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吉備津神社 |
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主祭神 |
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと) 第7代孝霊天皇の皇子、元の名を「彦五十狭芹彦命」 |
相殿 |
御友別命
仲彦命
千々速比売命
倭迹迹日百襲姫命
日子刺肩別命
倭迹迹日稚屋媛命
彦寤間命
若日子建吉備津日子命 |
(みともわけのみことのみこと)
(なかつひこのみこと)
(ちちはやひめのみこと)
(やまとととひももそひめ)
(ひこさすかたわけのみこと)
(やまとととひわかやひめ)
(ひこさめまのみこと) -
(わかひこたけきびつひこのみこと) |
(大吉備津彦命の子孫)
(大吉備津彦命の子孫)
(大吉備津彦命の姉)
(大吉備津彦命の姉)
(大吉備津彦命の兄)
(大吉備津彦命の妹)
(大吉備津彦命の弟)
(大吉備津彦命の弟) |
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古墳時代、吉備には造山古墳、作山古墳など巨大な古墳が造られた。
全国4位と9位の大きさで、畿内の古墳と引けを取らない。
これだけの古墳がつくれるのは鉄器を背景にした巨大勢力があったからだ。 |
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造山古墳 全長350m(全国第4位) |
宮内庁管理ではないので立入自由 |
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吉備の大王の石棺なのでは? |
古墳に登るにも息が切れる |
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備前国と備中国の境の吉備中山(標高175m)の北西麓に北面して鎮座する。
吉備中山は古来神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。
吉備神社と吉備津彦神社とも、主祭神に大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀する。
本来は吉備国の総鎮守であった。吉備国の分霊が
備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となった。 |
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正面の参道石段 |
長い長い階段 |
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足利義満造営とされる本殿は独特の比翼入母屋造(吉備津造)で、
拝殿とともに国宝に指定。
また社殿3棟が国の重要文化財に指定されるほか、
特殊神事の鳴釜神事が有名である。 |
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本殿(比翼入母屋造り) |
拝殿から本殿を見る |
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拝殿から御釜殿への回廊! |
お釜殿への回廊 |
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木造の狛犬
神社の神宝である。
この神社には外に石作り
狛犬はいない。
隣の吉備津彦神社、
備後の吉備神社には
石作り、備前焼きなどの狛犬が
おかれている。
なぜここは木造の狛犬だけなのか?
写真は神社のパンフレットから借用 |
鳴釜殿鳴動神事の由来
吉備津彦に退治された鬼「温羅」を祀る場所。
あるとき吉備津彦の夢に温羅の霊が現れ
「我が娘の阿曽媛を御釜の前で神せんを吹かせよ」
と告げた。
幸いあれば裕かに鳴り
禍あれば荒らかに鳴る。
吉備津彦が霊神の言葉道理にすると
釜は落ち着いた。
江戸時代、雨月物語などに
吉備津の釜として紹介され
神秘の神事として天下に有名である
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温羅のはなし
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吉備津彦は第7代孝霊天皇の皇子という。
吉備津彦は鬼ノ城に住む鬼、「温羅(うら)」を
退治する戦いを始めた(桃太郎の鬼退治))
矢に打たれた温羅は鯉に姿を変えて逃げる
鵜に姿を変えた吉備津彦は鯉をとらえる。
鯉喰神社もあった。
鬼と言われるが、温羅は地元の英雄、
吉備津彦は大和からの派遣された征服者だった。
退治された鬼に対して地元の人は
けっこう親しみを持っている。
鬼だけでなく自分たちも中央に征服された
という思いをいまだに持っている。
鬼ノ城は山の上にあり、復元?工事中!
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2008年まだ工事中 |
こんな立派な舘や門があったのか? |
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吉備津彦は桃太郎のモデル |
温羅は本当に鬼(悪人)だった? |
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この神社の背後には吉備の中山があり、古代においては交通の要衝で、重要な場所だった。
山の上には宮内庁が管理する御陵もある。孝霊天皇の皇子、吉備津彦命の墓とあった。 |
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2008年に備前、備後を訪れて、一宮と国分寺を巡った。しかしその頃には
まだ小さなデジカメで、画素を抑えながら写真を撮っていた。
2月に訪れ、さらに天気も悪かったので、小さなデジカメの
写真は人様にお見せでいるほどのものではなかった。
今回はミラーレスのカメラと、スマホのカメラで撮ることができた。
カメラは新しくなったが、12年たち今回は体がついていけなくなっていた。
しかし備後の国の友人が車を出してくれた。
おかげで楽々と吉備三宮を廻ることができた。感謝!
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