備前国府と国分寺は離れている

 古代には吉備国があったが律令制により備前、備中、備後にわけられた。備前国はさらに美作国を分離した。古代吉備国は超巨大な国だった。その国の中心は吉備の中山付近にあり、吉備神社ははそこにあった。しかし中山を境に備中、備前に分かれたため一宮も吉備津神社、吉備津彦神社にわかれた。なのでそれぞれの神社はほぼ背中合わせの位置にある。
 備前国の宮は旧吉備国の中心にあるが、備前国府は旧吉備国の中心とは離れ、旭川の東側の高島宮(神武天皇の聖跡)の近くにある。さらに備前国分寺は山越えをした赤磐市にある。前回一宮巡りをした時には、国府国分寺に足を延ばすことができなかったので、今回は半年おいての2回目の備前国入りである。

備前国府
岡山駅の隣の高島駅近くには高島宮がある。この宮は明治政府が定めた神武天皇聖跡地であってここに都が営まれていたわけではない。しかし備前国府はこのすぐ近くにあったようで聖跡とまったく無関係ではないかもしれない。

現在の「国府市場」の地名のあるあたりに国府があり役所の建物(国衙)があったがが、現在遺構はなく小さない社があるだけである。

総社
国府市場あたりは東西南北に道路が敷かれており条里制の名残がある。国府市場を北に1キロほど進んだ山裾に賞田廃寺跡の遺構がある。かなり大きな寺があったことが知れる。私はここが国分寺だったのではないかと思ったがそうではないそうだ。この賞田廃寺から少し西へ行った山裾に総社宮がある。

国分寺
桃太郎温泉前の県道(旧山陽道)に出てしばらく行くと高速道路が見えてくる。高速道路と交差する手前に国分寺の跡が見えてくる。発掘跡は整備されている。遺構の先には岡山県で3番目に大きな前方後円墳である両山古墳がデンと構えている。なかなかいい風景だ。

国分尼寺
旧山陽道を挟んで国分寺とは反対側に尼寺があったらしい。しかし今は大きな溜池の下になっており実態はまったくわかっていない。看板だけ立っており往時を想像するしかない。

今回は自転車
備前国の国府跡と国分寺跡はかなり離れているが、バス便など公共交通機関はない。「タクシーで行けば!」と奥さんに言われるが「望むところに行くには苦労がある方が感激は多い!」という私のポリシーに従えば、それは選択肢にはない。

今回は持ち運びのできる自転車を購入して持ってきた。重さは約6キロ、年寄りでも運べる重さだ。岡山駅前には電動レンタル自転車がたくさんあったが借りると元の場所に戻らなければならない。自分の自転車なら疲れたら折りたたんで袋にいれて電車にのればいい。

低い山だが峠越は結構きつい。しかし環太平洋大学(?)のキャンパスから聞こえるマーチングバンドの音楽に励まされ、案山子君たちに見送られて無事に走りきることはできた。帰りは津山線の玉柏駅から岡山に戻った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です