讃岐国府・国分寺・法華滅罪之寺

讃岐国は四国88札所巡り最終章!しかし最後の五色台の山地に難儀した。八十場の79番天皇寺から歩き始め80番国分寺から五色台に上り山の中を81番へ行き、引き返して81番根来寺についたころはもう日が傾いていた。鬼無駅に降りた時には夕闇、疲れ果てて電車で高松まで行き宿泊。翌日ゆっくり鬼無駅に戻り駅前のカフェで朝食をとって82番へ向かった。国分寺資料館を見学する余裕は全くなかったことを思い出した。復元したミニ七重の塔があったことにも気が付いていなかった。4年ぶりの訪問は雨にたたられたが、新しい発見がいくつもあって楽しかった。讃岐国府

国府というのは律令制になって国から国司が派遣された場所である。それまでは地方豪族の国造が支配していたが大和の中央集権が確立したことの証明だろう。讃岐の国府は讃岐府中駅のそばにある。しかし国府跡には石碑が建つだけで周辺は田んぼが広がっている。国府が現在の県都になる例はごく少なく讃岐国も今は高松に県庁があり、国府のあった讃岐府中あたりはごく普通の田舎になっている。

ちょっと気になったのは周辺の発掘によって畑の中にいくつかの遺跡が残っていることである。その中に印にゃく神社跡というのがあった。印にゃくというのは国司の印と国衙のカギのことである。他の国府遺跡を歩くと国府のそばの総社の中に印にゃく神社があったことが知られている。しかし讃岐国の場合2社の関係は不明。

讃岐総社
総社は国司が常にお参りする神社である。なので国府とセットになっているはずである。しかし讃岐総社は綾川の6キロほど下流にある。当時は水運が使われたかもしれないがちょっと遠いような気もする。印にゃく神社の場所に総社があった、その後にこの地に移ったと考えてもいいように思う。

讃岐国分寺
讃岐国府は坂出市になるが国分寺は高松市にある。四国の4国分寺はいずれも当初の地に現在も残っている。讃岐国分寺も聖武天皇の詔の場所にあり、現在も立派なお堂がたち法灯を継いでいる。元の寺は敷地はさらに広く、現在も発掘が続き成果は隣にある資料館で発表されている。
現在の国分寺は四国第80番霊場になっており大勢のお遍路さんが訪れている。私も4年前に訪れたが人が多すぎて朱印を受けることはできなかった。ここから青峰山の第82番根来寺を目指したことを思い出した。

現在の国分寺

国分尼寺・法華寺
国分尼寺が残っているところはごく少ない。讃岐は本山である奈良の法華寺(法華滅罪之寺)の表示した寺が現存していた。「法華滅罪之寺」を掲げているのはごく少なく、私が見たのは初めてである。敷地はもっと広かったはずだが現在は境内のいくつかの礎石を残すのみである。すぐ近くに春日神社があるが何らかの関係があったのかもしれない。備前焼きの狛犬がなかなか良い。

雨の国府国分寺めぐり
天気予報は9時ごろから雨は上がると言っていたが10時になってもあがらなかった。カッパを着て自転車で端岡駅を出発し国分尼寺から国分寺、国府、総社へと回り坂出駅にもどった。坂出駅に上がると讃岐の富士山型の山には日が当たるようになっていた。残念ながら時間、体力切れでマリンライナーで岡山へ、新幹線で東京に戻った。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です