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都々古別(つつこわけ)神社(八槻) |
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主祭神 |
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味耜高彦根 |
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あじすきたかひこね |
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相殿 |
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日本武尊 |
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やまとたけるのみこと |
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都都古和気神社の祭神は味耜高彦根(あじすきたかひこね)神となっている。この神さまは古事記に出てくる神で、大国主命の息子ということになっている。しかし古事記は神話を記したもので、姻戚関係に関してはかなり変化する。この神さまも大国主の息子というだけではない。日本の国土を切り開いたとされる。
地元の人は、すなおにこの地を開いた神さまとして崇敬をしていたことだろう。この神社(八槻家)は修験の時代には熊野参詣の先達職を請け負って絶大な勢力を誇ったそうだ。聖護院の僧たちも八槻家に宿泊をしていた。
戦国時代になると常陸太田の佐竹家の勢力が久慈川沿いに北上し、棚倉(たなぐら)は白川領から佐竹領に変わった。明治に入ると神仏分離政策によって仏教色は取り払われた。
都都古和気の三社の関係は馬場の都都古和気神社の項目で述べる。一之宮を名のる都都古和気神社がいくつもあるというのはどうにも気になる。 |
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水郡線近津駅からは徒歩15分程度 |
明治期には国幣中社、けっこう偉かった。 |
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随神門からみた拝殿! |
拝殿奥の本殿: |
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立派な千木、鰹木5本 |
随神門:2010年1月 |
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読めない ↑ 陸奥一之宮と言われるが、ここでは奥州一宮 |
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この狛犬が実にいい。子獅子の表情! |
名工が多くいた。天保11年(1840年)の作 |
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顔に迫力がある! |
随神門の獅子像 |
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随神門:もとは仁王門! |
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裏手の川 |
様々な民俗行事が残っている |
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宮司:八槻家:熊野の先達職 |
八槻家は土塁堀をもつ。修験の屋敷。 |
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暑い一日だった。馬場の都都古和気神社から4キロほどのところに八槻の都都古別神社がある。
両社の間に交通の便はない。地元のおばちゃんは「すぐだよ!私ら子供の頃には歩いたから!」
というが、私は信用していない。田舎の人たちは歩かないから、時間はわからないのだ。
困っていると千葉ナンバーの車が鳥居を出てきた。さっき社殿の前であった人だ。
自分も行くので、乗りますかとのこと。渡りに船。八槻まで1.5時間はかかると思っていたが
10分で到着。お話を聞こうと社務所を訪ねると宮司さんは女性。
思い出した。2010年の正月、この付近をまわった時にもお会いした。
馬場の都都古和気神社と同じ神さまを祀る。どちらも一宮を名のる。
どちらかを一宮に決めることになれば、こちらの方に軍配を上げる。
車に載せてもらったので、八槻都都古和気神社で今までにないくらいゆっくりしたが
水郡線近津駅には1時間前に着いた。喫茶店どころか日陰もほとんどない。
汗かいたシャツを干して置いたら、列車が来るまでにからからに乾いた。
5時3分発、水戸経由で家に着いたのは10時頃になっていた。
行動時間は15〜16時間、JR青春18切符なので
使ったお金はお茶と賽銭だけ。地元には何の貢献もしなかった。
ゴメン!
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