066   石見一宮    島根県大田市川合町 
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物部(もののべ)神社 
主祭神 宇摩志麻治命  うましまちのみこと 饒速日命の子 天孫に味方して大和政権を作る
配 神  天照大神 あまてらすおおみかみ  高天原の最高神  天孫=天照大神の子孫=天皇 
配 神 饒速日命 にぎはやひのみこと  別名:大物主命  物部氏の祖:高天原の降臨
物部氏と言えば日本の歴史の中で大和政権を支えた最初の武力集団で、大変な実力者だった。大和の山の辺の道にある石上神宮は物部氏の武器庫だったことが知られている。しかしなぜ石見に物部氏をたたえるような神社があるのだろうか。

物部氏は仏教を信仰する蘇我氏と対決して敗れて大和の政権から追われた。その後中央で復活することはなかった。しかしその末裔は石見の地で再興をはかろうと力を蓄えたていたのではなかろうか。

私は石見の地は、物部氏のふるさとだろうと考えている。海の向こうから渡来した祖先が本拠地とした。その後出雲、吉備勢力と語らって大和へ進出した。大和のシンボル三輪山には大物主神が祀られている。大物主神は物部神社の祭神の饒速日命と同一だと考えられている。

神社の社殿は写真で分かるように拝殿は平入りだが本殿は巨大で出雲大社とよく似ている。またまた私の考えだが、大和で敗れた後、出雲と同じように地元に蟄居することを条件に後の大和政権に作ってもらった。なので拝殿は平入りで伊勢神宮風、本殿は出雲大社風(春日大社風)になっている。

入り口と鳥居は斜めになっている  堂々とした明神鳥居(木造) 
拝殿:奥に本殿の屋根の一部が見える  怪しい動物(龍)の手水舎 
 
拝殿前から:狛犬のわきに鶴。宇摩志麻治命は鶴に乗って降臨した。
なので物部神社の神紋になっている。⇒下の幔幕 
太陽を背にした「日負(ひおい)鶴」の神紋  拝殿内部 
春日造りの本殿!日本一の大きさ  鰹木・千木は出雲大社と同じ 
  勝石(御腰掛岩):祭神が鶴に乗って降りた岩。
末社:皇祖四代社(西五社) 末社:柿本神社(神本人麻呂を祀る) 
境内に狸がいた。野生??  有名な競走馬! 

特急隠岐:新山口駅行で倉吉から来た  大田市の駅から3キロ。地元のYさんの車で10分
大田は石見銀山に支えられた。江戸時代は天領! 出雲そばをいただいた。3段重ね。

  ここまで書いたところで、MARUYAMAさんから朝日新聞の記事を紹介された。なんと秋田県に物部氏ゆかりの神社があり、物部文書もあるとのことでした。googleの地図を見ると下のような円形の堀を持った神社があります。ホームページを見ると下り勾配の階段の下にある珍しい神社だそうです。確かに一宮で下り勾配は群馬の一宮貫前神社だけです。何か面白そうなので、近々行ってみようかと思っています。
  上の書いたように、物部氏は大和で蘇我氏に敗れたあとは歴史の表舞台から姿を消しますが、子孫はふるさと石見にもどったりしています。松本清張の小説にもあったように出雲弁と津軽弁はよく似ています。隣同士の岩見弁も秋田弁と似ているかな?? でも日本海文化圏はかなり広い範囲をカバーしています。物部氏が日本海側各地に痕跡を残すことは十分にあり得たことです。
秋田大仙市の唐松神社 円形の堀の上に立つ社殿 

アップする寸前に丸山さんからおもしろい資料を紹介していただいた。
今回は敦賀から日本海岸を辿って、物部神社までやってきたが
日本海側の神社の神さまはなかなかおもしろかった。

敦賀の気比神社では、天皇と神さまが名前を取り換えたりする。
何の意味があるのかわからないが、天皇家と何らかのかかわりがあることを推測させる。

物部氏を祀るのは物部神社だけではなく石上神社もそうだ。
先日吉備の山の中に石上布留神社(備前一宮)を訪れた。
物部神社と大和の石上神社の中間あたりにあった。

物部ラインというのが引けるかなとも考えた。
たぶん何の意味もないだろうが、いろいろ考える楽しみがある。

地元のyamasaki さん、maruyamaさん、ありがとうございました。
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