5-4 疫病のパンデミックを日巫女が収めた

神武天皇が大和の国に入ってからはしばらく平穏な時期が続くが、第10代崇神天皇の時代に大和には疫病がはやり、人口の半分が亡くなるほどの事件が起こった。
神の声を聞くと、疫病の原因は天皇の宮に天照大神と大国主神を一緒に祀ったことであり、この神を別々の場所でお祀りすることにすれば病が収まるとの託宣があった。

崇神天皇はその託宣を得て
天照大神を三輪山の麓の桧原神社へ
大国主神の魂を大和神社へ
移してお祀りした。

この時代天皇の政治は神の声を聞いて行われていた。神の声を伝えるのは巫女の役目だった。
私の推測だが、崇神天皇にこの託宣を伝えたのは「日の巫女」と呼ばれる人だった。そう「ヒミコ」である。政権のシンボルである神さまを動かすというのは大変な大英断である。それを指図することができる巫女は絶大な力を持っていた。

中国の魏志倭人伝には邪馬台国の女王卑弥呼が鬼道政治を行っていたと書かれている。私は邪馬台国は大和のことで、卑弥呼は日巫女であると思っている。
崇神天皇は疫病のパンデミックを収めることができず、日巫女に頼らざるを得なかった。このあと日巫女を擁する勢力が大和国を支配することになった。魏志倭人伝を書いた著者はそのころの様子を聞き知って、卑弥呼という女王が鬼道(きどう=呪術)政治を行っていたと伝えたのだろう。日本側もその記事を読んでいたが、古事記、日本書紀に卑弥呼などという「卑しい」文字を使うことはしなかった。

日巫女が亡くなった後、多くの人多くの神が悲しみ、巨大な墓を作った。それが箸墓である。写真をみれば分かるように山の辺の道にある天皇陵と呼ばれる古墳よりも立派で大きい。昼間は人々がつくり夜は神さまたちが工事をしたとの記述もある。パンデミックを収めた女王として皆が感謝したのだろう。
宮内庁によるとこの箸墓の主は倭迹迹日百襲姫命(モモソ姫)とされている。この姫は巫女で三輪山の磐座におられる大物主神と神婚関係にあるとされている。

私の勝手な想像では、モモソ姫は吉備にいて鬼退治を指揮していた。その時に知り合った神武天皇に呼ばれて大和にやってきて大物主神と結婚した。そして崇神天皇時代のパンデミックを収め、女王として崇神以降の大和を支配したのだ。

 

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