鶴見:めがね橋峠 峠楽会テキスト

◆3月の1週間の四国遍路の疲れが癒えないまま、4月4日からの上海旅行では、かなり疲れました。もう年ですね。
上海では地下鉄に乗ると必ず席を譲られました。東京ではあまり譲られることはないのですが、よほど年寄りに見えたのでしょう。喜んでいいのか、ちょっと複雑な心境です。

上海は未来都市でした。街並みは渋谷駅どころではないくらいきれいに整備され、超高層が並んでいます。浦東地区はディズニーランドかと思うほどです。
まあハード面には対処できるのですが、ホテルの予約、支払い、街での買い物、お茶飲み、などなどスマホ操作にはついていけません。なんでもQRコードが付いていて、それを読み込ませて支払い完了。お金のやり取りはまったくないのです。

スマホの使えない年寄りはどうするのか見たかったのですが、私たちが泊まった地区に年寄りは出歩いていません。たぶんで歩けないのだろうと思います。
古い建物は全部ぶっ壊して道路を作り、高層ビルを作る。邪魔ものは有無を言わさず排除する。ものすごい圧力を感じます。
若い人たちには未来が見えるでしょうが、排除された人々はどうしているのでしょうか、私には見えませんでした。

むかし北京で、通勤時間には大通りいっぱいの自転車列を見ました。いま自転車はすべてレンタサイクルで乗り捨て自由。さらに電気バイクがたくさん走っています。これは恐ろしい。全く音を立てずに接近してくるのでハッとします。
街は驚くほど静か、地下鉄内でも大声で話すおばちゃんたちはいません。ほぼ全員がスマホにむかっている日本の電車風景と同じです。スマホを持っていないので年寄りと認定されて席を譲られるのかもしれません。

まだ興奮状態が続いているので、前置きが長くなりました。本日の峠探索です。● 鶴見へ
本日は鶴見のめがね橋峠探索がメインですが、集合場所鶴見についてすこし述べておきます。
品川から電車に乗ると、多摩川を越えてさらに鶴見川を渡ります。JR京浜東北線と京浜急行どちらを使ってもいいのですが、私は京浜急行を使うことが多いです。なぜなら昭和38年の鶴見事故の記憶が私の頭の中にあるからです。

昭和38年という年は三八豪雪で愛知大学生が13人亡くなり、11月には鶴見の横須賀線の脱線衝突事故で161名もの人が亡くなるという大事故の年でした。鶴見事故と同じ日、九州の大牟田では三井三池炭鉱で爆発事故があり458人もの方が亡くなった。昭和38年私が大学に入った年でした。オリンピックを控えて急速な発展のヒズミが各所に出た時代でした。見てきたばかりの上海、外見は未来都市になりましたが、私たちの見えないところにヒズミが出ているのだろうと思います。

■総持寺
鶴見といえば総持寺、曹洞宗の大本山です。曹洞宗というのは禅宗の一派で、道元禅師が中国から伝えたもので、大本山は永平寺と、ここ総持寺です。

同じ禅宗の臨済宗は鎌倉武士に信仰されましたが、曹洞宗は地方豪族、農民らに信仰されたようです。

総本山が福井県の山の中にあるのはそのためでしょう。実は総持寺も石川県の能登にありました。明治31年の大火で焼失したので、現在の鶴見に移転したそうです。
鶴見の総持寺は1911年明治44年に遷祖したものだそうです。どおりで古びた感じがしないはずです。能登の総持寺は再建されましたが、いまは総持寺祖院と呼ばれています。

■ 月見峠
総持寺をでてバス通り(見返り坂)を上っていきます。都区内の台地と違って、横浜の台地は一段高くなっているので上るのは大変です。月見ヶ丘というバス停があるところが一番高い、すなわち峠と言うことになります。よってここを月見峠としました。両側が高台になっており、立派な峠地形です。

■ めがね橋(響き橋)峠

響橋の上から下の道路を見ます。これは国道一号線です。鶴見川からかなりの傾斜で上っていることが分かります。(なまえ確かめなかった・坂)
反対側国道はほとんど傾斜がなく子安の方につながっているので、峠に見えないかもしれません。橋の西側にお地蔵さんがあります。これが峠の地蔵でした。ここから古い道が急傾斜で下っています。これが本来の道路で、国道一号はかなり深く切通しになっているのです。今は橋の下が峠になっています。
ここを、「めがね橋峠」としたいのですが、よろしいでしょうか?? 「片めがね」の方がいい。との意見もありますので、検討が必要ですね。
川崎支部長の清水さんがお遍路の途中です。(現在第40番観自在寺)地元人ですから帰ってから再検討しましょう。

■もう一つ峠
めがね橋を越えた国道は、ほぼ平坦に進んでいきますが、古い道はいったんさがってまた上っています。子安に向かって左がわに新しい大きなトンネルがありますが、国道はその先を子安に向かって下がっていきます。この坂は・・・・坂です。雨が降ってきたので、この先には進めませんでした。
坂の名前も峠の名前も次に回します。

事前にわかりやすいように模式図を作ってみました。今回予定のコースには峠が二つあります。国道1号線は二つの峠越えは面倒なので盛り土をして平らにして二つの峠をつないでしまったのです。国道を歩いたら気が付きませんが、本日は短い間に峠二つを歩くことになっていました。

峠を越えたら再び低地に出ます。台地のふちを京浜東北線、京浜急行線、東海道線が通っています。
地形的には上野から赤羽にかけて台地と低地の境に似ています。大昔の海食崖をたどっているのです。

※ 次回は 5月は19日(土)です。都内に戻ります。場所未定!

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