今年もよく歩いたかな??

スマホを新しくしたので、歩数計がしっかり働いてくれる。
今年一年間でどれだけ歩いたか、計算が簡単にできる。1月は平均1.5万歩を越えたが2月はかすかす。これは6日間スキー行ったことが関係あり。スキーで滑っている間は歩数をカウントしない。4月は10日間上海旅行。スマホを置いて行った。6月7月は暑くて外に出る気がしなかったので平均で1万歩を切った。来年は1年平均で1.5万歩を超えるようにしよう。な~んてね。年寄りの冷や水。1万歩でいいよ。

2019年 月間歩数 1日平均
1月 487,351歩 15,721歩
2月 304,612歩 10,879歩
3月 421,946 13,611
4月 248,523 8,284
5月 359,432 11,595
6月 278,157 9,272
7月 338,568 10,922
8月 462,150 14,908
9月 452,057 15,069
10月 357,972 11,547
11月 436,198 14,540
12月 480,893 15,513
4,627,859 12,679

 

世界一大きい狛犬

世界一大きい狛犬

先日FB友人から「瑞浪市に世界一の狛犬がいます」との情報をもらった。写真を見るとちょっと不格好な狛犬が見える。いただいた写真をアップしようと思っていたが、20日に名古屋で日本の頭脳の一人であるHORI先生に会う予定になっていたので、一泊して多治見に行きレンタカーを借りて世界一の狛犬を見てきた。

瑞浪市陶に「ふるさと創生事業」の資金を利用して美濃焼の巨大狛犬を作ったという。阿吽の一対の狛犬は高さ3.3m、重さは15トンあるそうだ。総勢1000人がかかわったそうだ。この狛犬がすっぽり隠れる大きさの窯が作られ、そこで12日間、5000束の薪を燃やして狛犬を作った。これだけ大きさなので、別の場所に運ぶことはできない。窯のレンガを外している写真をみると、その大変さを実感できた。
隣に村社の八王子神社がある。この入り口にも美濃焼の狛犬がいるのだが、どう見ても不格好。まあそれでもいいか。ちなみに巨大狛犬は地元の文化財に指定されている大川窯4代目の美濃焼をモデルにしたものだそうだ。

瑞浪に戻って化石館に行った。今から40年前にこの博物館で化石を掘った覚えがある。ビカリアという化石を見つけた。同じ化石をエジプトの西部沙漠で見つけたなあ。さらにこの上に東濃地科学センターの超深地層研究所に行ってみた。原発で発生する高レベル放射性廃棄物の地層処分技術を得るための研究施設である。

500mの深さに穴を掘って様々な基礎研究をしている。このような研究があって初めて地層処分ができるのだ。しかしここの施設は20年で穴を埋め戻して市に返すそうだ。なんと無駄なことをするのだろう。地層の研究は100年単位でやらなければ意味はないのに

狛犬ならぬ狛子(ネズミ)!

12月7日。前から京都に行って来年2020年の干支である子(ネ)の狛犬を探そうと私は考えていた。インターネットで探ったら永観堂の先にある哲学の道の途中の大豊神社に狛犬ならぬ狛子(ネズミ)がいることが分かった。

奥さんと一緒なので最初から狛ネズミのところに行くのは難しい。まず奥様の気に入ったところに行き、ついでに大豊神社に行くコースを考える。地下鉄の東西線の蹴上から水路閣を通って南禅寺の紅葉を見よう。これなら気に入るだろうと思っていたら、先日の台風で疎水の脇が崩れて通行禁止。しかたがないのでインクラインの線路を下って南禅寺へ。ここの紅葉はすばらしかったので、奥さん満足。

さらに足を延ばして永観堂に。こちらも今が紅葉真っ盛り。上の方にある多宝塔に昔登ったことがあるというので、昨日の三輪山ランニング登山の疲れが残っているが付き合う。これがまたよかった。永観堂の赤い葉っぱと京都の町が一望できた。

満足した奥さんに、「ちょっと先に面白い狛犬がいるんだけど、ちょっと行ってみる?」と誘ってみる。「哲学の道は久しぶり!」とうれしそうなので一気に寄り道して大豊神社に行く。入り口には珍しい狛犬がいるが目も向けず奥の大国社に向かう。

確かに右側に口を開けた阿のネズミが立ち上がって巻物を持ち、吽のネズミは水玉に乗っているように見える。この神社は12年に一回は初もうで長蛇の列になるそうだ。本日も七五三の親子や年賀状の写真にする人たちが順番待ちをしていた。中日新聞の記者にインタビューされた。東京から来たもの好き夫婦という記事になるのかも。おもしろい経験で奥様満足。

ここまで来たら、一挙に黒谷の真如堂に登ることにした。この登りはけっこうきつい。リュックを背負ったジイサンバアさんが上がって行くので負けるわけにはいかない。立派な五重塔をみる。ここも紅葉がすばらしいのだが、疲れていたのでどうでもよくなった。真如堂さん金戒光明寺さんごめんなさい。

朝から歩いていたので2万5千歩、お腹がすいて疲れた。狛ネズミの写真が撮れてよかったので、まあいいか。

三輪山に登ってきた!

我が家の守り神である三輪明神にいってきた。ご神体山なので写真は禁止、もちろん飲食も。神社は大神神社と書いて「おおみわ」神社と読む。近くに大和神社があるがこちらも「おおやまと」神社である。すなわち「神」は「みわ」、「和」は「やまと」である。大神神社の神さまは背後にある三輪山の磐座(いわくら)に降臨されるという。三輪山の神さまは大物主命ということになっている。 さて、お能の「三輪」(世阿弥作)の中で「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事今更何と磐座や」と謡われる。伊勢と三輪の神はもとは同じ神だが分身している。そんなこと誰でも知っている。今さら何を言ってるの? という意味である。伊勢の神は誰でも知っている天照大神(日の巫女)である。大物主命は大国主神と同じで出雲を代表する神である。なんでその神が同じ神なのだろう? 天照大神は大国主命の豊葦原瑞穂の国を強奪した(国譲り神話)敵対関係である。なのになんで同じ神と世阿弥は言ったのだろうか。後の時代に書かれた「倭姫命世記」によれば天照大神は倭姫を御杖代(みつえしろ)として大神神社から26の神社を巡行して伊勢神宮に落ち着いた。と書かれている。‥・読んでいないのだが。
 私の解釈は、三輪山には天照大神と大物主神が一緒に祀られていた。しかし二神は仲が悪く、しばしば世間に災いを起こした。そのために三輪山の麓で磯城瑞籬宮を営んでいた崇神天皇(初代神武天皇と同一)が二神を分けた。天照大神は新しい地を求めて倭姫にひかれて伊勢に落ち着いた。倭姫はその後斎王として斉宮の地から天照大神をお守りしたそうだ。 大物主神はまだ三輪山の上におられるという。私は何回も三輪山の磐座に詣でていたが、ここ数年体調がすぐれず登れなかったが、今回ぎっくり腰をものともせず登ってみた。奥さんは途中の滝まで。捨て置いて頂上まで行き磐座を確かめた後引き返した。すぐ下にお宮がある。小さく書かれた名前を見て驚いた。「日の巫女」社とある。なんとここに日の巫女である天照大神がおられたのだ。ここから巡行をされたのだ。 走り下って途中で奥さんを拾って狭井神社に下り、二の鳥居前の「森正」に行って三輪ソーメンを食べる。我が家の奥さんが仕舞のお友達の家で、三輪山に来る時には寄っている。再び鳥居前に来て何か忘れた気がした。そうだ狛犬! 大神神社本体にはどこにもいなかった。しかし若宮とちょっと離れた恵比須神社にはいた。載せておきます。本日狛犬はおまけ。

金鑽神社、十月桜

  朝起きたらマイナス4℃、車はすっかり霜に覆われていました。今回は寒さ対策は十分にしてきたので大丈夫。昨日は大阪から来てくれた「清水武志トリオ」のジャズを子どもたちと一緒に楽しんだ。子どもたちをググっと引き込む語り、子どもたちに合わせた優しいジャズ、さすがプロはすごい。

そのあとせせらぎ荘でおいしい料理、温泉を堪能して、途中スカイブリッジ、金鑽神社とご神体山登山、十月桜を堪能して戻りました。誘っていただいたOTANIさん、NOJIさん、ありがとうございました。

1.金鑽神社の御嶽山の上から見た赤城、榛名、遠く谷川の峰々。
2.金鑽神社(かなさな神社・二宮)の紅葉と黄葉 3.スカイブリッジ、 4.霜柱 5.十月桜、鬼石(おにし)6. 鏡岩、断層で磨かれた結晶片岩

7.メタセコイヤ紅葉