越前大野の街

本日のテレビで越前大野の案内をやっていた。つい先日いったばかりなので、熱心に見入った。私は地理的な興味で旅行をしている。なぜこんな山奥の盆地に多くの人々が住み、文化的にも高水準だったのかを知りたかった。しかし歴史的なことを知らなければ、その地のことはわからない。テレビの案内で少し勉強した。こんな大勢の人口を支えるこことができた理由が少しだけわかった。越前大野を作った三人。戦国時代朝倉氏、しかし織田信長に滅ぼされ「長」の名前をもらった金森長近が天空の城を作った。江戸時代に城は大火で焼けた。土井利忠が藩の立て直した。多くの人材を育てた。

先進技術を取り入れた。種痘所を作って天然痘を撲滅した。大野藩で作った鉄砲が江戸に送られた。面谷(おもたに)鉱山からは銅鉱石がとれ、明治期には日本有数の鉱山になり、発電所も作られ近代化が進んだ。藩の直営店「大野屋」は流通網を全国展開して繁栄を築いた。

越前大野をとおるJR線は越美北線という。現在は大野よりもさらに先の九頭竜が終点である。山奥なのでもう先には行けないと思ったが、実は越美南線というのもある。現在は長良川鉄道であるが、JR時代には越美南線でいまもそう呼ばれている。越は越前、美は美濃を結ぶ予定だったが南線は北濃まで、北線は九頭竜までになっている。この線が開通していたら、もっと岐阜、名古屋方面に近くなっていたろう。

街の中は美しい。けど今後の発展はどうなのだろう。観光施設、とくにホテルや旅館などがないと観光都市にはなれない。でもいい感じの街だから、大事に育てていただきたい。なにせ福井は日本一住みやすい県なのだから。大野市は福井県最大の面積を持っているのだ。

越前大野の街” への1件のコメント

  1. 大野史に興味を持ってくださいましてありがとうございます。
    実は大野屋事業と大野丸を多くの人に知って頂けるように、これから活動をしょうと思っているところです。それを小説にした大島昌宏著「そろばん武士道」という本をご存じでしょうか 只今絶版になっております。再販出来るようにはたらきかけようかと思っております。

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