一人ぶらりバー 目白台崖下散歩 

Stay Home が続いているのであまり遠くへ出かけることができません。友達を誘うのも躊躇します。しかたがないので一人で近所を歩き回っています。以下に載せたのは5月になってからのものです。4月中はブログにはなにも書かなかったので、日付だけさかのぼって乗せておきます。ほとんどはFBに載せたものです。地図の画像のようです

都立高校の先生を辞めたあと学習院高校で非常勤講師として週1回勤めていた。地学の先生はラグビー部の顧問で、昼休みに地学室に集まってビデオを見ていた。その中で顧問の自慢だった江見選手がいた。先日の決勝戦では福岡選手ばかりが目立っていたが、サントリーの江見選手の活躍もすばらしかった。彼は俺の教え子だぜ!とちょっと威張りたかった。木、通りの画像のようです

 その学習院の敷地は山手線の目白駅の隣接している。目白駅では階段を昇ったところに改札口がある。ホームは地面の下にあるが高田馬場側では線路の下を道路が通っている。改札口前の高度30m、反対側は線路下は5m、駅脇の道路の高度差は25mもあってかなりきつい。通り、道路の画像のようです
 本日は目白駅下の崖の続きを歩いてみた。実際には椿山荘の下から崖下を歩いた。木、アウトドアの画像のようです水域、木の画像のようですヤマップというアプリを使うと歩いたコースが2万5千分の1地形図に表示される(青い線)。その地図に崖線(茶色)を入れたのがこの地図である。歩いた道は旧神田川の流路である。学習院の下のカーブはまさにへび道。優雅に蛇行している道路はきもちいい。道路、木の画像のようです
 木、自然の画像のようです24日椿山荘の次の写真は関口芭蕉庵、松尾芭蕉は江戸に出てきてからしばらくは神田川改修の土木仕事をやっていたららしい。その時に住んでいた場所がここだ。現在の入り口は胸突き坂の途中から入る。次の写真が胸突き坂と水神社の景色である。この文章の上の写真は幽霊坂であるが、それは新江戸川公園(旧細川藩の屋敷の庭園:永青文庫)の横から上がる坂で、昼なお暗いので幽霊坂と呼ばれる。胸突き坂と違って階段(怪談)はないので年寄りにはきつい坂である。木、アウトドアの画像のようです坂の上が和敬塾、地方からの学生が寄宿した寮で500人もの学生が住む。村上龍もこの塾出身。今は外国からの学生も多い。前川喜作という篤志家が細川屋敷の一部を取得して建てた。元文部次官の前川喜平は孫。木、自然、草の画像のようです
アウトドア、木の画像のようです
 目白駅の下をくぐって進むと「おとめ山公園」に出る。子どもたちが湧水でできた池でザリガニ取りをしている。おとめ=乙女ではなく将軍家の鷹狩り場で他の人は入れない「御留」山だった。お留山をすぎるとボタンで有名な薬王院。そのわきの坂はまたまたきつい。