淡路国府、総社、国分寺

淡路国
イザナギ、イザナギのご夫婦神が混沌の中に「天の沼矛」を差し込んで引き上げたときにたれた滴が固まってできたのが「おのころ島」である。この島の「天の御柱」を廻ってご夫婦は日本の島々を産む。最初が淡路島、次に伊予の二名島、隠岐の島と続く。地質学的にはもちろん何の根拠もないが神話では日本列島で最初にできたのが淡路島ということになっている。淡路島は「おのころアイランド」と称して観光誘致をしているが、神話の世界では(淡路島=おのころ島)ではない。淡路国府・淳仁天皇陵
淡路国府は今の南あわじ市にあったがその場所は特定されていない。府中とか国衙の地名は残っているのでそのあたりだろうとウロウロした。社殿はないがそこに国司館跡の石碑があった。その近くに淳仁天皇の墓所があった。淳仁天皇といってもわからないが、全国に国分寺を作るように命じた聖武天皇の娘である孝謙上皇が擁立したが途中で僧の道鏡を天皇に仕立てようとして淳仁天皇を廃位させた。天皇は淡路島に流され淡路国司に預けられたがすぐに暗殺された。国司館跡のすぐそばに墓所があるのには理由があったのだ。ちなみに淳仁天皇というおくり名は明治時代になってつけられたものである。

総社十一明神神社
淳仁天皇を祀る野辺の宮のすぐそばにある神社で扁額に、合わせた11神社名が掲げられている。しかしその神名は書かれてはいない。11神社名に淡路一宮の伊弉諾神社名はない。ということは三原郡(南あわじ市)の総社ということなのか、そのあたりのことは不明である。扁額には「當国総社」とあるが當国が淡路国を表すのかどうかはよくわからない。

国分寺
南あわじ市役所の近くに現国分寺と跡がある。寺の区画はわかっているが伽藍配置などはわかっていない。この寺が元の国分寺の後継寺院であり、本尊の木造釈迦如来坐像は重要文化財。丈六の釈迦如来は国分寺本来の本尊で、現在も本尊としているのは淡路国分寺のみである。

国分尼寺
南あわじ市八木新庄の稲荷神社付近に存在が推定されているが、確信はないという。

おのころ神社
淡路一宮は淡路市の伊弉諾(いざなぎ)神社であるが、淡路国府近くにはおのころ神社という巨大な赤鳥居を持つ神社がある。国府との関係はないだろうが観光資源としてはいいかもしれない。近くには天の浮橋跡などがあるが神話を使って町おこしをしようという感があって面白い。

沼島
「ぬしま」と読む。私はこの島が「おのころ島」のモデルだと思っている。それはイザナギ、イザナミのご夫婦神が回った「天の御柱」があるからだ。今回もこの天の御柱、上立神岩を見に行った。昔の人はこの岩を見て天の御柱の物語を作ったのだろう。この島こそ「おのころ島」だと確信した。