丹波の国は京都嵐山から嵯峨野線に乗ってトンネル鉄橋、トンネル鉄橋を何回も繰り返してやっと広い番地に出た所である。大昔は丹波の国は丹後、但馬を含む地であったが、律令制の時代から三つの国に分かれた。丹波の国の国府は亀岡の盆地にあったが、その位置は特定されていない。しかし南丹市の屋賀に国府の小字がある。丹波国 国府
その周辺には「国府」という苗字の日とが多く住んでいるようだ。大欅のすぐわきにある安楽寺に入ってみたら山門再建の際の寄付名簿の石碑があった。国府さんが大変多いことに気が付いた。このあたりが国府の位置だったのだろう。
総社 宗神社
国府さん宅を少し歩き、坂の手前にに「宗神社」がある。どこにも総社の記載はないが、宗神社は総社に通じろ所がある。まあちょっと根拠は弱いが、一応ここを総社ということにしておこう。
国府の小字は南丹市屋賀にあるがここは亀岡市との境界辺りである。近くには大きいため池がいくつもあり農業に適した地にすべく人々が苦労したことがわかる。近くに牧場がいくつもあるので匂いはちょっと異なるが、大和盆地に似た景観である。ちょうど蓮が咲いておりお釈迦様の住む尊い地のように感じた。が変なものが蓮池を泳いできた。ヌートリア、お釈迦様に失礼だろう!あっちへ行けと追い払った。
丹波一宮 出雲大神宮
屋賀の国府付近からヌートリアの池から山裾に上がって行くと景色の良い場所に丹波の一宮の出雲大神宮がある。この辺りは出雲族が多く住む地で、ここから出雲大社に神さまは移って行かれたとの説がある。元出雲と呼ばれるのはそのためである。出雲大神宮については一宮巡りにアップしてある。http://kazmiwa.sakura.ne.jp/ichinomiya/058izumo-daijingu/izumo-daijingu.htm
丹波国分寺
丹波一宮から山裾の道を下って亀岡の市街に向かう途中に国分寺跡がある。ヤマ側には七福神を祭る寺など多くの寺社仏閣がある。信仰心の篤い地域だったことがわかる。国分寺は現在も小さな建物があるが無住らしく話を聞くことはできなかった。広い敷地には金堂や回廊の跡の看板が立てられている。しかし礎石は一部に集まっている。国分尼寺はどこにあるかわからなかった。
亀岡に来たのは3回目、駅前にはとんでもなく大きなドームがあった。サッカーJリーグの京都サンガの本拠地で京セラドームだ。昔はパープルサンガというチームがあったがその後継チームだがJ1だったかな? 京都嵐山までは保津川下りの舟がある。しかし大変な雨が降ったばかりで水量も多い。恐ろしいので電車で京都に戻る。
国府寺跡
賀曽利さんから
「千代川の案内図」を送りますね。
10番の国府寺跡の「国府寺」は、
丹波国府の国衙跡だそうです。・・・・・ここには行かなかった。残念!