焼火(たくひ)神社

島前は大昔の火山だったが、激しい噴火でカルデラができ、その後沈降したために外輪山がリング状の島として残った。カルデラの真ん中には中央火口丘があった。そこが今は焼火山として残っている。焼火というのは火山の火ではなく、ここで灯台の代わりに火をともして位置を知らせたらしい。後鳥羽上皇の船もこの火を頼りに隠岐にやってきた。
逆に後醍醐天皇はこの明かりを頼りにして隠岐を脱出し、「建武の中興」を成し遂げた。しかし2年後後醍醐天皇は足利尊氏に追われ、吉野に逃げて南朝天皇となった。
いわゆる南北朝であるが、60年後第三代足利義満によって北朝に三種の神器が戻されて、後醍醐天皇の系統の南朝は滅んでしまった。


別府港でレンタカーを借りたので、焼火山まで上がることができた。ギリシャ人が電動自転車で登ってきたが、かなり大変だったようだ。車を置いて階段を上ること20分ほどで大きな鳥居に出た。そこからは平たん道、大きな石垣が出てきた。昔はお寺があったが、明治の廃仏毀釈で消滅し石垣だけが残った。その奥に岩の窪みを利用した社殿があった。隠岐造りではないが、いい神社だった。どんな神様を祀っていたのか、確認できなかった。後で見たら天照大神のようだ。どうりで屋根は隠岐造りだった。

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