8月18日(月)
 成田、バンコック経由でミャンマーの首都ヤンゴンに6時頃につきました。日本との時差は2時間半という半端。ヤンゴン1の高級ホテルの隣のホテルに泊まり、翌日は向後さん主催のACTMANの協力者であるFREDAの事務所に行き、ごあいさつ。ここは森林局のOBが主催している実力派NGOである。

午後は早速ヤンゴン市内のマングローブ林を見るために、新しく作られている民族村に行く。ソネラチアというマングローブにピンク色の花が咲いている。この花は月下美人のような一夜花で、コウモリが受粉するという。これを見た人はごく少ない。

 翌日は貨客船でヤンゴン河を下ってボガレーという港町に泊まる。電気の普及率はごく少数なので夜は真っ暗。自転車にサイドカーをつけたサイカで町内見物。カレッジもある地方の中心都市だ。ビールが飲めるレストランもある。

 20日、FREDAの専用ボート(10人乗り)でさらに河口の村をめざす。途中で雨風が強くなり、本流の横断ができないので、小さなクリークに入って待機する。こんなこともあるのでボートには食事も用意してある。波の静かなマングローブ林の下での食事は、まさにスローライフの見本みだ。

今回はスローライフの提唱者の辻信一さんも一緒だ。夕方河口に近い島にあるFREDAの宿泊施設に到着。今は雨季なので必ず雨が降る。洗濯してもまったく乾く気配はない。電気はないので、2時間だけ自家発電。雨水をタンクに貯めた水がシャワー。茶色に色づいている。

 21日、各地にあるマングローブ林再生プロジェクトの試験地を舟で見に行く。クリークには大型船は入れないので、小舟を使う。板を渡しただけの舟つき場から試験地までは水に浸かっているか、グジョグジョのみち。長靴は必需品だ。地元の人はゴム草履かハダシはだし。私もしばらくするとゴム草履に変わった。ここのマングローブは100種類ほどあるそうだ。私が識別できるのは、そのうち3種類ぐらいだ。ニッパヤシがマングローブの一つだとは知らなかった。

 22日、一息入れるためにレクリエーション。湿地帯に行って泳ぐ。水の透明度は5㎝ぐらいで、ドロが重そうに淀んでいる。底はヘドロで、体になすりつけるとドロンコ美容法になりそうだ。においもないし、ガラス片など文明物は全くないので、きれいなヘドロだ。

アンダマン海にも行ったが、ここも茶色く濁った重そうな水の海だった。ギリシャの哲学者ターレスはすべての源は水であり、水が土地を生むと言った。この水を見ていると確かに川が土地を生んでいることが分かる。

 FREDAの宿泊施設は、2カ所あり後半泊まったビョンムエ島の施設は我々がはじめての泊まり客だった。水上に浮かぶすばらしい施設で、しばらく止まっていたい場所だった。しかし乾期になると水がないので生活はできないとのこと。周りは水に取り囲まれているのだが、飲み水になるものは雨水しかない。この地域では、きれいな水の確保が最大の課題なのだ。

 30日まで、マングローブ試験地を見学して回って、再びボガレーに戻ってきました。田舎町と思っていたこの町が、この地域ではとてつもなく大きな町であることが分かりました。

そこからさらに大きなヤンゴンの町を経由して2日に東京に戻りました。
 体も荷物も着るものもすべて湿けってしまい、異臭を放っています。「東京は暑いゾ」といわれましたが、イラワジ河口に比べれば、気温も低くカラッとして過ごしいいものです。

とりあえずイラワジ河口で楽しい思いをしてきたことを報告しておきます。詳しいことはまた、のちほどマングローブ研究家のコーナーに載せます。

明日からミャンマー

8月17日(日)
 あすからミャンマーへ行きます。イラワジ川の河口のマングローブの生態をみて、植林のお手伝いをしてきます。一番大事な持ち物は「長ぐつ」です。帰ってきたらまた報告をかきます。しばらくお休みです。

今日は終戦記念日

8月15日(金)
 今日は終戦記念日。あの時から自分の年齢マイナス1の年が過ぎました。もう戦争はしませんとその時に、みんなで誓ったのに、今では戦争に加担することが国際協調、国際正義のような風潮が広がっています。正義は大事です。しかし自分だけ独りよがりの正義は、ただの思い上がりです。もちろんフセインが金正日が正義だとは言いません。イラク、北朝鮮をみると、爆弾を落として叩きつぶしてしまうことが最良の方法のように思えます。おそらくその国民にとってもいいことなのでしょう。

 しかし振り返って、58年前の日本を考えるとき、日本の軍部を叩きつぶすために東京に大空襲をし、広島、長崎に原爆を落とし、多くの人たちを犠牲にした戦争を容認できるかと言えば、当たり前のことですが、「否」です。戦争を始めたのは日本軍ですが、原爆は早く戦争を終わらせる手段だったとの抗弁は納得できるはずはありません。ここには一人一人の人間に対する尊厳、思いやりは何もありません。最近の戦争は精密誘導爆弾を使うので、犠牲者は少なくないというけど、発想は今までと同じで、人間を一まとめの「もの」として見るだけで、「人々」と考えるという発想はまったくありません。

 戦後58年の今、個人を大事にするといいながら、ドンドン反対の方向へ動いています。テレビでみると政治家はみな「平和、平和」と安易に言葉を発します。しかし実体の伴なわない言葉はむなしく響くだけです。

 ところで「それではお前は?」と答われたとき、いま自分の言葉も上滑りしており、反省せざるをえない状況です。私の場合何ができるかと言えばマラソンしかありません。それが世の中になんの役に立つかはまったく不明です。でもみんなで気分良く走っていれば、戦争をしようという気にはならないことだけは確かです。これからも走りながら言葉を発しようと考えています。ただの徘徊老人にならないよう、発信もし続けます。

8月12日(火)
 ニューヨークで大停電になったという話だが、わが北海道の豊富でも停電が起こった。30分間だったが、ちょうど搾乳の直前だったので牧場はパニックになった。家の電話は通じない、携帯電話は圏外なので通じない。情報を得る手段はない。しかしここが停電して困っていることを電力会社に連絡しないと、復旧をしてくれない。

 いなかで人は少ないからのんびりしていると思われるかも知れないが、こんな場所だからこそ電気が必要なのだ。搾乳ができないと牛は病気になる。猶予はできないのだ。町に出ている長男は、ふだんは学校が終わると電話で迎えを頼んでくる。電話が通じないと、どうにもならない。時間が分からないがヒマな私が車で迎えに行く。

 しばらくして復旧したが、奥さんは「ときどき忘れられてしまうの」と言う。わずか五戸しか集落なので、全体が復旧してもスイッチを入れ忘れらることがあるのだそうだ。

 ニューヨークも大変かも知れないが、こういう僻地ほど大変な状況になることを知ってもらいたいものだ。

豊富の草原を雄次郎と走る

8月9日(土)
 北海道北部は毎日どんよりした空で、ときどき雨も降ってくる。真夏なのに寒い。利尻島に行こうと思ったが、台風も接近しており無理だ。そこで田中裕次郎家の次男のSくんを連れてマラソンをすることにした。彼は中学3年で陸上部に所属している。するとお父さんが「おれもいくぞ」と言う。毎日朝早くから牛の世話をしているので、疲れているはずだ。しかし昔からの習いで、とっさの判断でともかく何にでも参加するという行動は健在だ。

 大規模草地一周は24キロあるという。Sくんはまだ10kmしか走ったことがない。長距離走は経験だけがものをいう。アップダウンがある10kmをSくんは快調にとばす。お父さんは体が重くドタドタと、馬力だけで走っている。中間地点の展望台では2、3分の差があった。長く休むと体が冷えるので、後半にかかる。Sくんにとっては未知の距離である。お父さんは今でこそドタドタだが、若い日には日本縦断をした超ウルトラランナーである。経験の差が出てくる。大規模草地を出るころ私についているのはお父さんだけになった。Sくんは歩き始めているようだった。

 お父さんは、一度はみわを負かしてやろうと思っていた、これがチャンスだと思い必死で走ったのだと後で聞いた。私もその迫力を感じたので、負けてはいられない。あと4キロの上り坂で懸命に走ると、ついてこれなくなった。それでもお父さんはSくんに大差をつけて完走。自転車で見に行くとSくんは「気力がなくなった」と歩いている。

 「もう走りたくない」と言わせてしまったら、教育としては失敗かも知れない。でも理不尽にひどい目に遭うのはいい経験だ。来年になったらきっと20kmくらいは難なく走っているだろう。

北海道 チャリの旅

千歳空港から札幌までの道
8月5日(火) 北海道
 8月の9日10日に玉原高原でキャンプがあることになっていた。前橋の小林番長、写真家の星野さん、星野兄さんたちが中心となって、豪快、はちゃめちゃのキャンプだ。今年も参加することにしていたが、7月末、北海道で卒業生が私の退職祝いで集まってくれるということになっていたのを思い出した。星野さんにお詫びのメールを入れ、北海道にヒコーキで飛んだ。
 玉原組のみなさん、どうもごめんなさい!

 新千歳空港から列車で北広島駅まで行き、そこから持ってきた折り畳み自転車で走りはじめる。始発のヒコーキだったので、10時半には札幌テレビ塔につく。高校時代の友人を呼びだし、昼飯をごちそうになる。昼食後、再び自転車で円山西町に向かう。そこにはアメリカ大陸横断、ヨーロッパ大陸(リスボンからモスクワまで)を走ったウルトラランナーの武石さんが引っ越しているはず。突然の訪問に奥様ともども歓迎してくださる。森の中の野趣溢れる庭でバーベキュー。とても食べ切れない量なので、近所に住む卒業生の大熊さんを呼んで、一緒にごちそうになる。満腹になり酔っぱらって、大熊さんのお宅に泊めてもらう。中央区といっても盤渓は山の中。キツネやリスがいる。

 6日は自転車で幌見(札幌を見下ろす)峠を越えて、町中へ。天気もいいのでそのまま豊富の牧場に向かうことにする。バスの待ち時間があったので、北大に寄ってみる。環境科学科の平川教授は結構ハードなウルトラランナーで、ライバル関係にある。ちょうどスイスから帰ったばかりで、ラッキータイミング。しばらく話をしてからオロロンライン経由のバスの旅。

苫前の風力発電の風車に見とれながら幌延へ。ここは高エネルギー放射能廃棄物の処分場ができる所だ。
 道路や役場はよくなっているが、町は寂しい。放射能廃棄物処理場の風評で農作物は売れない。補償をもらって早く離れた方がよさそうだと考えるのは当然だろう。お上はそれがねらいかも知れない。「リサイクルセンター」という看板からは放射能リサイクルだとは分からない。姑息なやり方だ。ここから折り畳み自転車で豊幌の「あおそら牧場」に向かう。夕暮れとの競争になる。暮れてしまえば周囲数キロに人家はないので、真っ暗闇になる。誰も通らない暗闇の道路は恐ろしい。明かりがかすかに見えたときにはホットした。