■6-2 天照大神の安住の地が定まった。


倭姫命に導かれ、天照大神は伊勢の国を南下して五十鈴川のほとりについた。
「ここはいい場所だから、ここに静まろうと思う」
と神はおっしゃった。
伊勢神宮の内宮(ないくう)である。

倭姫命は天照大神を伊勢までお送りしたあと、「斎王」(さいおう)として伊勢神宮の近くに「斎宮」(さいくう)を建てて神を見守ることになる。
倭姫命は神話の話であるが、歴史上最初の斎王は、天武天皇(670年頃)の娘の大来皇女(おおくのこうじょ)がその任務を担った。斎宮で天照大神を祀るという斎王制度は、南北朝の時代まで約660年間続き60人の斎王の名が残されている。

斎王は、新たに天皇が即位すると未婚の皇女の中から占いで選ばれ、京都の野宮(ののみや)で精進潔斎して伊勢の斎宮に向かった。平安時代、お供の人数は500人ほどで大行列になった。この大行列を「斎王群行」といい国家の重要行事になった。伊勢の斎宮は多くの人々の集まる都市のようになった。

斎宮は近鉄の斎宮駅の近くで、現在も発掘作業中である。ここには巨大な斎宮(さいくう)の館があったことがわかっている。斎宮の地には博物館が作られており、その歴史を見ることができる。

倭姫命は無事にお役目を果たし、斎宮で静かに余生を過ごし亡くなった。お墓は天照大神のおそばの内宮に作られた。いま倭姫宮として天照大神を見守っている。

と、私は思っていた。しかし物語はまだ先があったことを、このあと志摩に行って知らされた。そのことは後に述べることにして、とりあえず倭姫命のお導きの役目は伊勢内宮に天照大神をお祀りしたことで無事に終了した。

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