■ 6-4 涙こぼれる伊勢内宮

内宮への道
まず伊勢神宮の外宮に参ってから内宮に行くのが順序である。今は御木本道路が付けられているがそれでも4キロほどあり、みなさんはバスで移動する。私は昔の参宮街道で旧古市遊郭に向かった。弥次喜多のお伊勢参りはまず第一番に古市に行き、その後に外宮に参るという罰当たりな参詣であった。

私は正しく歩いて、「おはらい町」の繁華街に出てから五十鈴川にかかる宇治橋の前に出た。お参り前なのでもちろん「赤福」などは食べなかった。
立派な鳥居をいくつかくぐり一番奥の宮の入り口につく。内宮の遷宮は外宮の遷宮よりも前に終わっており、神さまはもう新しい社殿にお移りになっている。石段を登って社殿を見ようと思ったが、周りは新しい垣根がめぐらされ、鳥居には御簾がかかっているのでまったく見えない。後からドローンの映像を見て、御簾の内側の様子が分かった。

こんなに立派な社殿を皆が見ることができないなんて、残念だ。中に入ることができるのは皇室の方だけかと思っていたが、実は明治になるまで天皇は伊勢に参拝したことはないという。それまでの天皇家は仏教徒として寺に葬られていたのだ。
明治になって神仏分離をして国家神道になったので、明治天皇や昭和天皇は伊勢神宮に参拝できるようになったが、第二次大戦後に新しくできた日本国憲法で政教は分離され、天皇は公式に神社にも寺にも参ることはできなくなった。

内宮、外宮は垣根が高くて中を見ることはできないが、数多くある末社は全体を見ることができる。ほとんど外観は変わらないという。私もすぐ近くにある別宮の荒祭宮(あたまつりみや)に詣でた。新旧の社がまだ並立していた。写真のように、自然のままにされていた旧社殿は傷みが激しい。改めて20年遷宮の意味が分かった。

内宮の深い森の中を歩くと、西行法師の
「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
言葉をおもいだす。
西行ほどではないが、私も「なみだこぼるる」ありがたさを感じる。特別の現世利益をくださるわけではないが、なにか清々しく感じられる。
深々とした森、五十鈴川の清流などの装置にも感動するが、それ以上に神さまが苦難の旅をされてきたという物語があってこそ、涙こぼれる思いになるのではないか。

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