姫新線にのった

津山駅から姫路に行くには姫新(きしん)線でまず佐用まで行く。朝7時6分発、ホテルの無料朝飯は6時半から。大急ぎで食べて駅に急ぐ。1両の列車には高校生が大勢乗っていたが、しばらくいくと全員がおりて乗客は3人になった。時刻表を見るとこの電車のあとは10時半までない。途中下車ができないと思ったとたん、トイレに行きたくなった。食べてすぐに出てきたのがいけなかった。キョロキョロすると運転手のすぐ後ろにトイレがあった。助かった。

佐用駅で姫路駅行に乗り換える。乗り換え時間は50分。その間に駅前の市役所に行き、播磨一宮の行き方を訪ねるが、宍栗市なのであまり情報がなかった。「シシクリシ」と言ったら「しそうし」ですと言われた。そんなことも知らずにやってきたのだから苦労するよな。播磨新宮駅で降りてバスで山崎まで行き、コミュニティバスで一宮伊和神社前まで行く。すんなりと行けたのは、佐用市役所の方のおかげだった。  帰りのバス時間をチェックしてのお参りをする。立派な神社だった。一緒にお参りした人の話では、伊和というのは「おわ」がなまったもので、大国主神がここで生涯を終えたので、「おわった」という意味だそうだ。大国主さんはここで亡くなったとは知らなかったが、どんな文献にも秘密になっているそうだ。みなさん知らないはずだ。でもこの人はどうして知っていたのだろうか?

備前国一宮・石上布津魂神社は山の上

  備前には一宮が3か所ある。ものの本は2か所だが、一宮専門家の賀曽利さんと相談し西大寺の安仁神社を加えて3か所にした。本日は3か所の中で一番行きにくい石上布津魂神社に挑戦。岡山の観光案内所でいろいろ聞いてみたが、どうも岡山市と赤磐市の境にあるので岡山市はあまり宣伝をしていない。

津山線の金川駅から行くのが最も近い。たぶんバスがあるだろうとのことだったので、とにかく行ってみた。コミュニティバスはあった。でも一日に3本で、予約制だそうだ。12キロもあるので歩くには遠すぎる。タクシーしか手はない。もう年寄なので片道だけタクシーを使った。

タクシーはどんどん山の中に入っていき、岡山市と赤磐市の境を越える。宮司さんの家は岡山市にあったが、神社はさらに3キロ行った赤磐市にあった。タクシーを下りたところに杖がたくさん置いてあった。そこから山道が始まった。10分ほどで手水舎があり石段上に社殿があった。「なんだたいしたことない」と思った。

ところが本当の神社は今の奥社でそこからさらに山登り。まあ10分ぐらいだから、山登りというほどではないが、お宮参りだとたかをくっているとけっこう大変だ。奥宮は磐座のうえにある。昔の神社形式だ。しかし今の時代、こんなところまで来る人はよほどのもの好きだろう。

でも来る人が少なければご利益の分け前も多いかもしれない。ちょっと得した感じだ。帰りはヒッチハイクを試みようと思ったが、車が来ない。1時間ほど歩き集落にでたところでおじさんが乗せてくれた。駅まで連れて行くよと言われたが、着いたところは瀬戸駅。岡山駅に戻って津山線にのり、タクシーにのった金川駅経由で津山駅に着いた。もう薄暗くなっていた。

讃岐の田村神社・祭神はモモソヒメ・モモタロウ

讃岐の一宮に来ています。この神社には数年前にも来ているのですが、モモタロウとモモソヒメの像があったことは知らなかった。モモタロウはご存知の通りの鬼退治の桃太郎。でも彼は吉備団子を持って岡山駅前にすっくと立っている。誰もが岡山県の象徴だと思っている。私も香川県にいるとは思わなかったが、地元の人に聞いてみると桃太郎が退治した鬼は讃岐の国の「女木島」にいたそうで、いまや女木島の鬼の岩屋は大変な観光地になっているそうだ。だから桃太郎伝説は香川県のお話だという。

それじゃモモソヒメは? モモソヒメというのは大和の箸墓に眠っているヒメ様で、近年は卑弥呼といわれている方だ。その卑弥呼様が何でこんなところにいるのか不思議なことだ。実は私は知っているのだが、それを確かめにやってきたのだ。

モモソヒメは第7代孝霊天皇の娘、その弟は吉備津彦で、四道将軍として吉備の国の祖先となった人だった。そんな関係でモモソヒメは吉備津彦と一緒に吉備の国づくりをしたのだそうだ。こちらの人に言わせたら姉として吉備津彦を指揮していたという。前の写真を見ていただきたい。田村神社の境内にあるモモソヒメとモモタロウの像であるが、明らかに姉が桃太郎を指揮している様子が分かる。

実はこの像は田村神社創建1300年に合わせて作られたものだそうだ。どうりで私たちが前に参ったときには見当たらなかったはずだ。この神社はなかなかおもしろい。というのはいろいろな神様をごったにして祀っている。この感じは私は好きだが、「やりすぎだよ」と思う人も多いのではないかだろうか。そんな雰囲気をもう一つ写真に乗せておきます。

田村神社のページも作りました。←ここをクリック

 

 

 

 

無段差社会

夕方の銀座に行ったのは何年振りか? というよりも行ったことはなかったかも。大昔の知りあいの相田さんが銀座のライブハウスで歌うというので行ってみた。昔はすごうでの編集者で、私はいくつかのPR誌に連載を持たせてもらった。私の最初の本「水水水こぼれ話」は相田さんの企画でできた本だった。

その彼は数年前大きな事故で、全身まひの身になった。数年間のたいへんなリハビリの結果、右手だけがかろうじて動くようになった。つい最近介護付きだが電動の車いすで外出できるようになった。今彼は「無段差社会」の実現を目指して活動を立ち上げた。すべての段差、差別を解消しようというイベントを催している。彼の思いに同調する人は多く集まっていた。

桜のころに久しぶりに会ったのだが、それから半年もたたないうちにこれだけのイベントを開催できるなんて、まさに昔の凄腕編集者の魂がいきているのだろう。 感動的な集まりで、涙がこぼれそうになった。

もうそろそろ人生も終焉と感じるこの頃だったが、私ももう少し動き回ってみるかという気になった。外に出て日比谷駅に向かうところに、太陽の塔みたいなのがあった。そういえば彼と一緒に大阪の万博公園に行ったことがあったなあ。写真を入れるつもりだったのですが、見つからない。後程!

山城国一之宮 上賀茂神社

山城国には一之宮が2つある。もともとは賀茂神社で1つだったが、なんかの原因で2つになった。上賀茂神社の祭神は雷様、下鴨神社の祭神は雷様のお母さんの玉依姫である。こういう自然神を祀るのはいいね。日本の古代の神社は山や川、岩や大木など自然崇拝だった。なんとなく畏敬の念をいだかせる神様ってのが日本風でいい。唯一絶対神というのは畏れ多いのではなく恐ろしいな。上賀茂神社のページ ☚ここをクリック

高瀬神社・越中国一之宮

越中一宮は城端線の福野駅から5キロほど。砺波平野の真ん中にあります。福野駅から井波行のバスはあることはあるのですが、3時間に一本ぐらい。地元の人には役に立つが、よそ者には意味なし。しかたなく歩いていきました。帰りは時間が会うかと思ったが、1時間半待ち。雨の中歩いて駅まで戻ったところにバスが到着。またもや意味なし。

越中国一宮:高瀬神社のページ  ☚ ここをクリックしてください。

べるもんた号

アサガヤさんから‥‥‥今年1月末、私も城端線乗りました! 丁度観光列車の「ベルモンタ」号に乗ることができた!‥‥‥
とコメントをもらいました。

高岡駅でこの列車を知って、乗りたいと思ったのですが土曜日:城端線、日曜日:氷見線の営業だけなので残念でした。この景色を眺めながら、おいしい氷見の魚料理を食べるというのはすばらしいですね。鉄道ファンなら絶対乗ってみる価値がある。

かの「ななつ星」「四季島」など豪華列車とは違い、料金は高岡ー城端580円+指定券520円。富山湾寿司セット2000円ですから庶民的。景色はおんなじ。

ところで、私は今回こんな列車に乗りました。城端線の写真はない! 井波から雨の中を歩いてきたので写真を撮る気分ではなかった。代わりの城端線福野駅そばの福野高校の旧校舎の写真を入れておきます。

城端線と氷見線に乗った。

 越中国には一宮が4つもある。そのうち一つは立山山頂の雄山神社だが、そのほかは高岡市の周辺にある。私は雄山神社には何回も行っているので越中国一宮は完了というつもりだったが、何となく気分はすっきりしていなかった。飛騨一之宮に行ったついでに高山から富山、そして高岡に行った。

北陸新幹線ができたので旧北陸本線は「あいの風とやま鉄道」になった。JRではないので青春切符は使えない。北陸地方は青春切符で行き来はできなくなった。新幹線ができると地元はどんどん切り捨てられるな。

高岡にはまだ城端線と氷見線という盲腸線が残っている。城端は走って行ったことがあるが城端線には乗っていない。今回城端線、氷見線に乗ってきた。氷見線は越中国府という無人駅で降りた。偶然降りた駅だが、いい写真が撮れた。しかしそこから高岡に戻ったが、雨が降り始めて長かった。途中でドラえもんトラムに乗った。

飛騨一之宮 水無神社(みなし)

徳澤園から上高地までおりて、みなと別れ平湯経由で飛騨高山に来た。JR線高山の次の駅、飛騨一之宮の水無神社に来たかったからだ。

そのあと富山駅前まで戻って、明日は高岡の越中一宮に行くつもりです。

駅前ホテルで暇なので『飛騨一之宮のページ』を作りました。青いところをクリックしてみて下さい。

横尾の先までお散歩

もうとても孫にはついていけない。孫たちは蝶ケ岳登山に行ったが、我らは横尾の橋で写真とって槍沢方面に歩く。一の又までやっとたどり着いて11時から徳澤園に戻り始めた。1時半にもどって徳澤ロッジでお昼。孫たちは4時にへとへとになりながら戻ってきた。我らはついていかなくてよかった。夜はフランス料理。こんな山中で東京の高級レストラン並みの食事ができるなんて!

徳澤園にきています

昨年は不調で来ることができなかったが、今年はもう恒例になった徳澤園に来ることができた。1年空いたがこれでもう6年目かな。今年は山の日に近かったせいか、上高地に来るのが大変だった。しかしまあ河童橋までバスで着て、そこから7キロの道を歩いて徳澤までは来ることができた。昨年は来ることができたとしても河童橋までがやっとだったかもしれない。何とかよく回復したものだ。我ながら感動! 一昨年はここから涸沢まで登ったが、もちろん今年はむり。でもここまでこれたことはうれしい。明日は横尾まで4キロ往復して高山植物の写真を撮ろう。

奥さまの舞囃子 船弁慶

今年も水道橋宝生能楽堂で行われた第7回「七葉会」に参加した。舞囃子は「船弁慶」、3月の矢来能楽堂で舞ったのとおなじ曲だ。(17年3月25日のブログ)矢来能楽堂はちょっと狭く長刀を振り回すのが窮屈だったようだが、今回は大きな舞台で十分にうごきまることができた。もうこの年では長足の進歩というわけにはいかないが、堂々とした謡と舞だった。私としては十分に満足した。

しかしビデオを撮影の方は、前回よりも会場が広いせいもあって私の機材ではちょっと暗くて画素が粗い。テレビ・パソコンで見る分にはいいのだが、そこから切り出して写真にするのは不十分。次回は新しい機材をそろえなけりゃと私は言うのだが、「パソコン見るだけだからもう買わなくていい」とのこと。新カメラ購入作戦失敗でまだしばらくこの機材を使うことにする。

イグアナと遊んだ!

台風5号は長寿命台風で昨日やっと低気圧になって、終息した。関東にはものすごい暑さをもたらしたが、それも一転して涼しい日になった。昨夜はエアコンの必要はなし。本日は山の日で休日だそうだ。子どもたちは夏休みなのでほとんど関係なし。小平の津田公民館で、関野吉晴さん主催の地球永住計画の子ども版が開かれていた。

午後1時からは恐竜のおはなし。友人の富田京一君を推薦したので私も子どもたちに交じって参加した。恐竜研究、広報の第一人者だけあって子どもたちはぐんぐんひきつけられている。私も昔は恐竜信奉者としていろいろ話をしたが、こんなに子供を引き付けることはできなかった。すばらしい。富田さんとは3年ほど前にエジプトの西部砂漠で恐竜発掘現場を訪ねた時に一緒させてもらった仲だ。

富田さんの人気を援助しているのは彼が育てているイグアナ、カメなど爬虫類だ。彼は自宅でこれらを育て観察しているという。本日はイグアナとカメを連れてきてくれた。私も何回か見知っている。彼にはなついていて呼ぶとすぐになついてくる。壁にぶつかって鼻血?を出したが、かれは絆創膏を張ってやるなど治療をしていた。こんなにやさしく爬虫類に接すればなついてくるだろう。ともかくすごい。圧倒された。一緒に参加したおじさん4人と国分寺駅ビルで昼間からビール。

東京は37°C ステゴサウルスも暑い!

東京は37℃だった。体は大丈夫と豪語していても、体温より高くなると私もさうがに不調になる。外出を控えようと思ったが、孫が「国立科学博物館で深海展をやっているよというので、お供することにした。前は無理やり連れて行ったが、いまはだいぶ進歩して案内してくれるようになった。

夏休みなのでものすごい人出。ほとんど見ることはできなかったので、通常展示の方に移動して、ステゴサウルスに挨拶してきた。3年前にこの孫を連れてきた時には、巨大な恐竜化石をみて泣き出したものだが、いまはトリケラはデッカイなあなどと言えるようになった。「じいちゃんの好きなのはステゴサウルスだよね!」だいぶわかるようになったので、かき氷をごちそうしてやろうと思ったが、そこも大変な行列。 そとにでて公園のレストランに入ってお昼を食べた。ここも子どもたちでほぼ満員。親ごさんたちは暑い中でも子どもたちにいい体験をさせようと頑張っている。一生懸命子育をしているじいばあ、父母が大勢いる。私も出遅れないで良かった。それにしても暑かった!