「一日一驚」のすすめ

年をとると感情の起伏が少なくなる。これがいけない。喜んだり、悲しんだり、ときには怒ったり、そういうことが大事だ。年寄りは少々のことでは驚かなくなる。これも問題である。驚くべき場面では、ちゃんと驚く。そうでないと世の中に迷惑をかけることになりかねない。

・・・・と五木寛之さんが書いている。・・・・ちゃんと驚こう、と意識してびっくりするようにしないと、気がつかないうちに行きすぎてしまうものなのである。・・・・・これを読んで私も「一日一驚」を実践しようと考えていた。

ところが、パリで大規模なテロがあった。これは驚かないわけにはいかない。一日中驚き、怒り、悲しみ、喜びなんかはないけど、感情は激しく揺れた。「一日十驚」だ。五木さんは、年寄りは心が不感症なので努力してびっくりすることを探せ!と言っているが、ここ数日は驚かされることばかりだ。

当然報復爆撃があると思っていたら、その通りに限定的な空爆があった。そこでも大勢のテロリストとは関係のない人たちが亡くなった。「やられたらやり返す!」 これが西洋的なやり方かもしれないが、そんなことをしていたらいつまでたってもこの連鎖は終わらない。「相手がいくらわけのわからない人でも、対話をすることは必要だろう。」

というツイートをした乙武君が非難を浴びているとネットに流れていた。「テロリストの言い分を聞こうというのか!」という非難らしい。彼は、時間はかかるがきちんとした教育をして次の時代に報復の連鎖が続かないように対話をすべきだ、という意味で言ったのだろう。彼は学校の先生でもあった。教育こそが人類全部の安全にかかわることを理解しているはずだ。非難している人はどう見ているのだろう。これも大変な驚きだった。今日一日は「驚き」の連続。「一日二十驚」の感じだ。

 

 

 

 

 

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