南部一之宮 櫛引八幡宮

  全国の一宮は全て回ったつもりだった。しかし青森県の八戸市の櫛引(くしひき)八幡宮に来たらここも一之宮と書いてあった。一宮は律令国( 701年から)に一つづつあったが、近年は我こそが一宮と名乗る宮が複数あるため100ヶ所ほどの一宮がある。

八戸のあたりは律令制のできた頃にはまだ蝦夷地であった。神社の方に聞くと、律令国ではなく、「南部藩の総鎮守、南部一宮です」とのことだった。古代の陸奥国の多賀城の北方は実質的にはアテルイらの英雄が支配する蝦夷の国だった。

陸奥国の一宮は仙台の塩釜神社で、その北の岩手県、青森県に大和政権は支配が及んでいなかった。坂上田村麻呂ら征夷大将軍の力によって支配地は徐々に広がって行ったが、陸奥国が陸前、陸中、新陸奥に分かれたのは明治になってからだ。

陸前一宮は塩釜神社、陸中の新一宮は水沢市の駒形神社とされた。しかし新しい陸奥国には新一宮は認められなかった。八戸市の櫛引八幡宮は南部一之宮と称しているが新一宮には入っておらずローカル一宮である。
 しかし大変立派で東北には数少ない「国宝」の鎧もある。私は新一宮に昇格させてもいいのではないか!と感じている。

雨が降っていたのでかなり端折っての参拝だったが拝殿本殿にはここが発祥の駒犬が居り、警備をしていた。普通の石の狛犬のほかに灯篭の間から顔を出したかわいい狛犬も珍しい。通常弁天様がいる水辺には河童がいる。なかなか興味深い神社であった。もし可能ならもう一度寄って南部氏との関連をもう少し掘り下げてみたい。

肝心の祭神を忘れてはいけない。八幡宮と言うことからわかるように「八幡大神」(誉田別命)を祀っている。