4:ブハラ(ウズベキスタンの奈良かな?)
ウズベキスタンの首都タシケントを東京とすれば前の都サマルカンドは京都、さらなる古都のブハラは奈良に当てはまるかもしれない。ブハラの歴史は紀元前からソグド人らが小集落をつくっていた。709年のアラブの侵入以降は様々な王朝の支配下にはいり交易の町として繁栄していたが1220年ジンギスカンが侵入し町は焼かれ人々は皆殺しになった。廃墟を残してジンギスカン軍はサマルカンドに向かいそこも壊滅させた。サマルカンドは全く何も残らないまで破壊されたが、ブハラは少しだけ全盛期の建物が残りそこを中心に16世紀になって町は復活をした。昨日と言うよりも日が変わった真夜中、ウルゲンチからヒコーキでブルサについた。このツアーは交通の関係もあるがかなり過酷な日程になっている。事前にもらった日程表では出発が早朝、ホテル着が夕方などとなっており時刻は書いていなかった。昨日も夜にホテル着ということだったが深夜になった。それでも皆さん頑張って行動をしているが、年長者の我が家はもう限界に近い。ブルサでは連泊することになっているので私たちはこの日自主的に休養ということにした。離脱届を提出しバスで出発する皆を見送りもいちどベッドに戻った。
しかし10時ごろになると、せっかく来たんだから少しだけ観光に行こうよと言うことになり中心街に出かけることにした。町中までタクシー代は10000スム、150円ほどだ。なんか間違えているのではないかと思ったが運転手はOKと言う。おろされたのはラビハウズという場所。ハウズは四角い人工の池の意味だという。砂漠の中で水は貴重。水辺を中心に街は開けるのだろう。さっそく街歩き開始。
イスタンブールやダマスカスのバザールをイメージしていたがここはキャラバンサライ(隊商宿)や神学校などの建物を利用したもので長く店が並んでいるわけではない。ハサミなどの刃物類、絨毯、金属のポットなど細工物が多い。細密画の店もある。奥さんはお皿を買いたいらしいがまだ先は長い。重たいものを背負わされるのはきついので買い物厳禁!見て回るだけにした。
バザールを抜けたところにブハラで一番のカラーンモスクとミナレットがあった。1万人の人が礼拝できる巨大なモスクである。チンギスハンの破壊の程度が低かったものを16世紀になって復元したそうだ。「ハイつきにいきましょう!」ではなく、休養中の私たちはここでゆっくりイスラムモスクの偉大さを味わうことができた。と思っていたら朝バスで出た我がツアーの仲間にであった。「どうして?なんでここにいるの?」と不思議がられた。添乗員さんには申し訳ないが、かってに歩くのは気楽でいい。いい休養ができて明日からの過酷ツアーに復帰できそうだ。
あまりにもゆっくりしすぎてアルク城など有名なところを見なかったのは少々心残りだが、体調が回復したことでOKとしよう。ホテルに戻ってしばらくすると一行が戻ってきた。このあと民族舞踊ショーを見ながら食事だそうだ。私たちも復帰することにした。舞踊ショーの場所は私たちがタクシーで降りたラビハウズのメドレッセの中庭だった。どの神学校もモスクも観光用に供用されているのはちょっと不思議だ。
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東京と京都と奈良の比喩が分かりやすかったので今度使わせてもらいます。