冬のお花見 蝋梅 

オミクロンに狼狽しながら過ごしている。しかし3度目のワクチンも先日すませたので、人のいないところでお花見するぐらいは許されるだろうと勝手に判断し、立川の昭和記念公園に行ってきた。ネットで見たら公園の一番奥の池のそばに咲いているそうだ。この公園には桜の季節に何回も来たことがあるが、梅の時期には初めてだ。

お弁当を買って立川駅から歩いた。昔の飛行場の跡だから広い広い。その広い公園には数十人の人しかいないのでさびしい。午前中に足の魚の目を液体窒素で焼く治療をしたばかりだったので足の裏が痛い。手の親指のイボも同じ治療をしたので缶コーヒーのキャップが回せない。気分も体調も不調で疲れが一段と増した。
しかし奥のほうで紅梅、白梅、などを見ているうちに気分は回復、足もびっこを引きながら歩けるようになった。蝋梅は普通の梅とはちょっと違う。本当の梅のなのかな?   ロウバイ科ってのがあるそうだ。梅はバラ科。

それぞれの咲き方を見てみよう。

梅だけでなく水仙も咲いていた。昨年の暮れは暖冬で水仙は1月中に満開になったそうだ。毎年宮本先生の水仙忌に水仙を飾るのだが今年はオミクロンで中止。もしあったとしても水仙を飾ることはできなかったかもしれない。ほんのちょっと咲いていた水仙の写真と節分草。セツブンソウも節分の頃花開くのだが、今年はもう終わりそうだった。

のんびり日向ぼっこしている鴨だが、温暖化が進むと北へ帰る日も早くなるのかな?

美濃国府は関ヶ原の近くにある


畿内から東国に抜ける要衝、不破の関の東、関が原にある美濃国は政権にとっては重要な場所で国司は重要人物が派遣された。国府の場所は「府中」の名前が残る安立寺付近にあったと考えられていた。しかし近年の発掘調査によって安立寺より少し南側の南宮御旅神社付近が国指定史跡(2006年)となった。民有地がほとんどなので、美濃国分寺のような整備はなされていない。

国府
東海道線の垂井駅から北へ行くと相川に出る。上流に歩くと御幸橋がありその橋を渡って北に行くと府中郵便局の手前左手に白髭神社・南宮御旅神社が見える。中に入った左手に国府跡が広がっている。周囲にはいくつもの古墳があり古くから大きな集落があったことがわかる。

総社
国府跡に隣接する神社は南宮御旅神社と白髭神社が並立している。南宮御旅神社は南雲大社の神輿が渡御する重要な神社であり元の南宮神社ではないかとされている。この南宮御旅神社が美濃国総社とされている。

南宮神社
国府の中心道路(朱雀大路)は御幸橋に通じさらに南下すると南宮神社に行きつく。その距離は1.5キロ橋を渡り線路を越え新幹線をくぐるが20分ほどでつく。昔の人にとっては目と鼻の先。国府と南宮神社(美濃一宮)との関係は深かったのだろう。国府と一宮がこんなに近しい関係は珍しい。ついでに言うと新幹線からこんな近い一宮はほとんどない。新幹線が速すぎて赤鳥居の写真をとるのは難しい。

美濃国分寺
現在も美濃国分寺は旧国分寺跡の山側に存在している。国分寺跡はきれいに整備されており歴史民俗博物館も作られている。近隣には巨大な昼飯(ひるい)古墳や小さな名もない古墳がいくつもある。多くの人たちの住む集落があったことがわかる。

美濃国分尼寺
国分寺と国分尼寺がセットで作られたことは分かっているが国分尼寺が確かめられてい居るところは少ない。現在願正寺境内に国分尼寺の碑が立っているがこの寺と尼寺の関係は分かっていない。背後には蓮如の御廟がある。

おまけ
今回は美濃赤坂駅から垂井駅まで15キロほど歩いた。なぜなら美濃赤坂駅に行く東海道枝線に乗りたかったからだ。東海道線だが大垣からわずか二駅の枝線だ。鉄チャンにとっては一度は乗りたい路線だ。さらに大垣から関ヶ原にかけて東海道本線が日本に分かれている。国分寺の裏を通っているのは下り列車専用線(上り勾配だが)。荒尾駅手前で四つに分かれる線路の写真を撮ることができて満足だった。