植村直己冒険賞 岡村さんのページ

みなさま、ありがとうございました。

昨日の植村直己冒険賞の発表と会見に際しましては、多くの皆さまに心温まるコメントやメッセージをいただき、また三輪主彦さんや山本千夏さん、丸山純くんたちがタグ付けしてくださった投稿に多くの「いいね」を頂戴し、本当にありがとうございました。ほかにもこれらをシェアしてくださった方々の投稿にも多くのコメントをいただいているようで、感謝と恐縮の念にたえません。

受賞決定の報せをいただいたときには、正直、「えっ!? オレ探検はしてても、冒険なんか全然してないのに……」と驚き、戸惑いました。それは、これまでの受賞者の方々が純粋に己の行動そのものを追求してこられた孤高の影を宿す人ばかりで、畏怖すべき冒険者たちであって、小生のようなのがそこに混じると植村賞の名を汚すことになるんじゃないかと恐れたからでした。

それでも、今回は選考委員間で「探検と冒険」に関する議論があり、その結果としての決定だと聞かされ、さらに選考委員や推薦委員の方々が小生らの探検のような地味な活動にまで目を向けてくださったことを考えると、少し落ち着いて、「これは仲間全員と、長く続いているプロジェクト全体への、大先輩・植村さんからのご褒美のようなものなんだろう」という解釈で、ありがたくいただくことにした次第でした(もうひとつ、植村さんとの個人的な因縁への思いもありました)。

とはいえ、小生も雑誌ジャーナリストの端くれではありましたので、少し内実に目を向けると、今回は推薦委員(と思われる)某事情通の大先輩、某ジャーナリスト、高名な某登山家といった方々が推してくださり、選考委員には山極寿一京大総長が新たに加わっていることなどから、何となく想像できるところはないわけではありません。もうひとつ想像できるのは、いずれも別の分野で面識のある選考委員の方々が、出された書類を見て、「えっ、岡村ももう70歳なのか!」と驚かれたのだろう、ということです(笑)。それやこれやでいただくことになった賞ですが、いただく以上は賞の名を汚さないよう、これからも頑張ろうと殊勝なことも考えております。

小生の受賞には異論もあるのかもしれませんが、とりあえずは多くの皆さまから温かい声をかけていただき、そのことにかつてない感激を覚えております。メッセージやコメントをいただいた皆さまには個別にお礼を申し上げなければならないところですが、まだ対応できない状態です。申し訳ありません。

とりまとめた雑なご報告やお礼になって恐縮ですが、皆さま、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

白根全さんの、アンデス写真展

勝手に全文引用 三五康司さんのコメントです。
許可もなく勝手にFBの文章を載せました。全さんの写真展には大変感動しました。同じ時に同じものを見たのですが、文章力のない私には書けないので、三五さんのを借用しました。

「地平線会議の大先輩であらせられる白根 全さん渾身の写真企画、
「写真家たちのクスコ―マルティン・チャンビと20世紀前半のアンデス写真―」
ーーを先週観てきた。以前も紹介したけれど、この企画は、
“ラテンアメリカ写真の豊穣な世界の中でも、とりわけ卓越した表現で知られたのがインカ帝国の首都だった古都クスコを拠点に活躍したペルー先住民出身の巨匠マルティン・チャンビと、同時代の写真家たち”
の作品展であり、
“今まではインカ帝国とマチュピチュ、つまり考古学の分野でしか語られることのなかったペルーですが、その大地に開花したアートの存在”
を知らしめる、
“日本では初めて紹介される20世紀前半のアンデス写真展”・・・とのことだ。(以上“”内、紹介テキストより部分引用)

 展示スペースに並ぶ65点の作品を順に観ていく。
家族・一族の記念写真あり、遺跡やクスコの街角の風景描写があり、当時の人々の生活感溢れる風俗が、見事な作品として結実している。1910~30年代の作品が多く、滅多にない≪撮影≫という機会のため被写体の人々の表情には緊張と硬さが伺える。カメラの前で長い露光時間の間姿勢を崩せないのだから当然のことだろう。
そんなことを思いつつ作品を観ていくうちに、写真がとても絵画的に撮られている事に気付いた。構図・ライティング・光と影の配分・・・ 当時のカメラには(貴重な)写真湿板が6枚しか実装できなかったそうだ。それゆえカメラマンが“如何に、どのような作品にするか”という意思が強烈に盛り込まれているように感じられた。連写した中から最高の1点を抽出する現代の創作スタイルとは根本的なスタンスが異なっているのが如実に理解できる。

個人的に最も感銘を受けたのが、「光の詩人」と呼ばれたマルティン・チャンビの作品群だった。
浅学のため作家については無知もいいところだったのだけれど、巧みに配置された人物のポーズと画面全体のダイナミックな構図、光線と陰影の強い対比で構成された劇的な効果、画面上の緊張と弛緩が生む動感、画像の彼方に至るまで綿密に計算されたパースペクティブ・・・・・・ そこに確かな“ストーリー”が秘められていることは一見しただけで理解できた。そしてチャンビの想いを具現化している精緻な現像技術は、光と影の明暗で巧緻な作品を描いたレンブラントの絵筆を想起させた。


一通り観たところで白根さんのギャラリートークが始まった。各作品に関する含蓄深い解説とともに鑑賞すると、より理解が深まる。
まず、展示されている作品群における肝要なポイントは“先住民族(インディオ)”の生活や風俗、文化、歴史的背景などが、“先住民族のカメラマン”によって描き出されていることだという。かようなケースは歴史上他にほとんど無く、あえて類例とするなら“日本人による明治以降の近代日本の写真作品”が挙げられるとのことだ。つまり先住民族によって描き出された、同時代の同胞たちの歴史的「リアル」がここにある。

「先住民の視線によって描かれたクスコの光と影の実相ーー
例えば『ホセ・アベル・ランティスの恋人』(1929年)という作品は、結婚式の前に“白人の”花嫁の撮影を依頼されたチャンビが、撮影後にカメラをグッと引いて画角をとり、花嫁がポーズを取っている豪邸の階段脇の隅に彼女の乳母である“先住民”の老婆を立たせ、陰影の中に埋もれるように撮影している。そうして白人同士の華やかな祝宴には決して招かれることのない先住民の老いた乳母の存在と表情を作品として残しているのだ。
チャンビの他の作品も同様だ。

『スタジオのファン・デ・ラ・クルス・シウアナとヴィクトル・メンディヴィル』(1925年)は、民族衣装をまとった210cmの先住民男性をスタジオ正面に立たせ、その隣に配した正装の白人男性が30cm以上も背の高いの彼を見上げている作品で、当時の状況を雄弁に、そしてシニカル且つクールに風刺しているだけでなく、アート作品としても秀でている。
『コソ泥を捕まえた警官 クスコ・レゴシホ広場』(1924年)では、居丈高な制服の白人警官に捕らえられ、怯えた表情を見せるインディオの子供を、わざわざ現場の広場に機材を持ち出して撮影することで、時代の空気感と風潮を言葉には置換できないリアリズムで描き出している。
つまり作品のモチーフを生み出すベースとなっている先住民族としてのプライドとキエチーフが、ひしひしと伝わってくるのだ。チャンビの作品のみならず、同時代の写真家のグループ“Escuela Cusque a de fotografia”(直訳は「クスコ写真学校」だが、“作家集団”“サロン”の意)の作品群が映し出した、当時の文化や時代性が鮮明な写真作品としてアーカイブされていること自体が、奇跡的な史的遺産なのだと実感できた。

開催に尽力された白根さんは、それこそ何年もクスコに通いつめ、これらの作品を収蔵してきた「フォトテカ・アンディーノ」という写真アーカイブとの信頼関係を構築し、個人的にも作品をコレクションして本展開催に至ったそうだ。

その価値ある行動の恩恵を受けられたことに、心からの感謝の意を表したい。

本日は植村直己冒険賞の発表

2月16日金曜日、豊岡市の植村直己冒険館主催の「冒険賞」の発表がある。毎年植村さんの誕生日である2月12日に行われていたが今年は休日となったので16日ということになった。ちょうど平昌オリンピックのフィギュアスケートの日なので、発表会に来る人が少ないのではないかと心配した冒険館の館長さんから、「お友達を誘ってぜひ来てよ!」との電話があった。もしお暇がありましたら2時からお茶の水の明治大学紫紺館に来てください。誰でも参加自由です。どなたが受賞するかはその時に発表になるので、まだわかりません。どなたになるのだろうとドキドキして待っているのは、羽生選手がどうなるのだろうか、ドキドキ待つのと似たような感じです。もしそんな気分を味わいたいならお茶の水に足を運んでください。・・・・とはいうものの私は羽生選手がどうかのほうが気になるのですが・・・。でも私はこれからお茶の水に行きます。
帰ったら結果の写真を入れます。

叢猫戯画(そうびょうぎが)

毎年集めている長野亮之介画伯のカレンダーの題名だ。今年は酉年だが、そんなことはお構いなく猫が主役。新年会の時にT君に頼んだつもりだったが、反ボケ状態なのでやはり「つもり」だったようだ。本日製作者のMさんに会って、手に入れることができた。さすがの力作だ。

この星の光の地図を写す

水戸市の芸術館現代美術ギャラリーで開催されている石川直樹さんの写真展「この星の光の地図を写す」を見に行ってきた。水戸芸術館はあのへんてこりんなタワー(Art Tower)がある建物だ。地震があるたびに揺れている姿が映されるので、私もしばしば見ていた。実際に訪れると立派さに驚く。磯崎新の設計、初代の館長は吉田秀和という豪華メンバーの水戸芸術の拠点だ。

石川君の写真は全部のギャラリーを使って展示されている。個人の写真展でこれだけの数を展示してあるのは見たことがない。ともかく写真の量に驚く。この写真はすべてフィルムで撮ったものだ。フィルムは貴重で重いので一枚ずつ丁寧に撮らなければならない。そのほうが気合が入ると述べている。確かにデジタルではめちゃくちゃにたくさん撮って、いいのを選ぶことができる。芸術家はその瞬間を切り取るのだから、一枚ずつ物語が作れる。

たぶん写真家からみたら、「なんじゃ!これは!」というような写真がある。もっと天気のいい時間を待てばいいのに! しかし彼の被写体はヒマラヤや極地、海中など命ギリギリのところでカメラを構えている。その時には天候など考慮している暇はない。その時その時を切り撮っているのだから、多少ピンボケになっても、そのほうがリアリティがある。まさに石川直樹がみた自然そのものを表現している。すばらしい写真展だった。できたらこのまま数年間、常設展にしてほしい。巨匠と言ってもいい。

水戸駅に着いたらちょうど梅大使の着物の女性たちが迎えてくれた。今日から偕楽園などの梅の名所をPRする人たちだ。10人集まるのは今日が初めてで最後なのだそうだ。今年初めての梅見のお客ということで、並んで写真を撮ってもらった。我が家にとっては重要な一枚の写真!170106mito02

調布でOB会

調布でわが山岳会のOBと現役の交流会が開かれた。最近調布はなじみの場所になっているので、近いところで開催されてありがたいという感じ。京王線の調布駅は地下に潜ったので、地上はなんとなく間抜けな感じだ。

ところでわが山岳会としたが、もとは都立大学山岳会だ。いま都立大学は東横線の駅にその名を残すだけの存在。後継の「首都大学東京」ができてもう十数年になりOBもたくさん出てきた。もう都立大学は使えないので、首都大学東京山岳会にしようと思ったが、旧都立大学OBからは反対が出る。英語名はTokyo Metropolitan Universityで今も昔も同じ。ということでTMU山岳会、TMUACにしようかという意見もあるが、まだまとまっていない。

もうひとつところで、若手OBの阿部くんと話しているうちに「地平線会議で話をしたことがあります。」という。江本さんや三輪さんと話したことがありますとのことだった。わが後輩が地平線で話したというのを忘れるはずはない。地平線のサイトには丸山さんが作った「検索」がある。調べてみたら確かに2002年7月の河野兵市を思い出す番外報告会に来てくれていた。箪笥町のセンターでやっているころは毎回出ていたので、河野さんビデオを見た記憶もある。しかしその時にいた若者の名前は思い出せなかった。ボケをしみじみと感じた。

植村直己冒険賞授賞式

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yuka06本多有香さんが第20回目の植村冒険賞を受賞した。カナダ在住で犬ぞりレースに全生活をかけて暮らしていることが評価されたということだ。

豊岡市の会場には植村さんの出身校の子どもたちが歓迎してくれた。彼女らは大きくなってから植村さんお偉大さを知るようになるだろう。受賞者本人はもちろん栄誉なことだと思うだろう。しかしこの賞の意義はそれ以上にも地元の子どもたちへのアピールのほうが大きい気がする。市長さんも子供たちが植村さんを誇りにして大きく羽ばたいて欲しいと言っていた。

本多さんは大変シャイな人で、人前でしゃべるのは大変苦手。ということでいつものように江本さんが出てきて、講演の手助けをしてくれた。彼女の言葉を引き出すのに苦労をしたよ! とのことだったが、江本さん9:本多さん1 ぐらいの割合で話は進んだ。毎日29頭の犬と暮らすだけなので、人間語を使うのは、めったにない。こんな大勢を前に戸惑ったのだろう。

白根全企画のチャンビ写真展

160620zen1 白根全さんがペルー人の写真家マルチィン・チャンビの写真展を企画し、ペルー大使館で開催しています。写真もすごいけど、この写真展を一人の力と財力で成し遂げたことはもっとすごい。ぜひお運びを!残す日は23日(月)だけです。

チャンビという人がどんな人か、案内書を書き写しておきます。 続きを読む

地平線会議の余韻

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 昨日は多くの方々が来て下さり感動モノでした。終わった後も早稲田駅近くの中華料理店を貸し切って、二次会があり、大いに盛り上がりました。久々に会ったヨーリンは重たい「高麗人参酒」を抱えてきてくれました。私は重くて持てないので後日送ってもらうことにしましたが、とてつもなく立派なニンジンが三本も入っている高価なものでした。すごい。
 あちこちに御礼の電話やらはがきやらで一日終わりになってしまいました。と思ったけど、そうだ、昨日会場に置いてきた自転車を取りに行かなけりゃ!夕方は晴れていたのですが、夜になって雷が鳴り大雨になったので、新宿のコズミックセンターに置いてきてしまった。
 バス券を使って池袋から渋谷行きに乗り、コズミックセンター前で降りる。20数年前、この道を走って通っていた。

ジャーニーランの話 地平線会議

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 地平線会議で、ジャーニーランの話をさせてもらいました。地平線会議は1979年に発足した『探検と冒険のネットワーク」です。第一回の報告者は私で、その時にはトルコ全土を回った話をしました。今回の報告会は443回目、月一の報告会、通信は一度も休んでいないのでほぼ37年間続いている大変な会議です。私は第一回からほぼ30年間地平線通信と報告会を担当してきましたが、2011年以降は引退して、いまは見守隊で地平線通信を読むぐらいの付き合いです。
 そこに久々に呼んでいただいて、報告をすることができました。人の前で話をすることは、あまりなくなっていたので、準備をしっかりやりました。何を話すかメモ用に映像を作っておき、時々止めては話をしました。最近はボケが進んでいるので、メモがないと前後の脈絡がなくなるし、言いたいことが欠落するからです。しかし予想通り、人の名前や地名を間違えて、みなさんからたくさんの指摘を受けました。「年だからしょうがないなぁ」とお許しいただきたいものですが、ちょっとショックですなあ。
 大阪や福島、山梨、茂原など遠方からも来て下さいました。30年ぶり、もっと40年ぶりの方々もおられました。「話を聞くのはこれが最後かもしれない!」と思っていた人も多かったようで、機嫌よく話していたのを見て安心、あるいは期待外れと思ってくれたようです。私も2時間立ちっぱなしで話すのはきついかと思っていましたが、楽しく話せて、さらに二次会にも行くことができました。家に戻ったのは午前様直前、何年ぶりのことでした。
 ともかく元気に2時間話すことができたのは良かった。みなさんからパワーと花束を頂きました。ありがとうございました。参加して下さった皆さんに感謝感謝。E本、MARU山、NAGA野、TAKASYO の皆さん Special Thanks!

地平線会議で話します!

DSCN2701 「ちょっとそこまで走り旅」の出版と合わせて地平線会議でお話をさせていただくことになりました。私は1979年9月、第一回目の地平線会議の報告者です。もう37年前のことです。それ以来今回で443回目。私も30年間関わってきた。報告会の案内は、最初はKIYO瀬高校のガリ版を借りて印刷していた。そのあともいろんな高校の輪転機をひそかに借りていたが、私が退職して、現在は新宿区の区民センターの印刷機を借りている。MORI井さんという名人がE本さんの原稿をパソコンで編集して印刷している。継続こそ力。すごいもんだ。

最近ボケが進んでいるので、話す内容を忘れそうなので、いま画像編集をしている。今回は動画も入れようかと思っている。昔授業をするときにはみんな頭に入っており、ここで脱線などと予測できたのだが、いまはそのタイミングはまったくわからない。なんとかブーイングが起きないように頑張りたいのだが。ちょっと心配。

場所は新宿区コズミックセンター 東京メトロの西早稲田駅のすぐ前です。早稲田大学理工学部、戸山高校前。明治通りに面しています。時間は6時半から9時まで。2次会もあり。 アッ 日にちだけど 3月28日(月曜日)です。 入場料500円。

福島 その2

除染というのは何か? よく解らんけど、とりあえず自分のうちから放射能を取り除いて他に移す。でも移す先はないから とりあえず積んでおく。ってところだ。誰がこんなことをしたのか。もう二度と起こさないように。何を考えればいいのか。AP1070799AP1070701AP1070740AP1070788AP1070779

福島に行ってきました。

福島の原発事故で避難地域になっていたところが少しづつ避難指示解除準備区域になってきたのに合わせて、地平線会議の「福島浜通りを巡る移動報告会」がひらかれた。いろいろ思うことはたくさんあったが、うまく表現できない。とりあえず写真を載せておきます。「帰還できる」と言われても、年寄り以外、帰還する人はあまりいないだろう。若い人や子どもは帰還しないほうがいい。というのが皆さんお思いだろう。「原発事故は収束した??」 総理大臣がそんなことを言うなんて、とんでもないことだ。さらに他の原発を再稼働させる?? 本当に収束してから言って欲しい。

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悪夢のリニア新幹線

昨日の地平線会議の報告会は「悪夢の超特急:リニア中央新幹線」という本を書いたKASHI田秀樹さんのお話だった。最近地平線会議にはご無沙汰なのだが、この報告会は興味があった。

私はリニア新幹線は山梨の実験線でもう終わったものだとばかり思っていた。しかし先日10月17日、建設着工に国からの認可がおりた。JR東海は2027年に東京・名古屋間の開業を目指すそうだ。これまでとは全く違った方式で、磁気で車体を10センチ浮かし、時速500kmの速度で、名古屋まで40分で着くそうだ。工事費は9兆円を見込んでいるそうだ。

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全線ほぼトンネルになる。南アルプスの下を掘るが、これが難物。中央構造線と糸魚川静岡構造線(フォッサマグナ)という大断層を横切るのだから、相当の出水があって大変な難工事になることは技術者たちは覚悟の上だそうだ。「黒部の太陽」のような多くの犠牲者が出ないことを願う。

樫田さんはこのトンネル工事に伴う環境破壊、とくに水の問題について詳しく説明してくれた。さらにトンネルを掘った残土はどうなるのか?それらについては地元には全く知らされていない。もっと丁寧に説明してから着工してもよかったのではないか。これは私見だが、アベノミックス、東京オリンピックに便乗して、どさくさにまぎれて着工を急いだとしか思えない。

JR東海単独事業と言うが9兆円もかかる事業を1企業に任せてよいのか。事故が起きたら、とても一企業では対応できない被害がでる。責任がとれるのか。環境破壊や、強力な電磁波で乗客にも影響が出るかもしれない。夢のリニア新幹線と言うだけで、マイナスになることは全く説明がない。国はそのマイナスもクリアしたうえで認可が必要だろう。

しかしJR東海は、反対派としてKASHI田さんを危険人物とみなし取材お断り。本の出版は直前に取りやめになったという。(別の出版社から出た)。そんな妨害などせず、堂々と国民に説明すべきというのが、本日の内容だった。

私は1.構造線を横切るトンネルは数10年かかると思う。2.さらに磁気浮上のための電力は原発を3つぐらい専用に稼働させないといけないほどの電力消費になる。3.強力磁石から発せられる電磁波(波長が違うだけで放射線とおなじもの:原子力規制庁で規制基準を作っている)が人体にどう影響するかわからない。1.2.3のことから、このリニア新幹線計画はとん挫すると思っている。たとえできたとしてもそのころは人口も減り、そんなに需要があるとも思えない。景色も見えない「地下鉄」に観光客は乗るだろうか。

などなど、とんでもない問題が山積している。こんなものを認可したお国は、とん挫した時にどう責任をとるのか。税金が山ほど投入される。もう少し慎重にやるべきだった。いまの安倍自民党は、原発推進を始めた時と似ているという。早いうちに止めないと、とんでもないことになることは分っている。

樫田さんの話は遠い先のことではなく、いま工事が始まる前に何とかしなければならないという焦りを感じさせてくれた。みなで声を上げたいが、年寄りは大声が出せない。若者よ、自分たちの上に降りかかる火の粉をいまのうちに振り払っておかないと、(財政的にも)取り返しがつかないことになるぞ。