狛犬 杉山神社の狛犬たち

延長5年(927年)に作られた延喜式神名帳に載せられた神社のことを『式内社』と呼ぶ。式内社は官立神社のことで全国で2861社あった。

 杉山神社は『式内社』である。しかし現在70数社が武蔵国の南西部にあるが、どれが本当の式内社かはわかっていない。その中でたぶんこの神社だろうという神社を『論社』という。杉山神社の『論社』は6社ある。

ということは式内社全部回ると言う賀曽利さんは2861社の何倍かの論社も回らなければならない。これはとてつもない数である。

 私は狛犬巡りをしているので論社かどうかはどうでもいいのだが、数多い杉山神社に興味を持ち、論社といわれる6つの杉山神社を巡ってみた。


横浜市都筑区 茅ケ崎 杉山神社

本日は都筑区を中心にめぐった。横浜地下鉄の「センター南」駅で降りて近くの茅ケ崎杉山神社に行ったがここには狛犬はいなかった。

勝田町 杉山神社

写真を撮っただけで早淵川を下り勝田町の杉山神社に上がって行った。 阿吽の江戸流れ狛犬がともに子供を抱いている。産めよ増やせよの時代に作られた狛犬は、たいてい両方とも子持ちだ。

 勝田杉山神社は高台にあるが、次の新吉田の杉山神社は高速道路の都築インターの向こう側の高台にある。下がって上がってくぐって越えてやっとたどり着いた。ここはかなりの山の中。近くにお店も自動販売機もない。

 狛犬は昭和の岡崎型で、おそらくどこかの工場で大量生産されたものだろう。一説には中国で加工して持ってきたという。あまりありがたみはない。


新吉田 杉山神社

大熊町 杉山神社

 新吉田の杉山神社への上り下りですっかり疲れたので休みたがったが、店は何もない。高速道路をくぐって大きな道に出たとたんバスがやって来た。行先も見ずにのったら幸運なことに次の大熊町の近くを通る。スマホの地図を見て一番近そうなところで降りる。ラッキーだった。降りたところのコンビニで遅いお昼。

ここも高台にあり柿の実を見ながらやっと上る。ここも子だくさんの狛犬。背景が明るくていい写真が撮れないので背後から撮った。

新羽(にっぱ) 杉山神社

 本日の論社めぐりは終了と思ってバス停に行くと「杉山神社」の幟がはためいていた。そこここに杉山神社があるのだ。こちらは論社ではないが立派な神社。弱った足には応える登りだったが、おいい狛犬がいたので満足!

新羽の杉山神社からすぐのところに地下鉄ブルーラインの新羽(にっぱ)駅がある。新横浜で東急の新線に乗り換え一気に池袋へ。

狛犬24-11 豊岡 気多神社の狛犬

円山川の堤防から見下ろした。神様失礼します。

 この辺り、昔は但馬の国で近くに国府、国分寺、国分尼寺があった。とすれば当然「総社」があってもいいはずなのだが、現在それにあたる遺跡などは見つかっていない。おそらくこの気多神社が総社だったと私は思っている。

この神社の社殿の彫刻はすばらしい。地元に移住した森さんに聞いたら、中井権次という作家によるものだという。この集団は但馬の多くの神社の彫刻をしていることで有名という。右の木鼻の彫刻もすばらしい。

拝殿前の露地にきちんとお座りしている。

竹野 宇日神社の狛犬

 城崎温泉よりも先の海岸部に竹野の集落がある。ここにも立派な神社がある。宇日神社とは珍しい名前である。参道には新しい狛犬が2対あり丘の上の拝殿前には古い狛犬が一対いる。

長屋門のような門を入ると拝殿がある。右下は隣の丘の上から見た竹野の海岸。トンボロ地形である。

拝殿の彫刻は前出の気多神社と同じで中井権次の作品である。残念ながら古い狛犬の製作者の名前はわからなかった。

竹野 鷹野神社 

 豊岡の観光ガイドを見ていたら宇日神社のすぐそばに式内社の鷹野神社があることが分かった。前回行っていないので来年はぜひ行こうと思っている。ここも中井権次の彫刻が見事だそうだが、その写真はなかった。また宮司さんが祝詞を上げている写真には拝殿内に小さな狛犬がいる。それも見てこなければ。とりあえず観光ガイドと「たんぽぽろぐ」の写真を借りてありますが、近々入れ替えます。

狛犬行脚24-11 出石神社の狛犬

 豊岡市出石(いずし)にある出石神社は但馬の国の一宮である。但馬の一宮はここのほかに和田山に粟鹿神社がある。一宮が決められたのは千数百年前のことなので紆余曲折があり一国に数カ所の一宮がある例は多い。越中国などは4カ所が一宮を名乗っている。

 出石神社は天の日槍(あめのひぼこ)神を祀っている。この神は朝鮮半島からの渡来の神であり、子孫に多遅摩毛理(文部省唱歌に唄われた)息長たらし姫(神功皇后)がいる。神功皇后は第15代応神天皇の母である。

ここには2対の狛犬がいる。木像狛犬は両方に角がある。首の鈴は中国の影響か

鳥居前の狛犬は出雲型! 阿形の下あごは欠けている。拝殿の前の木造狛犬

 今は豊岡市の文化観光の中心の一つ街だ。下の芝居小屋の「永楽館」が復元された(2012年11月)。復活こけら落としの時に私たち夫婦も招待され、片岡愛之助の「鯉つかみ」を見た記憶がある。

狛犬行脚24-11 粟鹿神社の狛犬

但馬の国には一宮が2カ所ある。こちらは和田山の近くにあるが、車を持たない私には訪問は大変であった。静かな森の中にたたずむいい神社だった。

左は隋神門、この裏側に木造狛犬がいる。右はッ拝殿と本殿。いずれも平入だが拝殿前の狛犬は妻入り本殿の出雲大社と関係ある出雲型である。

通常は向かって右が阿吽の阿形で口を開けているのだが、ここでは逆で子供を抱いた阿形の獅子が左にいる。

木造狛犬で昔は彩色が施されていた。右の阿形、左の吽形の像には角がある。豚鼻だがこちらは狛犬である。

相撲は神事で古い神社にはたいてい土俵があった。右の石に丸い穴が開いているのは何かの意味があるかと思うが、調べていない!あとで!

狛犬行脚24-10 豊岡荒神社の狛犬

日高 荒神社 

 日高郵便局の脇に鳥居があり、奥に入ると左手に天満宮の跡がある。右手に荒神社がある。拝殿は壁がなく開放感があり、背後の円山川の堤防を望める。この神社の中には多くの摂社がありそれぞれに狛犬がいる。この狛犬は出雲型で威嚇する感じだ。

上の左は荒神社正面の鳥居脇の狛犬。右は境内の金毘羅宮の前の狛犬。いずれも阿吽の阿形の顎が完全に欠け落ちている。いずれも出雲型と呼ばれる。

左は正面の出雲威嚇型の狛犬。右は金毘羅宮の拝殿の中の狛犬、新しいし風化はない。下はやはり金毘羅宮の狛犬。形は他のものと全く違う。阿形はまったく獅子、吽形は角があり狛犬だ。この神社の中では特別な感じがする狛犬だ。

金毘羅宮の社殿の「木鼻」に彫刻された阿吽の狛犬と阿吽の獏?

左側は金毘羅宮、たくさんの狛犬がいる。右写真は境内摂社、背後に円山川!

浅倉兵主神社 

荒神社の南1キロほどのところに式内社の浅倉兵主神社がある。「兵主神社」は日本全国に約50社あり、延喜式神名帳には「兵主」と名の付く式内社が19社記載されている。そのうちの7座がここ但馬の国の円山川沿いに集中している。先に見た久斗兵主神社は式内社ではないが、兵主の名を持つ。
出石神社の祭神である渡来系の神、天の日槍(あめのひぼこ)神と関連があると言われるが、否定する意見も多い。渡来系の神をあがめることを嫌う勢力も多かったのだろう。


狛犬行脚24-10 豊岡久斗兵主神社

豊岡市に編入されたがもとは日高町。旧日高町役場の近くの街道沿いにこの神社はある。正面に久斗兵主神社の社殿があり、境内にはいくつかの社殿が集まっている。それぞれに狛犬がいるのだが、やはり正面の狛犬が一番立派だ。

鳥居の下にいるのが一番大きい。出雲型だそうだ。この神社は式内社でスサノオを祀っているので出雲型なのだろう。右下も同じもので顔アップしてます。

八幡様の前の狛犬は阿形の開けた口の下あごが欠けていてちょっとかわいそう。凝灰岩の柔らかい岩石なので、昭和の時代製作なのにもう欠けている。他の社殿前の狛犬も同じように顎が欠けている。かわいそう、寂しい!

上の久斗兵主神社から西へ100mほど行ったところに粟島さんがある。兵主神社の摂社に当たるものかもしれない。この狛犬は近年奉納されたもので花崗岩製、いわゆる岡崎型で長持ちするだろう。

狛犬行脚24-10 狛江の狛犬

 小田急線の多摩川近くに狛江という駅がある。慈恵第三病院にしばらくお世話になっていた身には、なじみの駅である。狛江の「狛」は狛犬となにか関連があるのか、狛犬愛好家としては気になっていた。

 先日会った狛江の岩戸在住の友人に聞くと「なんか小さな鳥居のある神社に狛犬があったなあ!」という。 早速行ってみることにした。

喜多見氷川神社の小さな鳥居、世田谷区最古の鳥居。小さい!

 地図を見ると北見駅からの方が近そうだった。二の橋通りをしばらく行くと森が見える。都会では森があるのは神社か寺である。しかしに二の橋通りはだんだん離れていく。狛江市は昔は畑の広がる地域で今の道路はあぜ道を広げたものだからまっすぐ続いているわけではない。やっとたどり着いた場所には弁天池があった。

  彼の言う小さな鳥居はなかったが、 拝殿前になかなかいい狛犬がいた。向かって右側は阿形で子供が足元でじゃれている。通常は珠を抱えているなどするがここでは両方の狛犬が子供を持っている。

狛犬は一対だけと思っていたら、なんと見上げたところにもいた。これは木鼻に作られた狛犬なので通称は木鼻狛犬。たいていは長い鼻のゾウやバクが彫刻されていることが多い。

喜多見氷川神社の参道 特に大小の鳥居が見える

地図を見ると世田谷区と狛江市の境目に神社がある。そちらに歩いて行く。裏手から入ったのでまず拝殿に、その後狛犬をみて参道を戻って小さいけど区最古の鳥居を見てから外に出た。

狛犬行脚24-02 いわき 諏訪神社の狛犬

 2024年いわき市を滝野澤さんの車に乗せてもらって巡った。いわきには諏訪神社がやたらに多かった。なぜなのか、その理由を調べるには至っていない。私の興味はその神社にいる狛犬をみたかっただけなのだ。以下の紹介するのは神社ではなく狛犬(獅子)がメインです。



小名浜 諏訪神社

石段上には青い鉄製の鳥居が見える。このような色の鳥居を見るのは初めてだ。小名浜の造船所が寄進した。造船所の技術を象徴して作られたものだろう。

鳥居の横にいるのが見える。阿形が玉取り、口にも玉をくわえている。吽形が子取り、爪がかからないようにやさしく子供の頭に載せている。昭和4年奉納、石工名は不明。この神社にはこの一対のみ。両方とも獅子だな。

湯本から住吉神社をへて小名浜の諏訪神社にきた。途中「ウロコジュウ」で海鮮丼を食べた。地元の人は港にある「ららみゅー」よりも安くておいしいという。


江名 諏訪神社(高台にあり津波被害なし)

合磯(かっつお)岬へでる峠の途中にこの鳥居がある。赤い鳥居からさらに急こう配の石段がありその上に社殿がある。

拝殿前のブロンズ製の狛犬。左の狛犬の頭には角がある。右は獅子!昭和11年奉納

街道沿いの鳥居の下にいる。小名浜諏訪神社の狛犬と同じテーマ。
おそらく同じ作者が作ったものだろう。

沼ノ内  諏訪神社

 沼ノ内弁財天は高い場所にあるが、諏訪神社は平地にある。正面の鳥居の前の狛犬は新しい。手前の赤い花崗岩には平成23年奉納と書いてあるので大震災の年に建てられたものだ。  

きっと津波で流されたものと思うが、そんなに早く狛犬を作ることができのだろうか。実は鳥居の奥に津波で折れた鳥居、狛犬が記念物として置かれている。  

 おそらく津波で台座から転がり落ちたが、遠くまで流されなかったものを回収し少し修復したが、新しくした方がよいと判断した氏子の方々が岡崎型ですぐに据え付けることができる機会彫りの狛犬と交換したのだろう。  この神社には拝殿前にもう一対の狛犬がいるが、そちらは被害がなかったようで従来の姿で立っている。


豊間 諏訪神社(両諏訪神社)

ちょっとした石段の上にある鳥居のもとには平成28年12月建立と書いてある。この鳥居の手前にも新しい鳥居がある。豊間は津波被害が大きかったところだが、奥の狛犬社殿には津波被害はなかったようだ。

昔はこの狛犬たちは海を眺めるていただろうが、広い大きな堤防ができたので海とは隔絶された。周囲には人家はまだまばらだ。

拝殿前の狛犬は珍しい顔つきだ。細い直線状の足、バカでかい阿吽の口、腕の下には翼が付いている。さらに珍しいのは社殿に対してお尻を向けていることだ。通常の獅子狛犬は横向きで顔だけ正面を向いている。東南アジアの獅子はみなこれと同じように社殿に尻を向けている。同じ形の狛犬が沼ノ内弁財天にもいる。たぶん同じ作者の製作だろうが時期、石工名は不明。

地図には諏訪神社とあるが、拝殿の額には「両諏訪神社」となっている。


四倉 諏訪神社

少し高台にあり、津波の被害は受けなかったようだ。諏訪神社と書いてある額の中に「本宮宮司三輪磐根謹書」と書いてある。私としては親しみがわいた。


最初に示した通り、いわき市には諏訪神社はたくさんある。今回回れたところは5社だけだったがいずれも狛犬がおり、地震、津波の被害を受けていた。しかし地元の皆さんのおかげで早急に復元されていた。すばらしいことだ。

狛犬行脚24-01 いわき市周辺

 2024年3月8日、賀曽利さんの第何回かの東北旅の前夜祭に参加するためにいわき市に行った。彼らはバイク旅だが、私は滝野澤さんの車の助手席でもっぱら神社、狛犬巡り。おかげさまでたくさんの狛犬を見ることができました。満足して「よこ川荘」の宴会で盛り上がりました。

まず今回巡ったいわき市の式内社の三社を紹介します。

大國魂神社(延喜式内社・縣社)

古代この辺りに磐城郡の郡衙(郡の役所)があったそうだ。目の前の田んぼの中には古墳がある。郡の長の墓かも知れない。

甲塚古墳 6世紀後半のものだが詳細は不明・国指定の史跡

鳥居をくぐり小川にかかる太鼓橋を渡る。右手には大杉があり根元には「ごもっともさま」という立派な〇〇がおかれている。目の前には見上げるような石段がありその上に社殿があるはずだが下からは見えない。石段下の両側には新しい狛犬がいる。

狛犬は氏子の方が還暦祝いとして奉納したものだ。左の写真には「初老祈念」という文字がある。初老というのは何歳のことかな??次の狛犬は石段上、さらに拝殿前である。

石段上、阿が子取り、吽が玉取 角がないのでいずれも獅子だ。
これも両方が獅子、かなり奥目、鼻の穴が大きい!なびかせている髪、尻尾がすばらしい。
昭和11年3月15日奉納、石工の名前はわからなかった

温泉神社(延喜式内社)いわき湯本駅近く

滝野澤さんは温泉ライターでもある。福島の温泉はほとんど回ったというが、温泉神社の境内に温泉が湧き出していることは知らなかったとのこと。神域なので足湯というわけにはいかないが手をつけて暖をとった。ここの狛犬は石段の上と拝殿前にいる。

狛犬に目をとられていたので危うく参拝するのを忘れそうになった。この神社の祭神は

大己貴(おおなむち)神、・・・大国主神の別名

少彦名(すくなひこな)神・・・大国主とともに出雲国を作った神

出雲系の祭神だが、社殿の造りは出雲系ではない。

住吉神社(いわき 延喜式内社)

  • 祭神は 住之江の三神
  • 表筒之男命(うわつつのおのみこと)
  • 中筒之男命( なかつつのおのみこと )
  • 底筒之男命( そこつつのおのみこと )

本家の摂津の住吉神社はこの三神に加えて神功皇后が祀られている。しかしいわきの住吉神社は住吉の三神のみが祀られている。住吉神社は海の神様で海辺に置かれている。この住吉さんも小名浜港に近い場所にある。

この神社には1対の狛犬しかない。ちょっと寂しい!

ふつうは阿が玉取、吽が子取りなのだが、この吽の狛犬(獅子)は何を手にしているのだか不明

狛犬行脚‐14 逆立ち狛犬が岩木山にいた

逆立ちする狛犬 上海の豫園という名所庭園の前にいた獅子像です。こんな逆立ち狛犬は上海でも珍しかった。日本の逆立ち狛犬は前回に示したが、上海の獅子とはだいぶ様子は異なっている。
ところがである。2年前に津軽新一宮の動画を見ていたらちらっと柱にへばりついた狛犬の姿が見えた。ネットで調べたら確かに上海の逆立ち獅子に似た狛犬がいる。 大急ぎで岩木山神社に行った。コロナで旅行は禁止?だったので、昔の夜行日帰りを思い出して午後に新幹線で東京を立って夕方に弘前駅についた。

 翌朝一番のバスで、嶽温泉まで行きそこから8合目行きのバスに乗った。8合目からはがんばって歩いた。頂上は1624m、北海道までみえるいい天気だった。

下りは岩木山神社まで一気に下った。途中で頂上にいたおっさんが下から駆け上がってきた。「今日は2往復だよ」という。嫌味なおやじだが、昔は私も同じことをやっていたのだろう。

岩木山神社には狛犬が3対いた。拝殿の前にこの登り狛犬と下り狛犬がいた。苦労すればするほど出会いは感激的である。下り狛犬が「人生下り坂、最高ー!」と叫んでいるような気がした。下の写真の木鼻の動物は狛犬ではなく獏?かな?

神社前から一日数本しかないバスを捕まえて弘前駅に着いた。列車は少ないので駅ピアノを聞きながら待って新青森経由で我が家に。1泊1日という感じで津軽の岩木山まで行って来た。大昔の登山の夜行日帰りと言う感じ。翌日から疲れでしばらく体調不良になった。無視はできない年齢なのだ。

 

狛犬行脚-13 石都々古和気神社 空飛ぶ狛犬

空飛ぶ狛犬!

 陸奥国の一宮の石都都古和気(いわつつこわけ)神社の鳥居奥にいる狛犬である。こどもをつれて波の上を泳いでいるのか、雲の上を飛んでいるのか? 地に足がついた狛犬ではない。なぜこのような形になったのかわからないが、この子づれ狛犬の作者の思いを託したものだといわれている。

製作者は小林和平という地元の石工。師匠の小松寅吉の技術を受け継ぎ、獅子像彫刻を芸術として開花させた名工であり、福島県内の狛犬のファンが多くおり見学の観光客は絶えないという。この狛犬は川辺八幡神社の阿形の狛犬である。吽形は別の作者である。実は私は見たことがないので写真を模写した。この方が体にある模様がよりよく表現できたかなと思う。(模写するのに時間がかかっているのでしばらく人の写真を借用)

空飛ぶ狛犬は他にもある!

小林和平のものとはだいぶ違うが、「空飛ぶ狛犬」という感じはする。能登の二ノ宮の天日陰神社のものである。備後一宮のスサノオ神社の狛犬である。阿形の狛犬が逆立ち玉乗りをしている。

栃木県の大平山の石段上にいた狛犬。阿形の狛犬が空を飛んでいる。ここの石段は1000段ほどある。もう登るのが嫌だという場所にある。この狛犬のように飛んでいきたいものだと思った。

神武天皇が東征した時にいったん筑紫の岡田宮に寄ってから瀬戸内海に入ったという。筑紫の岡田宮にはこんな玉のり逆立ち狛犬があった。

足を蹴り上げ飛んでいくような狛犬は各地にいくつもある。しかしいずれもそれほど芸術性に富んでいる感じはしない。福島の小林和平の狛犬とはだいぶ違う。小林和平狛犬が人気があるわけがわかる。この夏小林和平の狛犬を探しに行き予定なので、この項は未完です!

 

 

 

狛犬行脚-12 子持ち狛犬

何匹子どもがいるの? 太田区には大勢の子どもを持つ狛犬がいる。上の写真の狛犬は両方に1頭ずつ育てている。下の写真は大田区の式内社磐井神社の狛犬であるがそれぞれに3匹ずつ子供の狛犬(子獅子)を持っている。たぶん日本の子持ち狛犬の中で最高の子宝に恵まれた狛犬である。わかりにくいので数字を振っておいた。

これらの大勢の子持ち狛犬は昭和初期に奉納されたもので当時の「産めよ増やせよ!」の風潮に合わせたものだろう。

もともとは子獅子と玉(鞠)の組み合わせ!

下の写真は中国上海で見かけた獅子である。両方とも口を開けているので阿吽ではないが、玉と子獅子を持っている。日本にもこのパターンがもたらされたのだろう。 中国では両方とも獅子であるが日本に来たら阿形が獅子で吽形が狛犬である。したがって日本の場合狛犬が子獅子を持っていることになる。写真は志摩の安乗神社の狛犬である。向かって右の阿形の獅子の足元に鞠があり左の吽形の狛犬の足元に子獅子がいるのが通常のパターンである。

ところで湯島天神(わかりにくいので練馬区の春日神社の狛犬の写真に変えた)の狛犬は両方ともお手をしたような形である。もともとこんな形だったのだろが、私は足の下に子どもと玉を置くとちょうどいいのに!などと思っているが、これはいかに???

靖国神社には威張り狛犬の他に写真のような異様な狛犬がいる。両方とも口を開けており片方に2匹の狛犬もう一方には玉を持っている。この狛犬は日清戦争の戦利品として日本に運ばれ明治天皇に献上されたものだという。満州の三学寺にあった獅子と言われている。獅子なので子供はどちらがもってもいいわけだ。

子持ちの獅子のかわいいのを見つけた。陸奥国一宮の都都古和気神社のものだ。磐城には名工がいたようですばらしい狛犬がいる。いずれ磐城特集をします。本日はこれまで。

狛犬行脚-11 威張っている狛犬

そっくり返っているような威張り狛犬!  靖国神社の車の入り口の巨大な狛犬は左右とも正面を向いている。そっくり返って、そのまま台座から転がり落ちそう。なんでこんなに威張っているのかだろうか!この狛犬は東大寺の山門の中にある威張っている狛犬である。日本で一番古い狛犬(1196年鎌倉時代)と言われているが両方の狛犬の口が開いている。実は日本製ではなく中国製で宋の時代にもので獅子だろう。この狛犬も両方とも口を開いている。奉納されたのは1944年と言うがおそらく東大寺の獅子を模倣したものだろう。両方が明らかに獅子のものは狛犬ではなく「獅子吼」という。 羽咋市の気多大社の狛犬、これもかなり威張った感じがする。気多大社も北陸では最も大きな神社の一つだ。  この狛犬もすっくと立っており立派だ。浅草の鳥越神社。三社祭が行われることで有名な神社だ。1932年に建てられた。石工の名前は八柳五兵衛とある。 寒川神社は相模の一宮でここも有力な神社だ。新しい狛犬だが胸板が厚く威張り狛犬の感じだ。左の頭の上に角があり狛犬である。   玉前神社は上総一宮で房総では最も格式がある神社である。この狛犬も胸板が厚くちょっとそっくり返っている。この狛犬は赤と黒の輸入御影石で作られている。普通の狛犬よりもはるかに高価な岩石だ。櫛田神社は博多の総鎮守で祇園山笠で賑わう有名な神社だ。 これは香取神宮の木造狛犬。神門の中に置かれている。香取神宮も下総の一宮で東国三社の一つである。

私が勝手に「威張り狛犬」と呼んでいる。狛犬愛好家の間では招魂社系の狛犬と言われているようだ。いずれも大きな神社、寺にいる狛犬はかなり威張っている。やはり背後組織が大きいと狛犬も威張る傾向にあるようだ。

狛犬行脚‐10 狛犬に雌雄はあるの?

阿形はメスで吽形はオス?

阿吽(あうん)は仏教用語で、始まりから終わりを意味している。一対の狛犬は向かって右が口を開けた阿形で左が口を閉じた吽形である。女に生まれた人は転生をし男となって往生するのだそうだ。江戸雑学に詳しい関根さんが「そりゃ女はアヘー(阿)で男はムムー(吽)だよ! 浮世絵に書いてあるよ」と教えてくれた。目黒不動の新しい狛犬であるがよく見ると左右どちらにも〇〇が付いているように見えるではないか。これは新しいので間違えたのではないかと他も確かめてみた。

函館八幡宮の狛犬である。やはり両方に〇〇が付いている。阿吽の両方ともオスである。大正11年の奉納であるから、もっと古いものは別々になっているかもしれない。これまで神社の狛犬の股間をしげしげと眺めるのは失礼にあたると思い控えてきた。しかし実際には〇〇が付いているのは多くはないが、あることはある。 靖国神社の正面の大きな狛犬も両方にちゃんとついていた。この狛犬は最初に出てきた目黒不動の新しい狛犬と同じであり、その大本は丹後半島の天橋立の先にある籠(この)神社の日本最古の狛犬をかたどったものである。

これは神武天皇が東征の際に立ち寄ったと言われる北九州岡田宮である。この狛犬の右側だけに〇〇が付いている。雌雄を意識したのだろう。阿形が女性と言う関根説とは違っているのだが・・・

これはCMで有名になった日が没する参道を持つ北九州宮地嶽神社である。片方だけしか写真がないが、これも阿形の狛犬に〇〇が付いている。阿形なのにオスである。ご存じ八坂神社の通りに面した場所にある獅子狛犬である。大勢の人が上がってくるのでしげしげとみるわけにはいかないが、両方に立派な〇〇が付いている。 前に載せたが、デパートのショーケースにあった現代的狛犬である。拡大してみると両方に〇〇が付いていることがわかる。

結論から言うと、獅子狛犬に雌雄はないようだ。関根説は江戸の特定の場所で使われたものだろう。しかしこれからもついいつものように狛犬の股間を覗くかも知れない。ちょっとまずいかな。

 

狛犬行脚-09 狛犬の左右の配置

日本の狛犬の配置 前向き?横向き?

獅子狛犬は左右に一対になっていることが多い。下の写真は台湾の故宮博物館前の獅子である。守るべき建物を背にして正面に向かっているのが特徴である。 この写真はラオスの王宮の前で撮ったもの(山下佐都子さん撮影)中国のものと同じく正面を向いている 。なんかかわいいね! つぎは日本の普通の神社。狛犬はお互いに対峙しているが、顔だけは正面を向いている。むかって右が阿吽の阿、左が阿吽の吽の形をしている。 津山の中山神社の狛犬。尻尾を立てているのと蹲踞の狛犬の二対がいる。どちらも横向き!手前の狛犬はかなり大きい。 青梅の御嶽神社の青銅製の狛犬。正面を見ないでお互いを見あっている。北村西望作、鋳型があるので同じ狛犬が各所にある。 糸魚川のヌナカワ神社、檻に入っているみたいでちょっとかわいそう。 戸隠奥社の隋神門前の新しい狛犬。最強のパワースポットだそうで雪中でもお参りの人は多い。これも顔だけ正面向き! 日本にも正面向きの狛犬(獅子と書いてある)がいました。四国霊場88カ所の結願寺の大窪寺。お遍路さんをお迎えしているような感じです。魔物を排除する感じではないところがいい。  日本の狛犬配置はほとんどが左右が対峙する関係。顔は正面向き。神様や高貴な人が住む館に門番が尻を向けるのは失礼だという思いがあったのではないか。だから日本の狛犬(門番)は正面向きではないのだろう。

狛犬行脚-08 子獅子と獅子山

赤坂氷川神社の獅子山と子獅子

東京には氷川神社がたくさんあるがここ赤坂氷川神社はその中で最も大きいものである。もとは武蔵一宮の氷川神社、さらにその昔は出雲の斐伊川にあった神社から神様を呼び寄せたという。溶岩で作った獅子山が鳥居の両側にある。

 赤坂氷川神社には狛犬の奉納が多く様々な種類のものがある。その中で一番興味深いのは「獅子山」である。獅子は子供を千尋の谷に突き落とし生き延びて上がってきた子獅子だけを育てたという故事にのっとったものである。
矢印のところに子獅子がいるのがわかるかな? 右はお母さんで「しっかりあがってくるんだよ!」と見守っているような感じだ。両方とも獅子である。狛犬ではないなあ。 同じような獅子山の子持ち狛犬が西武池袋線の長崎神社にいる。こっちはお母さん獅子が「上がっておいで!」と見守っているように見える。 落合の天祖神社の狛犬であるが獅子山はない。しかし台座の下に子獅子がいるのがわかる。石工は獅子と狛犬の組み合わせではなく両方とも獅子と考えて作ったのだろう。
 こちも子獅子がいるが親は両方ともあたりを見渡して尻尾をあげて威嚇しているように見える。氷川神社はもとは出雲系であるので、威嚇型の名残があるのかもしれない。子獅子を待つ狛犬は尻尾を上げているように見える。 赤坂の氷川神社には7種類の狛犬がいると書かれている。私は何回も見ているが6種類しか探せていない。それはそれとして、写真の狛犬は両方が子供を抱えている。千刃の谷に蹴落とした子獅子が戻ってきた。その子獅子を両親が育てているようだ。 氷川神社の狛犬の写真をもう少し上げておきます。これには子供はいない。両方とも角はないので獅子であろう。ちょっとかわいい豪華な江戸型の獅子である。

ここでは獅子と狛犬を区別したが通常は獅子狛犬の対を狛犬と呼ぶことが多い。私もあまり区別せずにあいまいに狛犬と呼んでいる。次回母親獅子と父親狛犬、狛犬の雌雄について考えてみたいと思う。‥‥23年6月18日