四国88札所には4つの国分寺がある。土佐国の国分寺は第29番札所でいい季節にはお遍路さんでにぎわう。私も2016年から季節の良い時を選んで1週間歩いてきた。全行程は1200キロもあるので私たち夫婦は4年ほどかかった。急ぐ旅でもないので88カ所のほかに一宮や番外札所、国府などにも寄り道をした。
土佐の国府は28番の大日寺から物部川を渡り国分川を渡ったところにあった。すぐそばに29番の国分寺があり、その隣に総社もあった。今回の国府めぐりは四国遍路のおまけだった。
国分橋の欄干にカメラを置いて記念写真を撮ろうとしたら、台の上からカメラが転げ落ち固い岩の上に落ちてしまった。土佐国府、国分寺の写真は古いスマホで撮ったもので美しくない。困っていると賀曽利さんが私の写真を貸しますよとのこと。もう一度行かなければと思っていたが、彼の手を借りてこのページを仕上げることができる。ありがたい。
国府(国衙)
高知の埋蔵物文化センターでは比江廃寺跡付近の発掘を行っており、多くの資料が出ている。国府の跡もほぼ特定できるが全域の発掘はまだである。平安時代紀貫之は929年から5年間土佐守(国司)として土佐国府で過ごした。60歳という年齢での赴任は何らかの政情の変化があったのだろう。帰国の時の様子を描いたのが「土佐日記」である。紀貫之の邸宅とされるところが公園になっている。おそらくこの辺りまでは国府の範囲だったのだろう。バイクが映っているのが賀曽利さんから借用した写真。
比江廃寺跡(国分尼寺?)
国府の一角に比江廃寺跡がある。そこに大きな塔の礎石がでてきた。これは県下では最大の礎石穴である。大きな寺があった。おそらく国分尼寺だったのではないかとの説もある。しかし国分尼寺に塔はなかったとされているので国分尼寺ではないとの意見も多い。写真はWikipediaから借用。
国分寺
国分川を少し下った土手に地蔵の渡しがあり、目の前の田んぼの先に四国第29番の国分寺がある。国分寺の敷地ははるかに広かったはずである。現在は真言宗智山派の寺である。石柱を見ると、十を横に並べて20と読ませている。
総社
国分寺の隣に総社神社がある。この神社が国司が参詣する土佐国の総社とされているが、国分寺の敷地の狭いところに押し込まれている。元は国府のそばにあり、ここにい引っ越してきたとのことである。祭神は「延喜式二十一社祭神」ということで総社にふさわしい。バイクはないが狛犬以外は賀曽利さんの写真。