奥多摩耐久レース ハセツネ杯

2003年10月27日 (月)

奥多摩耐久レースが土曜日から日曜日にかけてに行われました。その報告です。

写真ページも作りました。

 25日午後1時、72kmの奥多摩の山道を走るレースがスタートしました。今年はアメリカからのプロ選手が2人招待されており、7時間台の記録が出るのではないかと期待されています。普通の人は24時間以内での完走が目標です。途中に大きな山(三頭山、御前山、大岳山、御岳山)がいくつもあり、小さなピークは数知れずあるので、走ると言っても、早足で行くのがやっとというコースです。私は今回で9回目ですが、いつも走りながら、何でこんなことやっているのだろう。来年は絶対に来ないぞと思っています。

 地平線会議の仲間の江本さんと、由美ちゃんは、スタート5分前になって、やっとグランドに姿を現しました。どこにいるかと探していたのに。私は昔の生徒高橋くんがいて話をしていました。彼は早稲田の箱根駅伝の選手でした。いまはあまりやっていないようですが、一緒に来た市岡くんは総合3位になっていました。彼は大岳山で電気が切れて、明け方まで寒さに震えていたといいます。名前が岳大(たけひろ)なので、縁が深かったのでしょう。

 私は、珍しく、後方から出ていったので、今熊山の登りや、入山峠の階段で結構待ち合わせ時間がかかりました。遅れを取り戻すべく、急ぎで下ったら、岩の上で滑って、腰と腕を打ちました。腕は10㎝ほどの擦過傷で、かなりひどく腫れました。このショックで、第一関門で止める決心をしました。江本さんの「三輪さんは、気まぐれで、リタイヤ」の予想が本当になるところでした。そうきめたら気分が楽になり、景色を眺める余裕が出ました。三国峠ではすばらしい夕焼けが見え、富士山のシルエットがみごとでした。

 ふだんよりも1時間近く遅く第一関門の浅間峠に着きました。ここで荷物を下ろし、おにぎりを食べて、下ろうとしていたら、鉄人中山さんがボランティアをやっており、なんとなく行かなければいけない雰囲気になってしまいました。腕は思ったよりも腫れてきたので、中山さんに「止める理由があるよね」と言ったら、「大丈夫ですよ」 あんまり同情心がありません。

 馬杉さんと一緒だったので、ここで止めたらかっこ悪いと思い直し、腰を上げました。浅間峠に着くだいぶ前に藤岡くんがニヤッと笑って抜いていきました。先週彼の強靱な走りを見て、もう私の時代ではないと感じていました。高橋くんには「8時頃には三頭山につきたいなあ!」と言いましたが、やっと9時に到着。馬杉さんは「登りがつらい」といいながらどんどん行ってしまいます。頂上では彼女の姿は見えません。大福を半分だけ食べただけで、寒いので下りにかかりました。今年はストックを持っているので、下りは快調。

 第2関門は月夜見峠。昼間は奥多摩有料道路を紅葉見物の車が通るが、夜は通行止めになっているので静かなもの。10時24分。ここで水を1.5リットル補給してくれる。今年は涼しいので、最初に持ってきた2.5リットルの水は減っていない。おにぎりを食べていると先に行ったはずの馬杉さんがやってくる。どこで追い越したのか不明。たぶん鞘口峠への下りだろう。15分休んで、10時40分に出発。

 ここからしばらく一緒に行くが、御前山の登りでまたおいて行かれる。この登りは、疲れのピークになっているので大変つらい。カタクリの花畑の柵を数えながら、ヨタヨタ登る。小河内峠がほぼ1000m、御前山が1400mだから、結構きつい。風が強くなり、雨がポツポツきた。ダダ広い頂上には誰もいない。ベンチがあるが、寒いので先を急ぐ。11時50分。

 ここから大ダワへの下りは急坂だ。ストックが威力を発揮する。年をとると目が悪くなる。暗いと地面がはっきり分からない。ストックで確かめながら行くので昔のように駆け下ることができない。このあたりで前後左右にまったく光がなくなった。私を置いてみんなレースを中止したのではないかと不安になる。前にライトの光が見えたときにはホッとする。くだりで馬杉さんに追いつく。大ダワは大きな峠という意味。ダワダワの語源は何かなどと考える。休まず、大岳山に向かう。

 大ダワは1100m、大岳山は1266mだから御前山より登りは楽だが、直前に岩山があり、腕と足を使って登る。またもや馬杉さんは見えなくなる。1時45分に頂上。町の灯りが美しく見える。いつもは夜中に明るい光がムダに使われていると憤慨しているのだが、きらきら光る夜景はなかなか見事だ。大岳山の岩の上で、大福の残りを食べる。口の中に甘さを残し、少しずつ楽しみながら、大岳神社への滑りやすい急な下りをおりる。昨年は湧き水が出ていたが、今年は崖崩れで埋まっていた。

 昔の軌道跡にでると、道がよくなり快調に走ることができる。一気に御岳山の水場に着くが、ここも水量が少ない。腹一杯に飲んで、ぽちゃぽちゃ言わせながら第3関門に急ぐ。このあたりまで来ると、もうゴールは確信できる。いつもは時間を気にしているのだが、今年は「まあ、いいかっ」って気持ちが強いので、全然気にならない。あとでこのレースの記録を見ると、馬杉さんと数秒の差だった。

 このレースは、靴にチップを付けて記録しており、関門通過の時間がリアルタイムでインターネットで見ることができる。我が家の奥さんも、私が何時に第3関門を通過したかがわかるのだ。例年は第3関門から2時間15分ほどで、ゴールする。通過が2時36分だったから、おそらく4時50分と予想を立てる。

 御岳の山上集落をとおり、日の出山の登りにかかる。これが最後の登りなのだが、疲れた身体にはものすごくきつい。ここで電池がきえた。頭につけたのとベルトにつけてのが、両方一度に消えたので、電池替えに少々手間取った。こんなこともあるかと予備の小さな電気を持っていたのだが、暗闇の中でリックに入れたその小さな電気を見つけるのがめんどうだったからだ。予備電気はすぐに取り出せる所につけておくべきだった。

 この間に再び馬杉さんに会う。第3関門で休んでいる彼女を追い越したらしい。日の出山手前のトイレは満艦飾で、一体なにかと思う。頂上からの東京の夜景はものすごい。この時間でも高速道路の明かりが光の帯を作っている。空には星が見えている。足元ばかり見ていたので、クビを上げると腰も痛い。

 最後の急な下りにかかる。最後といってもここから11キロもある。木の根が出ているので、気をつけて走らなければならない。今回はそんな危険を冒したくないので、のんびりと歩く。走って追い越していく人がいる。「しっかり頑張ってね」という余裕がある。江本さんが「今年は大人の走りをした」と後で言っていたが、私も円熟のレースをしていた。

 いつもならあと5キロという表示があるのだが、今年はなかなか出てこない。やっと出てきた時には、4時30分。あと50分はかかる計算だ。第3関門での予想を大幅にオーバーするなあと思っていたら、コース案内の方があと2キロですと言う。「あれれ!それなら5時前にゴールだ」 昨年とコースが違って、神社の鳥居をくぐる。今までのコースならどれぐらいかかるのか予測がつくのだが、少々不安だったが、見慣れた町並みに出て、一安心。

 4時53分にゴール。第3関門での予想の通りだった。馬杉さんはだいぶ前にゴールしたのだが寒いのに律儀に待っていてくれた。前にいるはずの藤岡くんはまだ着いていないようだった。江本さん由美ちゃん組は2時頃、第2関門を通過したとの情報があった。誰もいない山の中にいても、居所が把握されているなんて・・・・・。
第1関門ではほとんどリタイヤのはずだったが、なんとか完走。こんなきついことは、もうやりたくない。といいながら、来年もきっとここにいるのだろう。

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