前橋の小林さんの案内で、高崎の観音山古墳を見学してきました。石室の中にも案内してもらいました。詳しく書きたいのですが、いまラグビーの日本と南アフリカ戦の最中です。とても目が離せません。終了次第、勝ったら詳細を書きます。
カテゴリーアーカイブ: 人類史・地史
穴八幡のヘンテコ狛犬
穴八幡宮は早稲田大学文学部の前にある立派な神社。昔はみすぼらしい神社だったが、近年朱塗りのピカピカ神社になった。拝殿の前には立派な狛犬がいるが、この神社の見どころは崖の縁にある神武天皇遥拝所の狛犬だ。
立派な社殿になったが、私は立派なお庭にある石に注目した。磨いた花崗岩に影が差しているように見えるが、実は黒っぽいのは別の岩石。マグマが冷え固まるときに変成岩が貫入してきたものだ。ミグマタイト(混成岩)だと思う。いいね。
サピエンス全史
池袋のジュンク堂へ行って、サピエンス全史を買ってきた。白内障の手術の後、遠くはよく見えるようになったものの、近くが見えないので本を読むことが少なくなった。こんな大著を読むのは久しぶりだ。
でも2ページぐらいまで読んだところで、もう疲れて(目と気分が)あとは目次だけを見た。ビルゲイツ、ザッカーバーグとか山際壽一と堀江貴文、池上彰らが推薦しているので、読まなけりゃというプレッシャーはあったが、どうにも進まない。
帯に書かれた推薦文は
「歴史と現代社会の最大の問題に取り組んだ書」
「進化と文明の歴史を幸福の視点から問い直す」
「妄想力こそが人類の礎、虚構の上築かれた人言の壮大な文明の歴史を描ききる」
「ホモサピエンスだけがなぜ生きき残り反映できたか?そんな疑問を丁寧に解説した一冊」(堀江)
「人類史の常識がいま覆る」
まあまあ、新聞各紙が大絶賛、NHKクローズアップ現代でも大反響。結局今日は5ページぐらいまでしか進まなかった。こりゃ推薦人の池上彰さんに解説してもらったほうが良さそうだ。半ボケの私の脳みそではむりだ!
ハラリさん、ごめん!
年賀はがき抽選 サピエンス全史
1月15日が、昔は成人の日だった。晴れ着を着た人が雪に降られている風景がテレビで撮されていたが、いまはセンター試験の日だ。毎年雪国では電車が遅れて混乱するが、今年は特別強い寒波がやってきており、日本海側や名古屋付近では電車やバスが遅れて大変だったようだ。
東京は雪に気配はないが、とてつもなく寒かった。ストーブにあたりながら、年賀はがきの当選番号を探す。12枚、切手シートが当たった。昨年よりもだいぶ確率が良かった。今年はいいことがありそうだ。
気分は高揚し、寒い中でも池袋まで歩いて行き、ヤマダ電機でパソコンのマウスを買った。マウスというのはねずみのしっぽみたいな線がくっついていたが、いまのは無線で使うことができる。線が混んがらなくていい。
そのあとジュンク堂に行き、ヘブライ大学のハラリ教授が書いた「サピエンス全史」という本を立ち読みする。池上彰さんが絶賛する本だ。立ち読みするにはちょっと無理な内容だ。目次だけ見ても134億年の歴史を書いた壮大なもので、人類の行く末を予言する本であろう。
ハラリさんは東大に交換教授として来日していた。身元引受人は我が友人のTaguchiさんだった。彼女に連れられて神田の出雲そばでハラリさんと一緒におそばを食べたことを思い出す。さらに我が友人のkawaiくんがへブライ大学に留学した時にお世話になったのもこの方だ。いちどみなさんと一緒にこの本の批評会をやりたいものだ。そのためには買わなきゃいけないが、上下巻で5千円もする。いやそれだけの価値はありそうなので、あす買いに行こう。
安倍首相、真珠湾慰霊
ちょうど朝7時のニュースに合わせて、真珠湾のアリゾナ記念館行われている安倍首相のさんのスピーチが流れた。どの局もすべて安倍さんの話を放映していた。それが終わってオバマさんの番になるとNHKをのぞいてすべて通常放送に戻った。今回の訪問は前回広島の原爆ドームにオバマ大統領が来てくれた返礼だろう。その時のオバマ大統領のスピーチはすばらしかった。安倍首相もこんかい負けないようなスピーチがしたかったのだろう。私もしっかり聞いていたがなかなか立派だった。
その一節を抜き出しておこう。
……私がここパールハーバーで、オバマ大統領とともに世界の人々に対して訴えたいもの。それは、この「和解の力」です。戦争の惨禍は、いまだに世界から消えない。憎悪が憎悪を招く連鎖は無くなろうとしない。寛容の心、和解の力を、世界はいま、いまこそ必要としています。……
でもやはり一言言いたい。これと同じことを、沖縄県にも言ってほしい。オスプレイが落ちたばかりの海岸でアメリカ軍のための基地が新たに作られている。沖縄の人たちは何で戦後70年間、自分たちばかりがひどい目にあうのかと思いながら、半ばあきらめに似たため息をついている。安倍さんはアメリカの老兵の前でひざまずいて謝罪をしていた。
なんでアメリカ人にはできて、自分の国の人たちにはできないのか。それどころか沖縄の人の心を平気で踏みにじっている。自国の人を大事にしないで外の人にぺこぺこしている姿を見れば、やはり日本は植民地なのかと情けなくなる。真珠湾に続いて辺野古の海を見て、同じ言葉を言ってほしい。
……耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い静かな入り江。私のうしろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。あの慰霊の場を、オバマ大統領とともに訪れました。そこは、私に沈黙をうながす場所でした。亡くなった軍人たちの名が記されています。・・・中略・・・・戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
平和国家としての不動の方針を貫くというのは、どうしても言葉だけにしか思えないのだが、誠で示してくれないかという印象でした。政治家は言葉が命だが、実のこもっていない言葉は空疎に聞こえるだけだ。今回の安倍首相の行動は立派だったが、私はどうしても全面的な支持には至らなかった。
12月26日、スマトラ沖地震
https://en.wikipedia.org/wiki/File:2004_Indonesia_Tsunami_Complete.gif
2004年12月26日、私はミャンマーのエヤーワディ川(イラワジ川)の河口のマングローブ林の中にいた。マングローブは熱帯の低湿地の海岸に生育する植物の総称だ。ここで向後元彦さんが植林作業をしていた。私はそのお手伝いというかお邪魔というかで滞在していた。その日は卒業研究に来ていたMEIJI学院大学の学生を案内して、小さな島で3日間ほど滞在していた。
朝ごはんを食べていたら、突然地面が揺れた。揺れは長く続き、かなり大きな地震だということがわかった。私たちのいるところは海面すれすれの場所で、もし津波がやってきたら逃げるところは一つもない。私は急いで皆に作業用の地下足袋を履いて、大きな木に登るように準備させた。たぶん木に登っても気休めに過ぎないとは思ったが、どうしようもない。
◆その島はお坊さんが一人だけ住むほとんど無人島で、電気も水も道路もない。しばらく待機していたが、水位が50センチぐらい上がっただけだった。半日した頃、船頭さんに沖を通る船に情報を聞きに行ってもらった。「韓国で大地震があった」とのこと。韓国の地震がこんなところで揺れるはずはない。彼らだって情報は持っていないだろう。観察はすぐに切り上げて、ボガレーという町に戻った。ここにはテレビもある。周辺の港は津波が襲ったそうで、マレー半島では大きな被害が出ていることを知った。
◆若者を連れているので日本に無事の知らせをしなければならない。しかしボガレーでは電話は通じなかった。首都のヤンゴンに戻ろうとしたが、往路の船は動いていなかった。陸路ジープを雇って一日かけて戻り、日本大使館に連絡に行った。残念なことにお正月でおやすみ。日本人スタッフは誰もいなかった。ホテルからやっと電話が通じて無事を知らせることはできた。ホッとしてテレビを見た。BBCやCNAは繰り返しインドネシアのスマトラ島で大地震が起こり、大変な被害が出ていることを報道している。我々のいた近くでも津波被害が出ているようだ。我々に被害がなかったのは奇跡的だったと感じた。
◆NHKの番組も見ることができた。しかしただひたすら紅白歌合戦の宣伝ばかりだ。マレー半島では日本人も多く犠牲になっているらしい。それでもNHKは紅白歌合戦の方が大事だったようだ。世界的な大事件なのに、どうしてこんなことになるのか。この周辺国の大使館もみなお正月休みだったようだ。情けない。
◆◆◆それから7年たった2011年、日本でも東日本大震災で大変な津波被害が出た。あの時、NHKをはじめ日本全体が「外国のことだからまあいいか」という対応だった。もっと津波の恐ろしさを知らせておいけば、例えば紅白の一部でも休止して、大変な事が起こっていますと報道をしておけば、少しは恐ろしさを感じたろう。
◆自分の身になにか起きない限り、なかなか想像力は働かない。しかしここ数年、異常気象、地震活動など自然現象は本来の動きをしている。(自然というのはダイナミックに動いているのがふつうなのだ)。人ごとと思わず、常に関心を持って、逃げる方法を考えるべきだろう。私がブラリークラブをやっているのは、少しはみなさんに自然(特に地形地質)を感じてもらえるかなと思ってのことである。と我田引水!
群馬、南下の古墳群
榛東村の知り合い宅の庭で猫と遊んでいたら、突然社長専用車みたいなのが止まって、窓が開いた。「KOBAYASHIです」との声だったが、「だれ?」と一瞬とまどった。なんと玉原高原の時にお世話になった彼だ。「なぜこんなところに」と私も思ったが、向こうも「まさかこんなところで会うなんて」ということで、奇跡的な出会い。
そのあと、KOBAYASHIさんに案内していただき、吉岡町の南下古墳群を見に行った。前回群馬に来た時に「かみつけの里」の前方後円墳を見たが、群馬県には多くの古墳がある県だということを知った。南下古墳群には400ぐらいの古墳があったのだそうだ。群馬県は魅力度では40数番目だと、県人は卑下しているがそんなことはない。もっと知的魅力を知らせるべきだな。
活断層 地表に現れた!
熊本地震の被害の様子はまだまだ広がりそうだ。カルデラ内の宿などが土石流に襲われて埋もれており、何人もの人が生き埋めになったようで、現在捜索が行われている。地震から3日もたったのに、知られていなかったようだ。国会では安倍さんが懸命に答弁しているが、こういう場合は専門の防災大臣や復興大臣が返答するのが普通だろうが、表に出せない大臣なのだろうか??
活断層というのがやっと皆さんに認識されてきたようだ。今回は30キロ近くにのびた断層が地表に表れてきた。テレビで示された画像を写真に撮っておいた。畑に走った亀裂はかなりはっきり見える。右横ずれの断層で、上下の食い違いはないようだ。淡路島で見た野島断層は横ずれもあったが、上下のズレも大きかった。ちょっと違いがあるようだ。でもこれが四国の北部を横切る「中央構造線」(断層帯)と同じだということが分かる。
京都大学の先生が解説していたが、GPSで地形変化を調べると、今後危なそうなところは地図の場所だという。見て驚いた。全部原発のあるところだ。①は四国の伊方原発、②は琵琶湖の西岸から若狭湾。ここは原発銀座。大飯、高浜、もんんじゅなどの原発がある。③は松江の近く。ここにも島根原発がある。特にこの原発は県庁からわずか4キロのところにある。ところで島根原発のあるところは佐陀(佐田)神社のすぐちかくである。ありゃ四国も佐田岬半島。「さだ」の神様と原発、関連があるのか??さだ=岬の意味とか??
熊本地震 驚いた!
昨日の夕方のテレビを見ていたら緊急地震情報が報じられ、ニュースが止まった。テレビを見ていると熊本ではテレビ画面がめちゃくちゃに揺れている。驚いてみていたが、熊本城の後ろでライトアップされた土ぼこりが立っていた。あの石垣が崩れたなということはすぐ分かった。震度7だという。震度7というのはほとんど聞いたことがない。昨日はほとんど被害はわからなかったが、一夜明けて何人もの人が崩壊した家屋の下敷きになっていたという。素早いレスキューで赤ちゃんが助けられた時には、よくやった!と歓声をあげた。しかし何人もの人が亡くなったようだ。
昨日あったシモジイと1999年に九州縦断マラソンをした。その第2弾は熊本空港からただちに走りだして益城町、御船町をとおって通潤橋に行き、そこから椎葉村を通って川辺川ダム(予定地)経由で人吉に出た。そんな話をしていたばかりだ。google-map をみていたら、明らかに断層が見える。御船町の地層からは恐竜化石がでる。同じ時期の恐竜化石はさらに天草でも発見されている。ということは地層はここから宇土半島をへて天草に続いている。
断層はこんなにはっきり見えるのだ。自分が住む場所のことをきちんと把握しておけば自然災害を避けることはできる。原発の下に活断層があるかどうかが大問題なのは、これだけの揺れがあれば原発もひとたまりもないからだ。しかししっかりと衛星画像を見れば断層の位置ははっきり分かる。いつ動くかはわからないが、知っていれば覚悟はできるだろう。このブログを見た人は、すぐに自分の住む地域のgooglemapを見てほしい。素人目にもなんか変だなという地形が見えるはずだ。自分の命は自分の知識で守る。それが大事だ。
以下に布田川断層、日奈久断層を示しておきます。どうですか!見えるでしょう。 白い矢印をつけた場所もなんかあやしいね。ここも断層かな?
地球永住計画
武蔵野美術大学の関野吉晴さんらが「地球永住計画」というとんでもなく大きなスケールのプロジェクトを始めた。本日はその最初(?)のトークで 「玉川上水を探検する」と称して小泉武栄さんがお話し下さった。
いつものように国分寺のジャズ吉のシモジイが教えてくれたので、早速飛んで行った。関野さんの発想はいつもとび跳ねている。このプロジェクトは火星移住を前に、まず地球永住を確実なものにしておくために、科学、芸術、地域があいまって話し合っておこうというものらしい。
今回は地域ということでGeo ecology を提唱をする小泉先生がお話し下さった。小泉さんは学芸大の名誉教授で日本の山はなぜ美しいなどの著作があるすごい自然地理の学者さんだ。5月には次には生命学者の中村桂子さんも来られるとか。これはおもしろくなりそうだ。毎月ムサビに行かなければ。
主催 武蔵野美術大学共同研究・地球永住計画実行委員会
協力 ちいさな虫や草やいきものたちを支える会
富岡 小浜海岸 ろうそく岩
がらくた整理を始めているが、その中でも一番大変なのがスライドの写真だ。四段のファイリングケース2本にぎっしりと入っている。一応整理をしてあると思っていたが、何かに使ったりしてかなり散逸している。大事そうなものだけ残し、全部捨ててしまおうと思っていた。
しかしこんな写真があった。こりゃとても捨てられない。どこの場所かと言えば、福島県の富岡の牛浜海岸だ。1980年代に常磐線富岡駅から小良浜(おらがはま)の港に向けて走った時に撮った写真だ。昨年常磐線の富岡駅の跡に行ったが、常磐線はまったく途切れたまま。それもそのはず、ここは福島第一原発と第二原発の間にある町で、とても帰還ができる場所ではない。
当時この岩は「ローソク岩」と呼ばれていたと思う。現在どうなっているか、福島在住の哲くんに聞いたが、「まだまだ行くことはできないのでどうなったかわからない」とのこと。風の噂では津波でローソク岩は崩壊したという。見てわかるとおりこの岩はかなり柔らかい砂岩、泥岩などが重なったもので、年々崩れてきていた。なくなるのは時間の問題だと思っていたが、大津波であっけなくなくなったようだ。
自然界にはカタストロフィ(不連続・大変化)ということが時々ある。大地震、大津波、大洪水、大噴火など。通常はちょろちょろ流れている川の水がとてもV字谷をつくるとは思えないが、長い歴史の中では大洪水がしばしばおこってとてつもなく大きい岩が谷底を削りながら流れてくる。V字谷はカタストロフィでできるもので、ふだんの連続的な浸食でできるわけではない。
ろうそく岩の対岸には遺跡がかなりあったが、半分ぐらいが削られていた。当時私は徐々に浸食が進んでいるのだと思っていたが、過去の大津波で一気に崩れ去ったのだといま思う。たぶん「ローソク岩」はなくなっているのだろうが、福島第一原発の放射能のために確かめることはできない。様々な意味で、この写真重要だ。写真を捨てる作業はしばらく中断しなけりゃ。
「雨だれ岩を穿つ」、小さな雨だれでも長年続けば岩に穴をあけることができるということわざかな。しかし岩に穴をあけるまでの間にカタストロフィーが起こることが今回わかった。コツコツ努力していても突然ひどいことが起こることはあるということ。「努力は実るとは限らない」という教訓もある。一生懸命コツコツ努力している人から見れば、なんと不謹慎と怒られそうだが、そんなことをローソク岩の写真から感じた。
水爆実験! 時代錯誤
北朝鮮が水爆実験を行ったという。気象庁の発表では北朝鮮の北西部を震源とする地震があり、その波形は通常の地震のS波が観測されないことから、爆発によるマグニチュード5.1の地震であるとしている。これを専門家が解釈すると核爆弾に違いないということらしい。北朝鮮の発表は水素爆弾というが、水素爆弾にしては規模は小さい。小型水爆ではなくて原爆だろうというのが韓国やアメリカの判断らしいとTVでは報じている。日本は情報を収集して判断するそうだが、独自の解釈はないようだ。
大騒ぎさせるのが北朝鮮のやり方だが、それに組するのは嫌だ。しかし政府やマスコミは北朝鮮を叩くのはいまだとばかり大騒ぎを始めた。北朝鮮の思うつぼだろうが、日本政府も思うつぼ。これで安保法案は安泰ということになりそうだ。拉致問題も水爆騒動でかすんでしまう。政府はこれでいいわけができる。どうにもやりきれない。
昨日「ゴジラがいた」というブログで、1954年(昭和29年)アメリカは マーシャル諸島のビキニ環礁での水爆実験で、ゴジラが出現したと書いたばかり。もう少し詳しく書いておく。
日本のマグロ漁船第5福竜丸が水爆実験の死の灰を受けて、乗り組員の久保山愛吉さんが亡くなった。当時世界中が大騒ぎになったことはよく覚えている。第5福竜丸は現在は夢の島に展示されている。ビキニ環礁は現在でも放射能汚染で帰島困難だ。原爆の数千倍の威力を持つ水爆の恐ろしさは世界中に知れ渡り、水爆については幻の兵器として封印されており、その後水爆実験は行われていない。しかし北朝鮮はその封印をかってにといてしまった。世界中が驚き怒っている。世界中の人々は断固たる処置を取らなければならない。この時代になってこんなことをするなんて!
よけいな話だが「ビキニ」という水着がある。ビキニ環礁には第二次世界大戦の後アメリカが核実験場を造って原爆実験をやっていた。その噴煙(キノコ雲)のすざましさをフランスのデザイナーが表現したことに由来する。その後さらに規模の大きい水爆実験でイメージが拡大し世界に広まったのだそうだ。ビキニといったら平和な世界の象徴みたいだが、私ら世代には、背後に核実験の影をみる。
安保法制 NHK 放送せず
最近NHKの放送は、政府寄りになっていると思う。本日安保法制最大の山場の委員会採決の場面を放送しなかった。まあいくらでもいいわけは付くだろうが、放送すれば勝手に採決しちゃったことが分かるから、やらないようにという無言の圧力がかかったことは判る。もうNHKに受信料なんか払ってやるか!という気分だ。
この法案、明らかに憲法違反だとさまざまな学者さんも言っている。「健康のためには命はいらない」というアスリートと同じ、「憲法のために命が危険になってもいい」。 木を見て森を見ないというのと同じだと首相側近が解説していた。なるほどわかりやすい丁寧な説明だ! 戸締りを厳重にしないと泥棒は入ってくるので、二重にも三重にも戸締りが必要なのです、というのは総理自らが言う。そのとおり、説得力はある。でもほとんどの人が、こりゃまずいと意思表示をしているのはなぜ。
やっぱり隠していることがたくさあり、それを説明していないとだれもが思っているからだろう。隠していることの最大の問題は、「泥棒がうちに来そうなので先にやっつけてもいい」と専守防衛からはみ出したことだ。やられそうだから同盟国と一緒に先制攻撃をかけようというもの。中国や北朝鮮の様子を見ていればこれはかなりの説得力がある。丁寧に説明すれば分ってくれる人も多いだろうから、正直にかくさず説明すればいいのに。そうすれば反対賛成ははっきりする。自衛隊を海外派兵しても危険は増大しない。そんな保証は何にもない。当然危険は増す。それでもやらなければ国は守れないんだ。と正直に言えばいいのに。そうすれば国民は納得!とかいやとんでもないとかはっきりするのに。
とテレビを見ながら、対岸の火事を見物している。政治家も我々も年寄りが多いので、若者のことなど考えていない。自分たちの古い知識でやっているだけだ。若者はもっと考えて少しぐらい行動を起こさなければ。私の行動はせいぜい国会の周りをウロウロするだけだが、そんな人が数万人でもいれば、首相も少しぐらいは考えるのではないかなと思うのだが。
ハトラの女神さま
あの日から10年、 紅白が嫌いなわけ!
10年前の今日、私はミャンマーのイラワジ川の河口のデルタにいた。明学大の学生6人と一緒にマングローブの森の中の島の一軒家にいた。隣の島までは舟で2,3時間かかった。その島は河口の低湿地で地面の高さは1m以内だった。島の最高所はマングローブの木々と木造の小さな展望台だけだった。もし3mの津波が来たら、全滅になるところだった。
朝水辺のベランダで朝食をとっているとかなりの揺れが来た。けっこう長い大きな地震だった。「これは津波が来るなぁ!」と思い、皆に地下足袋をはいて、水が上がってきたら木に登るよう準備をしていた。実際は木に登ってもだめだったろうが、他に高所はないので、選択の余地はなかった。1時間ほど待機したが、50センチぐらい水位が上がっただけで、津波はなかった。
電話も電気もインターネットも何にもないところだったので、沖を通る船へ連絡官の方に行ってもらい、様子を聞いたら「韓国で大きな地震が起こった!」とのことだった。しばらくBBCのラジオ放送を聞いていたら、スマトラ沖で大きな地震があり、津波で大きな被害が出ていることが分かった。「ツナミ」が英語だったことを知った。
別の地域に散っていた仲間と合流して、ボガレーという町に戻ったのは28日だった。そこには津波がきており、水浸しだった。さらにそこから10時間以上かけて首都のヤンゴンに戻った。日本では我が家も学生の家族も情報収集に奔走していたが、大使館は正月休み。日本企業はどこにもないので、情報は何にもなしで、大変心配をかけた。3日間過ぎてやっと電話が通じ、連絡がついて、ホッとした。
ヤンゴンではBBCやCNNが大地震、津波の報道をしていた。犠牲者は数万にのぼると言われていたが、実際には22万人にものぼった。ヤンゴンではNHKの国際報道も見ることができたのだが、1日中紅白歌合戦の宣伝ばかり。日本人も数多く亡くなっており、行方不明者も多いのに、なんと心ないことかと思った。せめてBBCの1/10でも報道してくれよと思った。その時から私は紅白歌合戦が嫌いになった。もちろん紅白が悪いわけではないが。
ここ数日紅白の宣伝が始まっているが、それを見るたびにスマトラ沖地震、インド洋津波の悲劇を思い出す。紅白なんて中止して、もっともっときちんと報道していれば2011年の東日本津波の被害は少なかったろうと思う。あれだけの悲劇だったのに紅白、紅白とはしゃぐなんて、外国の人は呆れていた。しかし反省はまったくなく、相変わらず紅白紅白と叫んでいる。
東日本大震災の時には外国のテレビBBCやCNNは連日放映していた。日本のテレビや新聞は報道機関だということを忘れてバラエティーばかりやっている。やっと先日NHKでは、原発の放射線の放出が水素爆発以降だったとの報道をしていた。私の信頼する戸来(へらい)記者が報告していたが、こういう検証報道をすることがテレビや新聞の使命だろうに。
話は広がったが、ともかく12月26日スマトラ沖地震の日、私が紅白歌合戦を嫌いになった日だということだ。「国民的行事!」とはしゃぐ人も多いが、「ちがうんじゃない!」という人もいるんだということもお忘れなく。