第4章 天孫降臨から日向三代へ


生まれてからしばらく大分県の日田にいた、らしい。数年前に筑後一宮高良神社の上から見た筑後川、そのあと朝倉地域を歩いた。近くには「三輪小学校」があり、三輪の神をまつる大己貴神社もあった。この風景は夢の中で見たような気がした。私の中には九州的な記憶がほんの少しだけど残っているのかもしれない。九州は私の国のまほろば! そんな気がしている。

出雲で大国主神は天照大神に「国譲り」をした。天照大神は「うけひ」で生まれた長男の「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」(長い名前だなぁオシホミミ命に省略)を出雲に降臨させようとした。しかし彼は「天の浮橋」に立って下界を見た。
「葦原は豊かだが、ひどく騒がしい。私は行きたくない」
と言って高天原に戻ってしまった。

神話の時間なので何年たったかわからないが再び天照大神は
「もう話がついて豊葦原は穏やかになった。そろそろ降臨するように」
とオシホミミ命を促した。しかし彼は
「我が家には子が生まれたので、彼が成人したら行かせる」
とまたもや下界に行くことを拒否した。

そんな時間が流れたので、オシホミミ命の子が成長した時にはすでに出雲には天降る余地がなくなっていた。天照大神は「しかたなく」九州に降臨させることにした。
成人したオシホミミ命の子、すなわち天照大神の孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)は八重にたなびく雲を押し分け「天の浮橋」に立って筑紫の日向の国の高千穂の峰に天降りした。先導したのは天ウズメで、多くの神さまも後に続いた。
天孫ニニギ命は日向の高千穂に下る。
「韓国に相対しており、朝日と夕日が光り輝くいい場所だ」
と言って大きな宮殿を作った。

「エエッ!高千穂から韓国が見えるの?」
私は一瞬そう思ったが韓国は「韓国岳」の事だ。
ニニギ命は「笠沙の岬」で桜島の神さまである木花咲夜姫(コノハナサクヤ姫)に出会い、結婚する。笠沙の岬は鹿児島県の野間岬のことである。

地図を作って高千穂峰、韓国岳、桜島、笠沙の岬、青島神社、鵜戸神社などの位置関係を記してみた。なかなかスケールの大きい話になっている。それぞれの場所を巡ってみた。大和や出雲を回った時には自分の足を使ったが、この地を巡るには何日間かレンタカーを使うしかなかった。

しかし昔の人は車など使うことはできなかった。物語はかなり狭い範囲で繰り広げられたのではないか。私は宮崎県の高千穂の方がコンパクトにすべてがそろっているので、こここそが天孫降臨の地と思っている。私が愛読する梅原猛氏は宮崎県の高千穂こそがその地であるとしている。

第4章 天孫降臨から日向三代へ” への2件のコメント

  1. 地学の三輪先生のブログ、見つけてしまいました!あ、ご大変無沙汰してます。3回生の小澤仁です。先生の「藁しべ、世界紀行」のスライドの授業?←大変失礼しました。が、とにかく清高の授業で一番記憶に有るコマでした。また、先生は、記憶に無いかも知れませんが、叱られた生徒の一人でもあります。まだ、先生のブログ全て拝見しておりませんが、読破させて頂きます。先ずは、懐かしいあまりのご挨拶とさせて頂きます。私の卒業後ですが、薬剤師になり精神科専門の医療機関に奉職しましたが、筋ジスを患い自営業に転身、現在は、ライターをしたり悠々自適の生活をしております。また、足跡付けさせて頂きます。最後になりましたが、お身体ご自愛ください。

    • コメントありがとうございました。まだ元気に生きています。清瀬高校は40年ほど前の話、卒業生が先生をしているので時々お邪魔することがあります。清瀬の駅周辺も変わったね。3回生、覚えているような、覚えていないような、なんとなくベールがかかった感じです。
      筋ジスとはちょっと大変ですね。でもいろいろ活躍しているようですばらしい。私は脳梗塞、心筋梗塞、胃がんなどたいていの病気をしましたが、まだ生きています。
      生きているうちに三輪のルーツを探そうと思って始めた「三輪の神紀行」です。プロの人に見てもらうのは気恥ずかしいのですが、いろいろ指導してください。私のメールアドレスはkazmiwa33@gmail.com です。こちらにメールしていただければ嬉しいです。ありがとう!  三輪主彦

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