線状降雨帯

九州の豪雨は大変な被害をもたらした。私のおじさんは九州日田に住んでいた。1953(昭和28年)に筑後川が氾濫し、日田市が水浸しになった。その少し後に日田を訪れたときに、ちょっと高台にあったおじさんの家のふすまに水の跡がついていたことが記憶にある。1999年東海村で核分裂が起こった日、下島さんと九州縦断マラソンの途中で日田市を走っていた。今回被害が大きかった宝珠山の駅近くで、大きな鹿が罠にかかって倒れていたのを知らせたらその家に一泊泊めてもらったことも思い出す。2008年には日田市のそばの朝倉にある三輪町の三輪神社を訪ねて歩いた。ここが卑弥呼の里で、神功皇后が朝鮮征伐の兵を集めた場所だということを知った。

そんな場所がまたもや大きな被害を受けている。線状降雨帯という聞きなれない言葉がテレビでは飛び交っていた。天気図を見ると確かに線状に猛烈な豪雨帯が伸びているのが分かる。今回の豪雨は福岡佐賀県境にある高良山がポイントになってここから線状に降雨帯が次から次へと発生しているのが分かる。高良山が積乱雲を作り出していた。

しかし線状降雨帯は珍しい現象ではないようだ。「平成27年9月の関東東北豪雨」では鬼怒川の堤防が氾濫して大水害を起こした。その時は台風18号のの影響で線状の豪雨帯ができた。広島の水害土砂崩れも線状降雨帯だったようだ。他人事のように思っていたが、いつ何時東京にも訪れるかもしれない。もう少し関心を深めて用心しておかなければならないだろう。線状降雨帯の天気図2枚

2015年9月、関東東北豪雨

 

 

 

 

 

 

2017年7月12日、今回の九州の豪雨。

 

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