八戸三社と根城

八戸市の中心は新幹線の八戸駅周辺ではなく「うみねこレール八戸市内線」の本八戸駅の近くである。駅前の馬淵川の低地から段丘崖を上がると「龗」神社にでる。難しい字で読み方を聞くと「おがみ」神社だそうだ。この神社が八戸三社の一つである。

八戸城跡(三八城神社)
おがみ神社の並び、八戸市役所の横に八戸城の大きな石柱がある。南部氏の居城だったが今は神社になっている。現在の八戸の町並みは八戸城の城下町だった。その街並みが良く残っている。この神社は八戸三社ではない。

神明社

市内の小さな神社であるが、ここが八戸三社の一つである。大きなイチョウがすばらしい。八戸三社の一つ!

新羅神社
1678に八戸藩藩主南部直政が建てたのが始まり。祭神は新羅三郎である。本殿・拝殿は県の重宝に指定されている。毎年2月17日には冬の郷土芸能「八戸えんぶり」の奉納舞が行われる。また8月の八戸三社大祭ではおがみ神社より神輿の渡御が行われ、8月2日には騎馬打毬の一つ「加賀美流騎馬打毬」が行われます。

根城
八戸城からほど近い段丘上に「根城」がある。ここも南部氏の居城であり、整備がよくきれいに保存されている。隣には八戸市の博物館がある。博物館で調べてみるとここは根城南部氏の居城であるが三戸にいた南部氏が八戸を支配し根城南部氏を遠野に追いやったそうだ。同じ南部氏でも本家や宗家などいろいろあったらしい。今の八戸城下町はもとは根城の城下町を移転したもので八戸の人たちは根城南部氏びいきが多いそうだ。八戸城は草ぼうぼうだが根城はすばらしい。八戸の人々の思いがこもっているのだろう。

南部一之宮 櫛引八幡宮

  全国の一宮は全て回ったつもりだった。しかし青森県の八戸市の櫛引(くしひき)八幡宮に来たらここも一之宮と書いてあった。一宮は律令国( 701年から)に一つづつあったが、近年は我こそが一宮と名乗る宮が複数あるため100ヶ所ほどの一宮がある。

八戸のあたりは律令制のできた頃にはまだ蝦夷地であった。神社の方に聞くと、律令国ではなく、「南部藩の総鎮守、南部一宮です」とのことだった。古代の陸奥国の多賀城の北方は実質的にはアテルイらの英雄が支配する蝦夷の国だった。

陸奥国の一宮は仙台の塩釜神社で、その北の岩手県、青森県に大和政権は支配が及んでいなかった。坂上田村麻呂ら征夷大将軍の力によって支配地は徐々に広がって行ったが、陸奥国が陸前、陸中、新陸奥に分かれたのは明治になってからだ。

陸前一宮は塩釜神社、陸中の新一宮は水沢市の駒形神社とされた。しかし新しい陸奥国には新一宮は認められなかった。八戸市の櫛引八幡宮は南部一之宮と称しているが新一宮には入っておらずローカル一宮である。
 しかし大変立派で東北には数少ない「国宝」の鎧もある。私は新一宮に昇格させてもいいのではないか!と感じている。

雨が降っていたのでかなり端折っての参拝だったが拝殿本殿にはここが発祥の駒犬が居り、警備をしていた。普通の石の狛犬のほかに灯篭の間から顔を出したかわいい狛犬も珍しい。通常弁天様がいる水辺には河童がいる。なかなか興味深い神社であった。もし可能ならもう一度寄って南部氏との関連をもう少し掘り下げてみたい。

肝心の祭神を忘れてはいけない。八幡宮と言うことからわかるように「八幡大神」(誉田別命)を祀っている。