尾山に出かけた。1時半から山根基世さんの司会で始まる番組だった。

NHKアナウンサーを相手にいつものように小気味よい「そうなのよ!」のシゲ節が炸裂していました。生放送なので、ベラルーシをベルラーシと言ったことにすぐに訂正の電話やFAXが入った。世の中にはつまんないことに目くじらをたてる人が多い。シゲさんの話を聞いていれば、そんなことはどうでもいいことなのに!

 50歳をすぎて、勤めを辞め、正味10年間で119国を旅をしてきた。先日もアイスランドからグリーンランド、そして突然ボルネオ島を経由して帰ってきた。シゲさんの旅の秘訣3箇条が大変よかった。
第1に「お金を使わず時間を使う。そうすればいろんな人と出会えるのよ」うん!その通りだ。
その2「自分の足を使う。そうしたらたいてい誰かが助けてくれる」まさにその通り、私も実行している。
第3は「自分の主義をし押しつけない」、
 その地にはその地でのやり方があるのだから「こうした方がいいよ」などというよけいなことはいわない。旅人はおじゃま虫なのよ。これもその通りだ。自分がよいと思っても、他の人によいとは限らない。おじゃま虫はだまってそれを見ていることが大事なのよ、と。

 走りながら聞いていたので、大筋しかたどれないが、まあこんな内容だったと思う。ほぼ1時間半、NHKのベテランアナウンサーを相手に、存在感を示したのだからすごいタレントだ。
 シゲさんの話に、相づちを打ちながら、自分の足で陣馬山からの復路を快適に走った。いつもよりはるかに早い時間で、高尾山口にもどることができた。シゲさんの言葉は、ものすごい応援歌だ。

ラフカイに会った!

10月2日(木)

今月の25日から26日にかけて、奥多摩の24時間耐久レースがあります。武蔵五日市から奥多摩の山々を上り下りしながら、72kmの距離をいくというなかなかのコースです。今年は地平線会議の江本さんが、「体力さえあれば知力がついてくる」などと前途ある若者をおだてて参加させることにし、コーチ役を買って出ています。江本予想によると、若者組は23時間内外で完走するものの、三輪は「気まぐれで、リタイヤ」だそうです。

 「なんということだ!」 と憤慨しましたが、まあ、かなり当たっています。フリーターになってからは「まっいいか!」という気分がつきまとい、ちょっとでもきつくなったらすぐに止めてしまうようになっているからです。

 しかしトレーニングは結構やっているのです。なにせ新宿-高尾山口の回数券を買ってるぐらいですから。若者の藤岡くんのタイムをみて、まあまだまだ追いつかれることはないなあ、と思いながら昨日はトレーニングコースの高尾山口を後にしました。水場まで36分、小仏峠1時間ちょうど(城山は登らず)、ここまでは快調だったのですが、明王峠1時間48分、陣馬山2時間8分と目標の2時間以内を達成できません。まっいいか!

 昨日は、元に引き返さず、和田峠から関場に下り、前回地平線会議で話をしてくれた田中家を尋ねることにしました。前回のヒーローは田中くんより犬のラフカイでした。このあたりのことは地平線会議のHPを見てください。そのラフカイにもう一度会いたくなりました。関場から2kmほど上流と聞いただけで、住所も、電話も知らなかったのですが、そのあたりで「オオーイ、ラフカイ」と叫んだら、すぐに田中夫妻が「みわさんだー」といって出てきました。

 私は人を(犬も)訪ねるときは、なるべく遠回りし、自力で時間かけたりするのが好きです。その間ずーっと思いを馳せていられるからです。昔は電話も車もなかったので、突然歩いてあらわれるしかなかったはずです。今の時代、予定がいろいろある相手の方には迷惑でしょうが、私はちょっとだけでも顔をみればそれでいいのです。それまでにいろいろ思いめぐらしながら、歩いて来たのですから。

 ラフカイに再会して、コーヒーをいただいて気分良く夕焼け小焼け公園もで駆け下りました。こんなときの走りは、うれしくて、顔もほころびます。もし周りで見ている人がいたら、気が触れてんじゃないの? と思われるかも知れません。ちなみに田中夫妻は獨協大学の犬井正さんの教え子なのです。