12月26日、スマトラ沖地震

https://en.wikipedia.org/wiki/File:2004_Indonesia_Tsunami_Complete.gif

2004年12月26日、私はミャンマーのエヤーワディ川(イラワジ川)の河口のマングローブ林の中にいた。マングローブは熱帯の低湿地の海岸に生育する植物の総称だ。ここで向後元彦さんが植林作業をしていた。私はそのお手伝いというかお邪魔というかで滞在していた。その日は卒業研究に来ていたMEIJI学院大学の学生を案内して、小さな島で3日間ほど滞在していた。

朝ごはんを食べていたら、突然地面が揺れた。揺れは長く続き、かなり大きな地震だということがわかった。私たちのいるところは海面すれすれの場所で、もし津波がやってきたら逃げるところは一つもない。私は急いで皆に作業用の地下足袋を履いて、大きな木に登るように準備させた。たぶん木に登っても気休めに過ぎないとは思ったが、どうしようもない。

◆その島はお坊さんが一人だけ住むほとんど無人島で、電気も水も道路もない。しばらく待機していたが、水位が50センチぐらい上がっただけだった。半日した頃、船頭さんに沖を通る船に情報を聞きに行ってもらった。「韓国で大地震があった」とのこと。韓国の地震がこんなところで揺れるはずはない。彼らだって情報は持っていないだろう。観察はすぐに切り上げて、ボガレーという町に戻った。ここにはテレビもある。周辺の港は津波が襲ったそうで、マレー半島では大きな被害が出ていることを知った。

◆若者を連れているので日本に無事の知らせをしなければならない。しかしボガレーでは電話は通じなかった。首都のヤンゴンに戻ろうとしたが、往路の船は動いていなかった。陸路ジープを雇って一日かけて戻り、日本大使館に連絡に行った。残念なことにお正月でおやすみ。日本人スタッフは誰もいなかった。ホテルからやっと電話が通じて無事を知らせることはできた。ホッとしてテレビを見た。BBCやCNAは繰り返しインドネシアのスマトラ島で大地震が起こり、大変な被害が出ていることを報道している。我々のいた近くでも津波被害が出ているようだ。我々に被害がなかったのは奇跡的だったと感じた。

◆NHKの番組も見ることができた。しかしただひたすら紅白歌合戦の宣伝ばかりだ。マレー半島では日本人も多く犠牲になっているらしい。それでもNHKは紅白歌合戦の方が大事だったようだ。世界的な大事件なのに、どうしてこんなことになるのか。この周辺国の大使館もみなお正月休みだったようだ。情けない。

◆◆◆それから7年たった2011年、日本でも東日本大震災で大変な津波被害が出た。あの時、NHKをはじめ日本全体が「外国のことだからまあいいか」という対応だった。もっと津波の恐ろしさを知らせておいけば、例えば紅白の一部でも休止して、大変な事が起こっていますと報道をしておけば、少しは恐ろしさを感じたろう。

◆自分の身になにか起きない限り、なかなか想像力は働かない。しかしここ数年、異常気象、地震活動など自然現象は本来の動きをしている。(自然というのはダイナミックに動いているのがふつうなのだ)。人ごとと思わず、常に関心を持って、逃げる方法を考えるべきだろう。私がブラリークラブをやっているのは、少しはみなさんに自然(特に地形地質)を感じてもらえるかなと思ってのことである。と我田引水!

あの日から10年、 紅白が嫌いなわけ!

10年前の今日、私はミャンマーのイラワジ川の河口のデルタにいた。明学大の学生6人と一緒にマングローブの森の中の島の一軒家にいた。隣の島までは舟で2,3時間かかった。その島は河口の低湿地で地面の高さは1m以内だった。島の最高所はマングローブの木々と木造の小さな展望台だけだった。もし3mの津波が来たら、全滅になるところだった。

朝水辺のベランダで朝食をとっているとかなりの揺れが来た。けっこう長い大きな地震だった。「これは津波が来るなぁ!」と思い、皆に地下足袋をはいて、水が上がってきたら木に登るよう準備をしていた。実際は木に登ってもだめだったろうが、他に高所はないので、選択の余地はなかった。1時間ほど待機したが、50センチぐらい水位が上がっただけで、津波はなかった。

電話も電気もインターネットも何にもないところだったので、沖を通る船へ連絡官の方に行ってもらい、様子を聞いたら「韓国で大きな地震が起こった!」とのことだった。しばらくBBCのラジオ放送を聞いていたら、スマトラ沖で大きな地震があり、津波で大きな被害が出ていることが分かった。「ツナミ」が英語だったことを知った。

別の地域に散っていた仲間と合流して、ボガレーという町に戻ったのは28日だった。そこには津波がきており、水浸しだった。さらにそこから10時間以上かけて首都のヤンゴンに戻った。日本では我が家も学生の家族も情報収集に奔走していたが、大使館は正月休み。日本企業はどこにもないので、情報は何にもなしで、大変心配をかけた。3日間過ぎてやっと電話が通じ、連絡がついて、ホッとした。

ヤンゴンではBBCやCNNが大地震、津波の報道をしていた。犠牲者は数万にのぼると言われていたが、実際には22万人にものぼった。ヤンゴンではNHKの国際報道も見ることができたのだが、1日中紅白歌合戦の宣伝ばかり。日本人も数多く亡くなっており、行方不明者も多いのに、なんと心ないことかと思った。せめてBBCの1/10でも報道してくれよと思った。その時から私は紅白歌合戦が嫌いになった。もちろん紅白が悪いわけではないが。

ここ数日紅白の宣伝が始まっているが、それを見るたびにスマトラ沖地震、インド洋津波の悲劇を思い出す。紅白なんて中止して、もっともっときちんと報道していれば2011年の東日本津波の被害は少なかったろうと思う。あれだけの悲劇だったのに紅白、紅白とはしゃぐなんて、外国の人は呆れていた。しかし反省はまったくなく、相変わらず紅白紅白と叫んでいる。

東日本大震災の時には外国のテレビBBCやCNNは連日放映していた。日本のテレビや新聞は報道機関だということを忘れてバラエティーばかりやっている。やっと先日NHKでは、原発の放射線の放出が水素爆発以降だったとの報道をしていた。私の信頼する戸来(へらい)記者が報告していたが、こういう検証報道をすることがテレビや新聞の使命だろうに。

話は広がったが、ともかく12月26日スマトラ沖地震の日、私が紅白歌合戦を嫌いになった日だということだ。「国民的行事!」とはしゃぐ人も多いが、「ちがうんじゃない!」という人もいるんだということもお忘れなく。

 

 

 

 

恐竜を見に行く!ドクタートミー

恐竜解説の世界では超有名人のドクタートミーが板橋区の教育科学館にやってくるというのを聞いて、孫を連れてお話を聞きに行く。私は数年前にエジプトの西部砂漠に一緒に行き、恐竜発掘の現場を見学させてもらい、さらに世界遺産になったクジラの谷にも行った。ロンドンの大英博物館にも一緒して、いろいろ解説もしてもらった。

140810rex

肉食爬虫類研究所の所長さんでもあり、本日陸イグアナを連れての登場だった。このイグアナが会場の手すりの隙間に入って、出てくなくなっていろいろ大騒ぎ。子どもたちはお話よりも、生きたイグアナの方に興味。

140810iguana

 

 

みわ塾1年。ミャンマーの神、日本の神

3月31日(水)
今日で3月も終わり。明日からフリーター生活2年目だ。
この一年はなかなかおもしろい年だった。半分本気で、半分冗談ではじめた「みわ塾」は、やってみると緊張感もあり、古い友人がまた集まってきてくれたりしてなかなかおもしろかった。
今年はさらにパワーアップして月一回の授業のほかに、「旅するみわ塾」と称して、月に一回都内の地形と暮らしの見学、とか城ヶ島地層見学、丹那断層地形見学、モンゴルの草原で地平線を見る、ミャンマーかベトナムでマングローブの復元とクリークを手こぎの小舟でツーリングをするなどをしようと考えている。

向後さんのおかげで、ミャンマーでマングローブ植林作業にも3回も参加させてもらった。なかなか行くことはできない場所だった。何回か行き来している間に、多くのミャンマーの人々とも仲良くなった。私のモットーは「できるだけ余計なお世話はしない」なのだが、なにかこの地の人の役に立つことができないかと考えるようになっている。といっても物資の援助というのではなく、ここでも「みわ塾」ミャンマー版をやれないかと思っている。ミャンマーの村の学校の先生に集まってもらって、論議を交わすのはなかなかいい。

ミャンマーという国は仏教徒が大部分なのだが、村々には多くの「ナッ」という土着の神がまつられている。日本の「八百万の神」のような精霊信仰だ。お寺の中にさえ「ナッ」がまつられている。キリスト教やイスラムの国では、こういう訳のわからない信仰は許されないだろう。しかし私たち日本人にはよくわかる。ミャンマーは世界最貧国の一つだが、人々の心はゆったりと豊かだ。これからの日本人はこの国から学ぶことが多いのではないかと思っている。

日本の「一宮」は千年以上も続く文化だ。ほかの世界に現在まで伝統を千年以上も保っているいうものはあるか? と言うのは賀曽利くんだ。彼は全国の一宮をすべて、何回も巡っている。

昨日夜は雨が降って寒い日だったが、秋葉原で久々に懐かしい人々とあい、あつい会話を交わした。賀曽利くん、神埼さん、観文研の仲間だ。3人で賤ヶ岳を駆け下り競争をしたのは30年も前のことだったが、つい最近のことのように感じたのは、我々が年をとったせいなのだろうか。

血と汗と涙の国際貢献!

3月11日(木)
今日はミャンマーでマラソンした話を書きました。夏に行ったときに下書きをしてあったのですが、少々手直し。題目は「血と汗と涙の国際貢献」です。

予期せぬことに出会ったときに、子どもたちの顔は一瞬凍りつく。しかし安全だと分かるとたいていはゲラゲラと笑い出す。子どもの頃をおもいだしても確かにそうだった。しかし近年日本で子どもたちが一緒になって大声でげらげら笑っている姿を見ることはなくなった。

私はいまミャンマーのイラワジ河口デルタでマングローブ植林事業の手伝いをしている。首都のヤンゴンから植林キャンプ基地までは百数十キロしか離れていないが、汽船で一日、さらに10人乗り程度のボートで半日かかる。河口デルタは両側にマングローブが繁った細い水路が入り組んでおり、ところどころに小さな村がある。村人は米作やニッパヤシの葉の加工、漁業などで細々と生計を立てている。首都の燃料不足のためにこの地のマングローブが大量に切り出されたために、森は荒れ林業や漁業に影響がでており、森林再生が求められている場所だ。村々をまわって森林を見に行く交通手段は手こぎの小舟だけである。

ジョギングだけが趣味の私は何日も水路の上を舟で行ききしていると無性に地面を踏みしめる感覚が恋しくなる。グチョと足がとられるマングローブの泥地は私の好みではない。ムリに用事を作って「道路」がある島に連れて行ってもらう。その島の中央部は昔の砂州で、ほぼ直線で20キロほどの白い砂の道が続いている。真っ白な砂の道を地元の人はハイウェーとよぶ。その地では唯一の動力車であるトラジが走る。耕耘機に荷台をつけお客を乗せるようにした奇妙な乗り物だ。私の仲間たちはトラジにのって15キロ先のアマという町に向かう。そこにはこの地で唯一電話があるのだ。

私はあとをついて走ることにした。トラジの時速は10キロ程度。私はせいぜい8キロだからどんどん離れる。軍政下のミャンマーではこの地に入る外国人は銃をもった警官に監視される。私の単独行動をとがめるように何度もトラジにのるように勧める。短パンTシャツ姿ではなにも悪いことはしないよ!と身振りで示すが、なかなか許可してくれない。トラジは何度も止まっては私が追いつくのを待っている。

8月はイラワジの雨季だ。突然バケツを三つも四つもひっくり返したような雨が降ってきた。私なんかにかまっていられなくなったトラジは先に行ってしまった。道路はアッという間に水浸しになっている。しかし二〇分もすると青空がもどってくる。グチャグチャになった靴と靴下を脱いで、手に持って走る。ガラスやプラスチック、石という野蛮なものはないので、ハダシでも危険はない。ジャマものがいなくなったので、ゆっくりのんびり走っていると、小学校に出た。学校の前で遊んでいた子どもたちは一斉に私の方を向いた。「なんじゃこいつは?」という感じであるが、驚いたらしく誰もなにも言わない。「ミンガラ」とあいさつをしたとたん、こいつは大丈夫だと分かったらしく、一斉に遠慮会釈もなくゲラゲラと笑い出した。こんなメチャクチャな笑い顔を見たのははじめてだ。

手をあげて走り出すとみんなが私を取り囲むようにしてついてくる。そばにいた大人たちも、大げさに言えば集落全員が一緒になって走っている。まるで映画の「フォレストガンプ」の主人公のようだ。大昔、私も村唯一のオート三輪の後ろをついて走った子どもの頃を思い出した。あのときの私はここにいる子どもたちと同じだったんだ。この子どもたちは大きくなったときに変なオヤジのあとをついて走ったなあと思いだすのだろうか。もうちょっとましな思い出にしてやりたいが、まあしかたがない。

アマの町の入り口にくると前方から自転車に乗った男が向かってきた。警官かと身構えたが、濡れネズミになっている私のために乾いたTシャツとロンジー(筒状のスカート、ミャンマー人は男女とも愛用している)を持ってきてくれたのだ。私の仲間が頼んだわけではない。笑い焦げながら私を追い越して行った男が、「濡れネズミになった変な日本人が来るから乾いた服をもっていってやれ」と伝えたのかもしれない。

みんなの笑いは、人をバカにした笑いではなく、安心して受け入れてくれた笑いだった。これまで何年も走ってきたが、こんなにも心地よく安寧の気分で走れたことはない。うれしくて涙が流れてきた。ついでに足首と足指の股から血が流れてきた。ハダシで蓮池に入ったのがいけなかったらしく、数匹のヒルが吸い付いていた。

警官にはにらまれたが、この地の人と仲良くなったのだから、仕事も円滑にすすむだろう。まあこれも立派な国際貢献だろう。汗と涙と血を流したわが国際貢献だった。

 

みわ塾 淡きくれない

2月25日(水)
久々の「みわ塾」の日。今日も昼の部に18人。夜の部に13人が来てくれた。いつものメンバーに加えて若者も数人来てくれた。おもしろかったのは親子の参加者が数組いたこと。親子断絶を心配する風潮もあるが、こんな例もいくつもあるのだ。

今回のテーマ「人類の未来」で「3世代同居」を人類の未来を明るくするヒントだとのべた。  ジジ、ババとの会話は重要なのだ。もう一つは「自然には神が宿る」、森の木それぞれに何やら霊力があるというのもだ。最近はこの話をあちこちでしており、もしかすると「みわ塾」はあやしい宗教団体ではないかと思われている。実は私はなんだかわけのわからない「八百万の神」を信じる人間なのだ。これを宗教というなら、宗教家でもいい。でもだれでもが、好き勝手に何でも信じてしまうというのは宗教になるのかしら?

お母上の歌集「淡きくれなゐ」takekiyo

そんなわけのわからない話をして帰ったら、武田くんから、お母さんが亡くなったとの電話をもらった。彼のお母さんにはPTAの頃からいろいろお世話になったし、教えてもらうことも多かった。息子とは違って凛とし、教養も大変深い方だった。歌集を頂いたこともあった。その中にいくつか息子のことを歌ったものがあった。3つほど拾い出し、ここに掲載させていただきます。

 

チベットにて如何なる思惟を経しならむ髭に覆われ帰りし息子
幼き日我が袖の陰にかくれし子いま晴れやかに花嫁と並ぶ (私が仲人をしました)
クェートの砂漠にマングローブを根付かせし十年の辛苦とを淡々と語る (向後さんのこと)

ミャンマー イラワジデルタ

2月20日(金)
ミャンマーは11月から4月が乾季。前回12月にイラワジデルタに行ったときにはまだ乾季の始まりだったが、今回は乾季の終盤になっていた。土地は干からび、マングローブの葉も元気がない。水路も浅くなっており、ヤンゴンとボガレーを結ぶ巨大なボートも舳先に水夫が立って、竹の棒で深さを測りながら進むので、時速は歩く速度より遅くなった。130kmの距離を10時間近くかかった。
私たちのキャンプは細い水路に面しているが、引き潮になるとさらに細々とした流れになる。乾季で最大の問題は、飲み水だ。水路には泥色をした水が流れているが、塩分を含むので飲み水や炊事の水にはならない。井戸も浅いのがあるが、水路の塩水と同じで洗濯ぐらいにしか使えない。

mizugame1

この時期、ここでは水売りから買うか、雨季に瓶に貯めた水を使うかしかない。瓶をたくさんもっているお瓶(金)持ちはいいが、貧しい家庭は塩分が入った水やたまり水を使うしかない。煮沸して飲めばいいのだが、彼らは燃料を買う金もない。悪い水を使うので目の病気や胃腸の病気になる。病気を防ぐにはよい水の供給が必要なのだが、井戸を掘る機械も技術もない。瓶に貯められた水だって数ヶ月たてば悪くなる。マングローブ植林の手伝いに来ているのだが、まず最初にマングローブ地域に住む人たちの環境を改善しなければ、仕事もはかどらない。国連に働きかけたりしても、なかなか援助は届かない。

seito2

ここの人たちに比べれば、イラクの人たちはだれかが援助してくれるのでまだいい。ミャンマーのイラワジデルタは軍事政権のもとにあって、世界から見捨てられており、援助の手もない。最貧国の定義は1ドル/1人・1日だ。

イラワジデルタでは1家族1日に1ドルに足りない。ちなみに日本は1人1日100ドルだそうだ。お金も、水もない。栄養も足りない。でも子どもは元気だ。彼らの笑顔が亡くならないように、しばらくは私の力を尽くしてみようと考えている。

 

ソネラチア 一夜花 コウモリが受粉

2月18日(水)
マングローブというのは、塩水に育つ植物の総称だ。沖縄ではヤエヤマヒルギが有名で、長い胎生種子がぶら下がっている。私が通っているミャンマーのマングローブは種類が多く、花の美しいソネラチア(右の写真、真ん中が雌しべで周りが雄しべ、一夜で開花し、コウモリが受粉する。残念ながらまだその瞬間の写真を撮ったことがない)や板根をだすカナゾウなどさまざまなものがある。

sonerat0429

マングローブは塩水に育つのだから、強い植物なのだろうと想像していた。しかしマングローブだって本当は真水の方が好きなのだ。塩分のないふつうの土地で育てるとすくすく伸びて巨木になる。好きで塩水のところにいるわけではない。環境のよいところは競争が激しくて、他の植物に負けてしまうので競争相手のいないところにひっそりと暮らしているだけだ。実はマングローブは心やさしい植物なのだ。それを聞いてますます「いとおしい」感じを持つようになった。

ベトナム・マングローブ林でカヤック

2月16日(月)
今朝早くベトナムのホーチミン市から帰ってきました。ベトナムは「みわ塾」の聴講生からの授業料徴収が目的でしたが、その何倍かの支払いをさせてしまいました。とんでもないたかり元教師ですが、現在はフリーターなので、勘弁してくだされ!

山本くんと秋山くんは私の戸山高校時代に担任した生徒でラグビー部仲間です。高校生からの仲良し3人組の二人がいまだにベトナムで数年間一緒にいるのですから腐れ縁ですなあ。もう一人の岡村くんは最近すっかりヨーロッパかぶれですが、しばしば一緒に遊んでいるようです。

 

ホーチミン市の南にあるカンザーのマングローブの森をカヌーで巡ってきました。いつものようにカヌーぐらいできるよと言ってましたが、私は実際には100mぐらいしか漕いだことはありません。なのに彼らは海に近い細い水路を5時間ぐらい漕いで行こうというのです。貸してもらったのは正式にはカヤックで、モンベル製の4.5mの安定のよいAFREQというシリーズの艇です。

kayak042

ほとんど船の来ない水路を3人でゆっくり漕いで行きましたが、私には1時間が限度。徐々に腕が上がらなくなってきました。マングローブの種類を説明しながら、休みました。カヤックは休んでいても下流に下るのですが、3時間を過ぎることから、潮が満ち始め、アゲインストの進路になりました。下流の橋に運転手さんを待たせているので、なんとかそこまでたどり着かなければなりません。風、波がでてきていくら漕いでも、戻されている感じです。彼らは慣れているので、巧みにコースをとりながら進んでいますが、私は必死に漕いでもどんどん離され、一足遅れて橋の下まで付いたときには立ち上がるのもやっとぐらいの疲労困憊でした。足は鍛えているのですが、腕はダメでした。 しかし身体を目一杯使った時の心地よさは、いいものです。山本宅で夕日を見ながらビールを飲んでぐっすりと熟睡をしました。この体験は皆さんにもしてもらいたいですね。

ところで、話は変わって、。ベトナムと言ったら、すぐさま戦争と連想するのですが、彼らはもう先に進んでいるようでした。それは驚きと安堵の感じです。それについてはしばらく考えてから書こうと思っています。

gekokamen

もう一つベトナムには月光仮面が沢山いたと書いたら、そりゃ何だと言われました。写真を撮りましたので見てください。ベトナムでは私は絶対に運転などできません。ものすごいバイク交通渋滞。覆面は排気ガス防御と日除けだそうです。

明日できることは今日やってはいけない

1月29日(木)
昼間はポカポカといい天気だった。ここ数日は霜柱があった我が庭の土も軟らかくなってきた。昨年秋に垣根の赤目樫が3本も枯れたので、植え直しをしたが、また枯れてしまった。植木職人の江口くんご夫妻にたのんで見てもらう。ついでに大きくなりすぎたハナミズキとサザンカ、カエデの木を小さくしてもらうことにした。しかしポカポカ陽気で、昔話に花を咲かせているうちに、午後になってしまい、今日はもう時間がないので、また来ます、ということになった。
こういうのがいい。時間など気にせずにおしゃべりしているうちに、「あれもうこんな時間だ」といって、仕事をあすに延ばす。長屋のご隠居さんみたいで、実にいい。江口さんには、わざわざ来てもらっているのに申し訳ないのだが。わたしが25年前にいたトルコでは諺に「明日できることを今日やってはいけない!」というのがある。最近その諺が身にしみて分かるようになってきた。先へ先へ想いを進めてはいけないということだ。

★ 2月1日からまたミャンマーへいきます。場所はこのまえと同じところ。またあののんびりとした船でイラワジ川下りをします。目的地までは船で1日、さらに小型ボートでまた1日かかります。16日に帰ってきます。

★ それまでしばらくお休みします。向こうには電気も電話もありません。もちろんインターネットもありません。13日から3日間はベトナムです。そこに住んでいる山本くんと秋山くんへの「みわ塾」の通信教育スクーリング並びに授業料徴収が目的です。

神戸に行くよ!

最初の1週間はパソコンに向かう時間が長かった。今年は毎日日誌をつけるぞという勢いだったが、3日坊主になった。勢い込んで写真ページを作ったが、枚数が多すぎるのと、1枚の画像が大きすぎ、表示に時間がかかり見ることができないとの苦情もあり、やり直し作業で日誌に向かうヒマがなくなった。

いま「マングローブ図鑑」をつくるべくパソコンに向かって奮闘しているが、どの葉っぱがどの木のものだったのか分からなくなり、ほかの図鑑と首っ引きになっている。時間がかかってしかたがない。現地できちんと同定しておかないからこんなことになる。もう一度整理をするためにミャンマーに行かなければと思う今日この頃!

16日、神戸大学に行って専門家の先生にアドバイスをもらうことにする。阪神大地震からもう9年たつ。96年に行ったときにはまだまだ被害の跡がそこここにあった。2000年はもう表面的には跡形もなくなり、「ルミナリエ」だっけ?の光がピカピカしていた。いま神戸はどうなっているだろう。

久々に神戸に行くんだから、友人に会いたいし、真理子さんのランナーズ賞のお祝いの会にも出てこようと思っている。夜行バスにしよう考えたが、最近年のせいで翌日がきついので、新幹線の割引切符で行くことにした。日曜日にはかえります。

マングローブ百珍(湾岸のマングローブ)

1月6日(火)

昨年は散々お世話になったACTMNG(マングローブ植林行動計画)の事務所に行く。数少ない所員の須田さん、鶴田さんがおられる。今年もよろしくとの挨拶。もと所員で、私もエクアドルでお世話になった鶴田幸一さんの本が届いていた。「マングローブ百珍」という本だが、こりゃおもしろい。アラビアでのマングローブ植林がいかにおもしろかったか。いろいろな報告書はあっても実際のところ第一次湾岸戦争でペルシャ湾岸に油が流れてマングローブがどうなったのか、私は知らなかった。この本でそのころの情景が目に浮かんできた。

■私は彼の作っていたホームページで一部は読んでいたが、本になるとさらにおもしろい。いい本だと思う。西日本新聞の発行なので、あまり読者はいないかもしれないが、興味のある人は一読を! 今の時代マングローブ植林がはやりだけど、適地でもないところにいい加減に植えてはいけないと。その通りだろう。

■彼のホームページは
http://www.smilepapa.com/~tsuru-g/contents/contents.htm
ただし、この「つる爺」は、パソコンやインターネットというものを嫌って隠遁生活に入ってしまった。ホームページの痕跡は残っているが、以後の更新はしないそうだ。