筑波嶺の みねより落つる 男女ノ川 恋ぞつもりて 淵となりぬる (陽成院)
百人一首にのこる歌である。平安時代、都の人たちにも筑波の峰は知られていた。山には男体、女体の二つの峰がありその間から男女川が流れだしている。男女の縁を取り持つ「歌垣」がこの峰で行われていたことも都の人たちには憧れで、多くの歌が作られた。
中腹にある筑波神社は、筑波山そのものものをご神体としているので本殿はなく拝殿があるだけだ。厚い信仰をもった人々が多く訪れていた。昔は「つくば道」を歩いてやってきたが、明治期になると国鉄の土浦駅から筑波鉄道が伸びてきて参拝客を運んだ。1960年ごろまでは国鉄の急行列車が筑波駅まで通っており、上野から乗り換えなしで来ることもできた。
大正14年、地元の実業家、高柳淳之助らが尽力して筑波山鋼索鉄道が作られた。当時は霊山参拝のためのケーブル建設がブームで、筑波山鋼索鉄道はそのはしりとなった。
男女川の谷間を抜けるために線路は曲線になっている。筑波山は花崗岩の硬い岩盤で工事は難航したようで、途中には118mものトンネルがある。車体、線路は建設当時とは異なっているが、線路敷地は当時のままで、近代の土木遺産と認定(2015年)されている。
大正14年に開業したが昭和19年(1944年)全国のケーブルカーは不要不急線となり休止状態となった。昭和29年(1954年)再開して観光産業として賑わったが、徐々に乗降客も減った。1991年ロープウェー会社と合併し、京成電鉄62.4% 筑波山神社 18.9%の株式を保有する筑波観光鉄道となっている。
宮脇駅(標高305m)と山頂の筑波山頂駅(標高800m)間、1,634mを約8分で結んでいる。山麓の宮脇駅は筑波山神社の隣に位置しており、『お宮の隣→お宮の脇→宮脇』ということから宮脇駅という名称になった。
筑波山山頂駅から女体山へは15分ぐらいの登り。男体山の方に向かうと20分ほどで山頂の社殿に出る。途中には恐竜の頭の形をした岩があり、子どもたちは恐竜の口に石を投げ入れようとしている。うまくいけば願いが叶うかもしれない。ここもパワースポットである。この山頂から霞ヶ浦方面への眺めは、これまたすばらしい。
男体山の頂上を降りて、今来た道の反対側には登山道がついている。ここを下るとすばらしい岩の造形が出てくる。それぞれに仏教的な名前がつけられ、その前で手を合わせる人も多い。パワースポットとして売り出しているが、成功している感じだ。
登山道は急なので、下るのはかなり体力が必要だ。歩きたくない人は男体山の手前にロープウェーの駅があるのでそちらに向かう。地を這うケーブルカーと違いロープウェーは空中散歩。関東平野、霞ヶ浦が見渡せる5分間の空中旅である。というものの私はこれまでに一度も乗ったことはない。どうも地に足がついていないのは好みでないからだ。
ケーブル下の駅まで「つくばエクスプレス線」のつくば駅からバスが来ている。つくばエクスプレスができてからは東京からも簡単に筑波山に行くことができるようになった。江戸の昔、東に筑波、西に富士という景色があった。東京東部に住んでいる私らにとって筑波山はいつも仰ぎ見ている山だから、近くなったことはうれしい。
ケーブルカー、ロープウェー、バスを使って筑波山をぐるっと一回りするツアー。手軽に信仰(パワースポット)と自然を味わえる小旅行はこれから人気が出てくるのではなかろうか。