2月6日、皆さんと昨日分かれ、私だけ四日市に泊まった。夕食を三重県の地学教師をしているARAIさんと食べた。四日市名物というトンテキ、とんでもない大きさの豚肉にキャベツだが、そのたれがまさに名物なのだろう。若い彼にはかなわないので半分ほど食べてもあう。久々に会ったのでいろいろ話が尽きない。うれしいことだ。
朝はゆっくり起きて鈴鹿セブンという山並みを写真に写そうと思っていたが、山のほうだけに雲があって写真はとれない。残念。
最初多度大社に行こうと思っていたが、インターネットを見ているうちに志摩の伊雑宮とヤマト姫が大きく関係していることを知って、そちらの話を聞きに行くことにした。近鉄特急で志摩磯部駅でおり、歩いて向かう。途中に志摩の民俗資料館があったので寄ってみたら2月は長期休業とのこと。
伊雑宮にお参りをして戻ると現役の「御師」(おし)の方が、いろいろお話をしてくださった。ヤマト姫の話を誰かに聞こうと思っていたところだったのでちょうどよかった。御師さんはヤマト姫の墓所に案内してくれた。先日伊勢内宮のそばにヤマト姫の墓所に作っれたという倭姫命神宮に参った。その時にその神社は大正7年に作られたときいた。伊勢神宮は2000年の歴史を持つというのに、その神様を案内したヤマト姫の墓がつい100年前に作られたというんは合点がいかなかった。
御師さんの話では伊雑宮で大正7年にヤマト姫の墓が発見され鏡が出てきた。しかしそんな大発見を伊勢神宮としては認めるわけにはいかない。発見された遺物はすべて持ち去られ、急いでヤマト姫の墓を内宮の地に作ったのだそうだ。ヤマト姫を祀る社がつい近年作られたのはなぜか疑問だったが、御師さんの話で氷解した。ヤマト姫は伊雑宮に天照大神を祀ったあとここで亡くなったそうだ。93歳だったというが、本当かな。全部伊勢神宮に持って行ったというが、実はお墓の底の石は大きくて持ち運べなかったそうだ。そこで御師さんは一計を案じた。竹下内閣が各町に配った一億円をもとに、その石を掘り出し、御田の前に記念碑として建てたそうだ。さっき通ってきたときに立派な石が建てられていると感心したあの記念碑だった。現地に行ってみるとおもしろい話がたくさん聞ける。ありがたいことだ。